2023/6/18
思考の傾向
例えば、
何らかの出来事に出くわし、
その時、自分はその出来事についてどのように考えるか?
という事について考えてみる。
どのように考えるか?という事であれば、
まず思考の対象には目的と結果が存在する事になる。
この例であれば、ある出来事に対して、自分がどのような考えをするのか、
つまり、ある出来事に対する自分なりの考えとして、
出来事に対する解釈と評価をするという事が、目的と結果という事になる
ここで用いる「思考の傾向」は?と考えてみると、
まず最初にその思考の対象に対する価値観が透けて見える事になる。
つまり、まず出くわした出来事に対して、
自分なりの認識によって価値が評価されることになる。
これは、自分にとって、その思考の対象となる出来事が、
どのような価値を持つ対象であるかという事になり、それ自体が出来事の認識という事になる。
そして、思考の対象である出来事を認識した上で、
その出来事に対して、自身がどのような事を考えるのか?という
目的を持つ事になる。
目的には結果も伴うために、
この例における結果としては、上記の出来事に対する解釈と評価をする事、
それ自体を、思考の結果として認識する事になる
この時、価値観が透けて見えると書いた理由が関係してくる。
つまり、ある出来事に対する価値によって、
自分が用いる事になる考え、思考が変わるという事である。
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思考の傾向というのは、
自分らしい考え方、そのものなのだが、
実際そこにあるのは、対象の価値、対象への価値観であり、
あくまで、その認識された対象の価値に対して、
自分が感じる感覚、自分がその対象を認識するという事に対する自身の知的な状態の変化に対して、
思考する必要が生じ、それに対して思考する事になる。
つまり、思考に傾向があるというよりも、
対象の価値に対して、自身が持つ最適な思考が用いられるという事になる。
当然、自分がその対象の認識に対して、
思考するのに適当な思考方法を持っていない、経験したことがない、覚えていなければ、
その対象に対して思考する事ができない。
つまり、対象を認識したけれど、よく意味が分からない。という事になる。
対象の価値、認識に対して、適当な思考を持っている場合、
自分はその思考を行う事になる。
単純に何かを感じて評価するだけなのか、
何かを選択する必要があるのか、
別の思考を関連して行う必要があるのか、
といった思考が働くことになる。
例えば、質問、問い、という対象であれば答えるという思考。
自分に対する刺激という対象であれば、その刺激への処置という思考。
周囲から与えられた情報という対象であれば、自分の印象、価値評価という思考。
つまり、出来事を認識するという事に対して、
知能は思考を用いて対処する。
つまり、「変化の情報に対して、知能が反応する」、
という事が「出来事に対して、思考で対処する」という事になる。
出来事の認識は、変化の情報の受容である。
それに対して知能が行う反応は思考である。
という事になる。
つまり、この変化の情報の受容に対して、
認識の際には価値が定義、設定されているため、
その価値に対して思考はもっともらしい、つまり最適な思考を行う事になる。
そして、知能にとって、最適かどうかであるという事は、
その経験によって、つまり、価値観にある価値の記憶によって、
それは選択されることになる。
つまり、思考の傾向は、
変化の情報の受容に対して、
その変化の情報の価値に対して、
その価値が保有する要素に対して、
より強く関連する思考対象、
つまり価値観において、最も最適な思考方法が用いられる、想起されることになる。
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変化の情報の価値に対する最適な思考方法というのは何なのか?
最初に書いた、思考の傾向や
それ以外に知能の傾向に関連するものとして、
習慣や性格、などもあるが、
どれもある価値に対する選択という結果が伴う事になる。
つまり、ある特定の価値に出くわした時に、
同じような行動をとる、選択をするという事である。
思考においても行動においても、
その選択においては価値が関係している。
当然、その参照先は価値観である。
価値観は経験の記憶であり、
ということは、ある特定の価値の認識に対して、
それに関連して励起される対象はある程度限られているはずである。
まったく同じ状況の同じ刺激の変化を受容して認識することは現実に存在する人間には難しいが、
似たような状況や、似たような変化というのは認識する機会はある。
また、認識のあいまいさと許容の幅(参考:211)があるという考え方もできるので、
認識される価値に類似点の多い刺激というのは存在するはずである。
認識される刺激毎に要素が異なるために励起される対象は様々であるが、
その中に共通して関連する要素を持つ、変化やその時の環境や状況によって、
その時用いられるべき思考への励起もある程度傾向を持つのではないかと考えられる。
つまり、経験される刺激に傾向が存在すれば、
それに関連する事になる思考も傾向が生じる事になると言うわけである。
同じ家庭で育った兄弟姉妹の性格が違うというのは当然としても、
これを別の家庭で育った兄弟姉妹と比較した場合、
ある出来事に対する感じ方、考え方に傾向は生じないだろうか?
これが地域や街、都市、地方、国、世界単位ではどうだろうか。
そう考えると、全てではないが、ある対象についてはかなり傾向ある思考をしていると考えられる。
つまり、そのある特定の範囲だけで経験される価値と思考によって、
思考の傾向は生じるものだと考えられる。
全体で集合として見た時に、思考の傾向が存在するのであれば、
これを個人で見た時には、
変化の情報の価値に対する最適な思考方法というのは、
その個人が経験してきた価値と思考の関連の強さ、
つまり、ある価値に対して、その個人が最も多く経験してきた思考方法という事になる。
思考方法の結果としては単独のものである。
与えられる刺激としての条件、つまりそこに含まれる要素によって、
価値の状態が変化するため、結果としては最適な思考方法も変化する事になる。
しかし、共通する要素によって、主たる思考方法には傾向が生じる事になる。
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例えば、
AとBでどちらが重いか比較する。という場合と、
CとDとEでどれが重いか比較する。というような場合。
対象の数や対象自体が異なるが、
どちらも重さを比較して一番重い対象を選択するということである。
別の例なら、
どのような仕事をしても褒めてくれるが、評価を低くつける人と、
どのような仕事をしても厳しく指摘されるが、評価を高くつける人、
自分にとって良い人はどちらか。
または、
何処に行って何をしても楽しい友人と、何でも真剣に相談にのってくれる友人と、
側にいるだけで心安らぐ友人、自分にとって良い友人は誰か。
この場合は、人が対象であり、条件も様々だが、
自分の考え方の傾向において、自分が最も価値ある人物を選択するという事である。
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思考の傾向というものは、
その個体の経験してきた刺激と価値の記憶によって決まる事になる。
また、
知能が何らかの選択を行うためには価値が必要となるため、
価値評価の機能の一部として考える事もできる。
このように考えると、知能で行う選択や機能というものは、
価値の定義と評価によって決められていると考えられる事になる。
であれば、刺激の価値の定義と評価ができる個体が、
連続して刺激を受容できる状態、つまり意識を持てば、知能の再現に近づくことになる。
それぞれの機能が単独で存在しても知能の完成には至らないだろうが、
価値の定義と評価は、様々な知能の機能に関わっていそうである。
今回はこの辺で。
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