2023/6/17

思考の優先度

今日考えていた事は「思考の優先度」である。

その思考をするのに、何かきっかけが存在するのかということである。
普通に考えると、思考自体も欲求の対象であるために、
欲求がきっかけとなり、その目的と結果を得るために「思考」するという事になる。
当然、欲求の強さによって目的や結果が異なり、
その欲求度に応じて、その選択される対象が異なり、
それならば「思考」する事が欲求対象であれば、
その度合いによって行われる「思考」も選ばれるという事になる。
ただし、思考方法には様々な方法がある。
であれば、
知能は何を基準にしてその「思考」を選んで行っているのかについて考えた。

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思考していて、何かがふと見えた時に、その見えたという刺激に対して関連した別の事を思い出した。

昨日、水を入れる容器を持って来ようとしていたのだが、それを忘れていて、
今日の移動中であったのだが、視界に入った窓から差し込む光の姿が、
いつもその水の容器を持ってくる時に、その光の位置の近くに容器を置いていたので、
それを思い出させて、あ、忘れたと気が付いた。

つまり、思考中であったはずなのだが、別の刺激の認識によって、
その刺激に関連した別の対象を想起したことになる。
そして、前もって存在していた別の要件の目的を思い出したという事になる。

これは、思考中であれば、思考しているという認識によって、
その思考の目的や結果に関連した刺激が励起され、他の対象の刺激よりも、
優先して認識されるはずなのだが、
思考とは別の強い刺激を認識した際には、その別の刺激に対しての関連した刺激が励起され、
そちらの刺激が想起対象になる場合もあるという事になる。

つまり、思考を続けようとして思考が維持されるわけではなく、
思考に関係した目的や結果、それに関連した刺激が励起され、
その刺激が認識されることによって、また、その刺激に関連した刺激が励起され、
認識されやすくなる。そのために、思考が維持されるという事になる。

だから、思考の際中であっても、その思考に関係した刺激よりも強い刺激を受け、
その刺激を認識した場合、その思考とは関係のない刺激に関連した励起による刺激の対象を
認識する事もあるという事になる。

つまり、思考における認識対象の優先度というのは、
欲求によって維持されたある活動、この場合は「思考」であるのだが、
この思考が維持されるという事は、その思考の対象となっている目的と結果と、その関連を、
継続して認識、励起、認識を繰り返しているために、その対象となる刺激が、
他の関係のない刺激よりも優先して認識されることになる。

優先される度合いは、その目的や結果、その関連に関係した対象が励起されるため、
どれだけその対象が各刺激に対して関連・関係の形でシナプス形成を持っているかという事になる。

つまり、知能が意識してその対象を優先して励起、認識するわけではなく、
思考の活動の中で、自身の知能が記憶として持っている、今思考中の目的や結果、その関連に
多く関連・関係した対象が自動的に優先して励起・認識がされ、
その認識によって、自分がそれを意識的に選択し、認識したと感じるという事になる。

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思考において、その思考の方法を用いるのは、
その思考の対象となる目的と結果、その関連が、
その思考方法が持つ要素と関係した要素を持っているという事になる。

つまり、例えば「AとBを足し合わせるにはどうするか?」
という問いがあった場合、AとBには「足し合わせる」という変化に対して、
共通する要素を持っている必要があり、実際、その要素を持っているために、
その変化の問いが成り立つことになる。

つまり、AとBを足し合わせる、という目的があった場合、
その思考において、結果はAとBの合わさった姿であるが、
その思考を成り立たせる関連として、「対象と別の対象を合わせる」という変化を持つ思考活動として、
「足し合わせる」という変化は、
要素として対象が「足し合わせる」ことのできる共通する要素を持っている事になり、
また「足し合わせる」という事自体も、その共通する要素を合わせて、統合した対象を作り出すことが出来る、
という機能を持っている事になる。

例えばAが個数という要素を持っていて、Bも個数という要素を持っていれば、
「足し合わせる」という思考活動は、この個数の要素を同じ対象として扱い、
結果としてその個数を統合した対象を結果に関連付けられる事になる。

これは個数でなくて、液体などの量であることもあるし、粉体、気体、
物体の構造である場合もある。

だから、3つのリンゴと空の青さを足し合わせるにはどうするか?
という問いは普通は成り立たない事になる。
これが、3つのリンゴと2つのミカンなら数を要素として足し合わせることが出来るし、
空の青さと夜の暗さなら、色彩か明度を要素として足し合わせる事が出来る。

しかし、人間の思考における関連において、
275で考えた、知能は定義を目的としているという考え方
「新しい定義をする事、知能はそれを目的として活動している。」
を用いると、
3つのリンゴと空の青さを足し合わせるという定義も存在しえる事になる。
つまり、例えば、「3つのリンゴと空の青さを足し合わせる」という思考の定義を、
3つのリンゴがそれぞれ持つ色彩と明度に対して、空の色彩と明度を足し合わせる事とすれば、
「3つのリンゴと空の青さを足し合わせる」という定義、
つまり、対象がそれぞれ持つ共通の要素を介在した知能活動の定義として、
新たな思考方法を作り出すことが出来る。

そうすれば、今後、この知能においては、3つのリンゴが存在し、
空を見ることが出来れば「3つのリンゴと空の青さを足し合わせる」という知能活動は、
他の知能活動と同様に「思考」できる事になる。

そして、この考え方を用いると、
思考において優先される対象がはっきりしてくる。
つまり、思考の定義、知能活動をするための対象の要素が、
どのような思考を行うのにおいても優先して重要であり、
その要素に関連した思考、つまり、変化を適用する知能活動が優先して用いられるという事になる。

つまり、思考の対象が、その思考の目的と結果として数に関する思考を欲しているのなら、
数を要素として持つ変化の思考が優先して用いられることになり、
入れ替えや置き換え、形状の変化であれば、それに対応した変化の思考が用いられるという事になる。

また、何らかの不明瞭な状態が対象になっているのであれば、
その時の思考は、不明瞭な対象を要素とできる思考、知能活動が用いられることになる。
思考の入れ子・ネスト状態や思考の再帰を作る事であるとか、
実験によってその不明瞭な点を明瞭にしてから元の対象について思考し直すとか、
試行して事象をはっきりさせる事、
過去の記録を参考にするなど、
最初に存在する思考の目的と結果、その関連に対しての対処法として、
別の思考を関連付けることが出来る、つまりそれ自体を定義することが出来るという事になる。

つまり、通常は対象毎に共通する要素を持っていれば、
その共通する要素に対応した変化に対して思考することが出来る。
これは互いに知能活動、思考を共有する場合においてであるが、
人間においては思考方法などの定義、つまり、
足す、引く、置き換える、逆にする、取り除く、足し合わせる、などの思考の考え方となり、
知能毎においては、独自に対象の要素を定義すれば、後天的に思考する機能自体も定義できるという事になる。
これは互いに共有して理解する必要のない空想や創造において、芸術などの分野の作品に適用される。

ただし、1点注意が必要なのは、
知能活動は自然界に存在する変化のいずれかしか認識できないため、
思考の知能活動も、「必ず」その変化のいずれかの反応が元になっていると言える。
という事である。
つまり、知能は、自然界に存在する何らかの現象や事象しか認識する対象が存在しないため、
そこから生じる思考や知能、知能活動というものは、
その認識対象を組み合わせたものしか存在しえないという事になる。

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思考の優先度について:

思考の優先度について考えると、
まず、欲求によって思考する目的と結果が作られた場合、
この欲求の認識によって、目的と結果についても同時に認識される事になる。
これによって、この目的と結果に含まれる対象や事象が励起され、
それに含まれる要素に関連した思考方法、知能活動の方法も同時に励起されることになる。

知能は、この段階で、思考するという認識によって思考状態が維持されており、
その維持によって、さらに思考するという認識によって、
知能活動の方法が、さらに励起され、認識に至ることになる。
この認識によって思考の試行が行われることになり、価値評価によって、
さらなる思考の継続か、思考の終了が判定される。

そして、この知能活動の方法の優先は、
目的と結果の対象が保有する要素に対して関連を持つ知能活動方法が励起されるため、
その要素に適した知能活動としての関連が用いられる→認識されることになる。

「思考はあてずっぽうではない。」という事は、
つまり、目的と結果を認識した時点で、それが持つ要素に関連した知能活動、その方法が励起されるので、
自ずと、思考は思考する対象に適した思考方法が用いられると言える事になる。

また、思考の傾向が存在するということも言える。
これは、ある個体の知能が用いる思考は、
その個体が欲求する対象について思考する事が多い事になる。
この場合、その個体が思考する知能活動の方法は、
その個体が欲求する対象が偏るため、思考にも偏りが生じる事になる。

これは、思考や思考の結果についての価値評価、価値観の形成にも関係するため、
知能毎に思考の傾向と、その価値評価にも偏り、傾向が存在する事になる。

つまり、その個体の成長過程において経験された価値や思考によって、
その後の価値観や思考の傾向が決まるという事になる。
当然、思考に傾向が存在すれば、その知能が用いる思考には優先度も価値評価の中で形成されることになる。

つまり、思考パターンと言われるものや、そもそもの性格、人格といったものも、
その成長過程で形成されることになる。

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私は知能や人工知能に対して思考する時、
よく、「~別のこれはどうか?」「~それが別の何かだったらどうなるか?」
「~が無かったらどうなるか?」「例えば~の場合、自分はどう考えるか。」
という考え方をすることが多い。
自分で自分について考える時、その多くが「仮定」とその「試行」によるものが多い。
つまり、「例えば~だったなら。」という方法で考える事が多い。
恐らくこれは、これまで経験した事の無い考え方を見つけるために、
私が繰り返し行ってきた方法なのだろうと思うのだが、
きっと私はその方法でこれまで良い価値評価を得てきたのだろう。
知能や人工知能においては、まだ知られていない、明確な答えが存在しないという、
定義がまだ存在していない対象が多い為、そのような方法を用いているのだと考えられる。
つまり、私の知能は不明瞭な対象の答えを求める際には「試行」を優先するという事になる。
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上記自体も私の思考においては「試行」であると考えられるが、
ということは、
思考の優先度は、その個体が持つ対象についての要素の価値定義と、
その要素に対して関連した思考方法、知能活動の方法を用いる価値評価、
つまり、思考の経験によって形成された思考方法に対する価値観によって決まる。

そして、何らかの思考を行う必要が生じた際には、
その思考方法による価値観によって用いられる思考方法の優先度が決められるという事になる。

大まかには理解できたが、詳細についてはまた今後考える事にする。
今回はこの辺で。


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