2023/6/6

思考と創造の手順と要素

284で何か新しい事を考えるという知能の活動に対して、
知能活動の目的と結果を関連付ける刺激集合に対する「定義」を決める事が、
その知能活動の説明となると考えた。
そして、それなら、その「定義」については、
どこから生じるのかについて考えた時に、
それは自然界から得られる事象だと考えた。

では、その思考などの知能の活動において、
その「定義」されるときの元となる「定義」の選択において、
何が基準となって選択されるのか、という情報についてはまだ不足しているので、
今回はその「定義」の選択基準となる指標や、
その「定義」が用いられる理由について考えてみる。

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今回この表題にするきっかけとなった考えは以下の通り。

1:変化の定義と、変化の概念を知る事が思考の元となる。
2:対象に変化の定義・概念を適用する事が思考する事となる。
3:変化の定義・概念の抽出。
4:言葉による定義についての考察。

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1:変化の定義と、変化の概念を知る事が思考の元となる。
2:対象に変化の定義・概念を適用する事が思考する事となる。

ある認識可能な対象に対して、変化の定義・概念を適用することによって、
その対象は、その変化の定義・概念によって、
何らかの状態を変化させた新しい状態となる。

対象
↓←変化の定義・概念
状態が変化した対象

これは、思考における目的と結果の関係がそのまま適応することになり、

目的
↓←変化の定義・概念
結果

知能が、その欲求の目的として「思考」したと感じる時に行われている事は、
この対象に対する変化の定義・概念の適用なのではないかと考えた。

つまり、「思考」で行われている事は、
目的と結果の関係を繋ぐ変化の定義・概念の選択なのではないかと考えた。

これまでは、漠然と目的と結果の関係を「もっともらしい」何かで関連付けると考えていたが、
この「もっともらしい」何かというのが、「変化の定義・概念」であると気づいた事になる。
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3:変化の定義・概念の抽出。

変化の定義・概念にはどのようなものが存在するのか具体的に考えてみた。

増える・減る・無くなる・発生する・変わる・大きくなる・小さくなる・
置き換わる・移る・戻る・進む・落ちる・上がる・下がる・止まる・
入る・出る・入れる・出す・分ける

「入る・入れる」などについては主体的か受動的か、
その操作対象の存在の有無によって表現の違いだけということになるが、
変化の定義・概念の表現にはそれぞれの違いが必要となる。

などなど。

生体においても変化は存在する。

痛い・気持ちいい・楽しい・悲しい・驚く・怒る・鎮まる

などなど。
生体においては、感情の変化などもこの定義・概念の対象となる。

次の4:の項目にも関連するが、
「変化」の定義や概念は、その認識に対して言語での表現が関連していることになる。
つまり、変化を表現できるということは、その表現の意味を持つ「言葉」を知っている、
認識して記憶しているということになる。
そして、知能がその変化の定義「言葉」を思い出すとき、
それは何か元の状態と、変化による後の状態が存在する事が認識できる。

これらは全て知能が認識した状態変化であり、
その変化はすべて自然界に存在する事象の変化を認識することで知ることとなる。
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4:言葉による定義についての考察。

3:で気づくのは、変化の定義・概念が「言葉」「言語」によって表されている事である。
私も最初、変化の言葉を思い出そうと試み、それは当然の事と考えていたのだが、
列挙した変化の言葉は皆、私の知能内で変化の事象として定義済みである対象として想起された事に気づいた。
つまり、私が知らない変化の定義が存在していたら、それは私の知能においてであるが、
その変化は思い出せない、認識できないという事になる。

これは、人類の歴史の中においても、そのような場面はいくらでも存在していたはずであり、
都度、その変化の概念が定義されたことにより、その認識可能となる定義とその言葉が
作られ続けてきたということになる。

これは、284にある、知能が自然界に存在しない何かを自ら作り出したことがあるか?
という問いの答えにもなる。
自然界に存在する何か、それは物体でも現象でも良いが、
その何かが存在しない事には、定義は不可能であり、定義が存在しなければ、
その変化について、知能は思考できないという事になる。
そして、自然界において存在する対象があったとしても、その定義無しには
知能はそれを「存在する何か」としか認識できない事になる。
そして、その「存在する何か」についての定義を作り出す事により、
知能はその対象を詳しく知る事になり、
変化の事象であれば、その変化を思考において用いる事が出来るようになるというわけである。

だから、もし「分ける」という言葉、概念の存在しない社会があったとしたら、
その社会においては、割り算は成立せず、
例えば、2つの物を2人で所有する場合、
1人ずつが順番に1つずつを所有するという表現で表されるようになるのではないかという考えになる。
そして、2つの物を3人で所有する場合、(2/3)は存在せず、
交代して所有するか、きっと所有について争いが起こることになるだろうと考えた。
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思考の手順と用いられる要素:

単純な物体として認識しない形容や状態、変化についての認識において、
その対象の定義と概念も、何らかの単体刺激の集合となっているはずである。

思考においては、この物体でない認識対象が用いられる事になると考えられる。

思考における自然界の認識対象には、実際に形の存在する物体と、
実体の存在しない変化に分けられる。
つまり、簡単に言うと、物と現象という事になる。

自然界

認識対象

物体 or 変化


変化は知能によって扱われる間にその知能による概念の受容によって、
定義を受ける事になり、定義による価値の発現により、価値評価を受け、
一定の価値が認められると認識されることになる。
つまり、変化の重要性、変化することに対する意味に対して価値が設定、評価されることになる。
人間のような知能であれば、その変化に対する驚きや、目新しさ、興味という所に価値が設定されることになる。

変化

変化の概念←定義

価値評価→↑(認識に満たない価値の場合は繰り返し)

認識


思考においては、目的と結果の間の関連を創出する事が行われ、
その関連によって結ばれる対象には、
変化の概念が適用され、この変化によって、目的と結果の関連に価値が生じた場合、
価値評価によって認識されることになる。

思考

目的と結果

目的と結果の関連←目的と結果にあらかじめ関連している要素

対象←変化の概念の適用→↑(認識されない場合は先の関連とは異なる関連を要素の候補とする)

価値評価→↑(認識に満たない価値の場合は繰り返し)

認識(目的と結果と価値ある関連)

思考の完了

つまり、思考に用いられる要素として、
変化の定義・概念が存在する事になる。
優先される変化の定義・概念は、目的や結果が持つ要素についての変化である。
例えば数量であれば、増える・減るなど、大きさであれば、大きくなる・小さくなる等である。

これを創造に当てはめてみると以下のようになる。

思考:創造

目的:元の状態
結果:後の状態

目的と結果の関連←目的と結果にあらかじめ関連している要素

対象←変化の概念の適用→↑(認識されない場合は先の関連とは異なる関連を要素の候補とする)

価値評価→↑(認識に満たない価値の場合は繰り返し)

認識(元の状態と後の状態と価値ある変化)

思考:創造の完了

284で例に挙げた「りんご」の認識の件で言えば、
「りんご」を思考・創造の元の対象の状態とするならば、
結果を「新しいりんご」について創造するならば、
最初の目的と結果の関連においては、284で挙げた「りんご」「リンゴ」「林檎」の名称や、
色の情報、形の形状や画像が関連する要素として励起される。
もしかしたら昨日の「紫色のリンゴ」や「スイカ模様のりんご」も思い浮かべたかもしれない。
そして、その目的と結果の関連として、
それらの「りんご」を対象とした関連する変化の概念が優先的に持ち出される事になる。
つまり、「りんご」が持つ要素としての名称や色、形、に対して、
その名称や色、形が変化する定義・概念が優先的に、その関連として想起、使われることになる。

つまり、284で私の挙げた例の「りんご」の色が紫であったり、スイカ模様の「りんご」というのは、
私が「りんご」の持つ要素としての「色」「画像」に対して、それに関連した変化として、
「色の変化」「画像の模様の変化」の定義・概念を持ち出して、
結果の対象として「紫色のリンゴ」「スイカ模様のリンゴ」を作り出し、
それを価値評価し、価値がある物として自ら認識し、それを284の例に挙げたという事になる。

創造も思考の一環であると考えられるので、
思考に用いられる要素はそのまま創造においても用いられる事になる。
であれば、逆に創造で用いられる要素は、汎用的に「思考」の要素であるということにもなる。
これは創造であっても、想像でも、空想でも、思考に関する知能活動においては、
それぞれが共通する要素を持っていると考える事もできるという事になる。

現時点では、思考の要素としては、

認識可能な物や現象
認識可能な物や現象が持つ要素(数量・色・形状・状態などなど)
変化の定義・概念(要素に関する変化)

が挙げられる事になる。

結果の成果物に対する価値評価や認識は、思考とは別の機能であるので、この要素には含まれない。
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人工知能の創造について:

知能においては創造することの得意な知能というものがある。
人間とそれ以外の知的生命であってもその差というものがあるが、
人間の知能においてもその差は存在する。

興味を持つ分野というのは人間においてもまちまちだが、
その興味ある分野の中にも創造する知能とそうでない知能がある。

何か新しい対象の定義をすることに価値を見出した知能という事になる。

既存の価値というものは、既に価値が定義された対象であり、
何か新しい対象の価値というものは、その価値は未定義である。

人間が例えば何か絵を描いた時、
そこにはまず作り手の価値が定義されることになる。
作り手は、その絵を描くことに価値があると認識している為、
その目的と結果において、絵を描くことに対する欲求を持っている事になる。
作り手はその欲求に従い目的と結果を関連付けるため、
その変化として「絵を生じる」つまり「絵を描く」という行動を、
その目的と結果の関連として定義することになる。

そして作り手は絵を描くのだが、
作り手が絵を描いた時点で存在する価値の定義は、
作り手が持つ絵に対する価値の定義だけとなる。

作り手だけに限って言えば、この時点で一度「創造」は完結している。

他人の評価や定義についてはまた別の話となるが、
この「創造」について人工知能はどのように関わることが出来るだろうか?

現在存在するAIの画像創出は基本的に人間が指示したキーワードと、
画像の学習によって保持した画像の要素からなる事になる。
しかし、強い人工知能における創造としての画像の創造においては、
まったく異なった手法が取られることになる。
実際は人間が思い描くような絵の描き方に似る事になる。
つまり、人間が創造して画を描くという変化しか人間は知らないので、
他の手法を人工知能に与える事が出来ない。
もし、人工知能が自ら新たな絵画の創造手法を見つけ出せば、
それは人工知能独自の絵画の創造手法ということになる。
過去人間においても絵画の描画手法というのは様々考えられてきているが、
人工知能においてもそれが適応されることになるわけである。

上記の思考と創造の手順などでも考えた事だが、
創造において、これは思考においてという事にもなるが、
人工知能が創造性ある何かの知能活動を行うには、
まず、その変化の基となる事物、つまり、認識可能な物と、事象、つまり、認識可能な状態の容態、
これを認識して記憶する必要がある。
そして、それらの対象に対して変化を起こす事の出来る定義と概念を認識する事、
人間においては、その概念を言葉と、その概念を説明する定義でしか表現できないが、
人工知能においても、仮想的な対象に対する変化とその概念を定義として持たせるしか方法が思い当たらない。

つまり、「対象」として仮想的に汎用的なオブジェクトを存在させ、
人間についても人工知能についても、その仮想的なオブジェクトを事物のテンプレートとして用いる事で、
変化を起こす際の実際の物や事象に対して、ベースとなるクラスとして、
実際の思考の際の置き換え先として用いる事ができるようにする。
つまり、事物に対して汎用的な受け皿としての形態を持つ「対象」を用意し、
その「対象」に対して認識を行ったり、要素を持たせ、その対象を存在させることになる。
まず、これにより、「思考」の汎用的な手法を記憶する方法を確立させる。

後は実際の物や事象、変化について経験し認識する事で、
その後の自発的な思考、想像の際には、その汎用的な思考の手法の、その汎用的な対象に対して、
実際の事物で置き換え、記憶されている変化の定義・概念を適用させれば、
人工知能においても人間のような創造的な何かを生じさせる事が出来るようになると考えられる。

要するに上記の手順について、
知能活動の思考でも創造でも創造でも空想でも使えるような、
モデル化、テンプレート化をして、
オブジェクトの概念で汎用的に使える考え方に当てはめようという事である。
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今回は思考や想像の手順や要素について、
全体的な流れを考えてみた。
細かい部分も考える必要があると思うが、
それはまた後程ということで。

実際の所、自分自身の思考や創造というものも、
例えば、この考察自体が自分が持っている不明な知識に対して、
自分自身で変化を適用して新たな定義をして、それに対して価値を評価して認識しているということになる。
そういう点では、自分自身が多くの変化を知り、価値の評価基準を持っていることが、
よりよい思考をするために必要という事になる。
これは思考自体の核心なのではないかと、ふと思った。

そろそろ頭も疲れてきたので、
今回はこの辺で。


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