2023/6/5

人工知能の創造性

まず最初にはっきりさせておくのは、
創造によって発現する認識対象の所在、
その素材、創造の成果物である。

環境から得られるような感覚器官が受容する刺激ではない。

創造が思考に相当する機能であることから、
想起がその機能の利用される基礎となる仕組みである。

創造で用いられる素材は、想起であれば記憶されている刺激が用いられる。

創造の結果の成果物は、認識が必要であり、得られる対象は刺激集合であるので、
最終的に、創造によって発現した認識対象の所在は、
脳内の知能内という事になる。

また、想像の結果物は、想起を元にして再構成された刺激集合であるという事になる。

所在:脳内の知能内で把握される範囲
素材:記憶された単体刺激・刺激集合
成果物:刺激集合
結果:認識される

想起の働き:思考としての目的:創造
想起の働き:思考としての結果:創造による成果物である刺激集合

この時点で不明な点は、
素材から成果物に至る際の、刺激集合の再構成時に用いられる関連の出所と、
その関連の作成方法という事になる。

つまり、「創造」として働くことになる想起において、
その目的としての「創造」によって結果として得られる「成果物」の刺激集合を、
手持ちの記憶にある刺激・刺激集合から、
どのようにしてその関連付けを選び、関連付けるかが分かれば良いことになる。

つまり、創造の際の、知能の働きとしての思考において、
その思考の結果得られる事になる刺激集合の素材、刺激と刺激集合の、
「関連」がどのように創出されるかが分かれば良いことになる。
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これまでの考え方によれば、
ある認識対象が、その価値によって認識されることが決まった場合、
その認識対象に関連する他の刺激も対象の認識の後に励起されることになる。

例えば、リンゴを認識した際に、文字の「りんご」「リンゴ」「林檎」や、
リンゴの色としての赤い色、青りんごの色、赤いリンゴの画像、青りんごの画像は、
最初のリンゴの認識の際に励起されていて、そのために、
リンゴを認識し、意識として考えるという思考状態が維持されたときに、
その関連する刺激が容易に想起されることになる。

つまり、リンゴを認識した際に、
今まで見た事の無い紫色のリンゴや、スイカのような縞々のリンゴは関連して励起されない、
ということになる。
ただ、実際、今↑これを読んでしまったからには、
頭の中に紫色のリンゴやスイカのような縞々のリンゴを想起してしまった事だろう。
そして恐らく今後、リンゴを想起した際には、他の無関連な刺激は想起されなかったとしても、
紫色のリンゴやスイカのような縞々模様のリンゴを想起する事になるかもしれない。
そうなってしまい、忘れられなかったら申し訳ない。

というように、創造の際にも、その想像する目的と結果を認識した際に、
その時点での関連する刺激は励起されている事になる。

思考における働きは、、創造や想像、などに関わらず、
基本的に過去の経験として行った事のある手順を使う事になる。

論理的であれば、論理的な、他の流用であれば他の流用、
足したり引いたり、差し替えたり、置き換えたり、といった、
実際に過去に経験したことのある手順を用いて、
今行う思考の方法として用いる事になる。

実際には、過去に経験した手順しか用いることができないので、
自ずと経験した事のある手持ちの手順・方法を用いる事になる。

となると、新しく何かを創造するという場合に、
過去に存在しなかった新たな手順や方法は用いることができないという事であれば、
もし、その創造の対象が新たな考え方としての手順そのものであった場合、
考え方自体を新たに創造する事はできないのではないか?
という疑問が生じる。

もちろん、その個体の知能が、その手順や方法を経験した事が無ければ、
今回も、以降も、その手順や方法は用いることができない。

しかし、考え方にしても、論理などの組み立てにおいても、
創造して、新しい発想ができる、それが出来るのはなぜかという事になる。
これは、そもそもの創造の根本的な問題という事になる。

それまで存在しなかったモノが、なぜ作り出すことが出来るようになるのか?

今気づいた。

種明かしをすると、
実際の所、存在しなかったわけではない。という事なのである。
つまり、思考の創造などにおける結果は、「経験した事の無い何か」ではないという事になる。

そもそも、思考において、目的と結果が存在しない事には、思考自体が行えない事になるが、
何かその知能にとっての新しい結果を得るための思考を行う際には、
その新しい結果というのは、思考する、という活動が行われる際には、
すでに結果としての認識対象は既に持っている事になる。

ただ、その結果について考えるのに結果を既に持っているというのは、おかしな話だが、
結果を得るために思考する時点で持っている結果というのは、
まだ不明瞭な、不明確な、漠然とした、目的との関連が正確でない、価値の評価できない、
結果であるという事なのである。

つまり、思考する目的として期待される結果というのは、
思考する事自体に対しては、思考の開始時に認識さえできれば、
それほど正確である必要はないのである。
(もちろん、正確であるなら、それは単に「確かめる」というだけの機能になる。)

これは「思考」について考えた168・169付近の考察にもある。
思考の手法そのものが新しい必要はなく、
結果として得られる成果物も、まったく新しい何かにはなり得ないという事になる。

つまり、もし、創造の結果が、新しい思考の考え方や手法であったとしても、
それを目的の結果として認識できているということは、
そもそも目新しい何かではありえないという事になる。

さて、では、思考は、創造は、新しい何かを作り出す事は出来ないのか?
という疑問が出てくる。
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さて、ここで知能に問う。
「知能はこの世に存在しない仕組みを何か作り出したことがあるだろうか?」


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事象にしても、法則にしても、知能が認識できる対象は自然界に存在している事象や法則である。
発明や発見にしても、自然界に存在していた事象や法則を見つけ、知能が認識できるように表したに過ぎない。

天然には存在しない人工元素についても、自然界にはその規則に従って存在する可能性はもともと存在する。

現実世界には存在しないが、仮想や空想における世界や事象、例えば非現実的な魔法や超能力についても、
その元となっているのは自然界の規則や法則である。

人工知能についても、人間の知能の人間による再現である。

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あらゆる存在は、
自然界に存在する状態や事象がその参考になっている。

科学などにおいても、実際に起こる反応は見て取れるが、
人類の科学の歴史において、その反応が解明されるまでは、
様々な考察や思考や実験が行われてきた。

知能が、また不明確な何かの事象に対して思考したときに、
それが「確からしい」という目的と結果の関連が得られ(認識され)て、
その事象が科学的に説明された、解明されたという事になる。

これは創造であっても同様で、
創造の目的と結果において、初期の結果はそれほど正確でないかもしれないが、
その事象の認識はできる。
そして、その思考の働きの結果として目的と結果の関連が「もっともらしい」という
認識ができたときに、創造が完了したという事になる。

そして、その思考に用いられるあらゆる要素は、
全て自然界に由来するということになる。

人間の知能が考える法則や手法、その新しく考える何かについてもである。

例えばゼロ「0」の概念というものがある。

インドの数学者が考え出したと以前テレビで見たことがあるが、
ゼロは自然界に存在しなかったわけではない。
何も無いという状態は自然界に存在はしていたのである。
しかし、ゼロの概念が存在していなかっただけなのである。
ゼロの定義が存在してなかったのである。

それは無限についても言える。
無限は何らかの対象の存在がどこまでも継続される状態であるが、
その際限が無い。という状態である。
では、人間が無限について認識する事はできないか?
という事になるが、人間は無限を「∞」の記号で定義した。
人間は無限を定義したことにより、
無限を把握できるわけではないが、認識できるようになったのである。

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つまり、「定義」が、この目的と結果の関連を創出するきっかけ、種明かしの種になるというわけである。

つまり、創造的な何かというのは、
何かを定義する事そのものだという事になる。

質問に対して答える。
それは質問に対する答えを答える知能が文字で定義して表したり、
言葉で発音して答えを定義する事。
その答えを見た側の知能は、その定義を経験として受容する事になる。

皆が共通して持ちうる定義は、
式や法則や規則として皆が一様に認識できる定義で表される。

皆が共通して持つ事のない定義は、
例えば芸術などとして表されることになる。
芸術にしても、自身だけが持つイメージを絵画の画像という定義で表す。
音楽にしても、音階、楽譜、音の定義で表す。
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人間の知能による創造、創造性という機能は、
自然界に存在する、認識可能な対象全てにおいて、
ある特定の組み合わせに対して、人間の知能が認識可能な定義を設定する事。

という事になる。

つまり、人工知能が創造、創造性という機能を持つには、
まず、思考の素材として、
自然界に存在する事象に対して「認識」が出来るようになること。

そして、人工知能が価値の定義として後天的な価値の定義が行えるようになること。
(これは283を参照)
一応、現時点で、この後天的な価値の定義を与える対象自体を作り出す事については考えていない。
初期状態においては、人間が保有する知的な未解決な要素に価値を定義して与える事になるだろう。
自然界に存在するあらゆる法則の解明という漠然とした価値の定義でも良いだろう。
思考において不足する認識対象の要素があれば、
それは思考において、細分化や置き換え等を行う必要があるが、
この思考の手法についてはまた別の機会に考える必要があるだろう。

そして、欲求による思考、これは創造でも、想像でも空想でも何でもよいが、
後天的な新たな価値に対して、欲求を持たせ、思考するという目的と結果を作り出せるようになること。

思考する際の目的と結果に定義を与える事が出来るようになること。
この定義が、思考の際のもっともらしい目的と結果の関連の刺激集合として定義されることになる。

つまり、人工知能に対して創造を与えるならば、
その創造の機能である思考、想起において、
その対象の関連、刺激集合の関連に対して価値の定義を行う事が出来るようにすること。
ということになる。

現時点で、人工知能の認識や、人工知能の思考、という点においては、
まだその定義は、私自身の現時点でのもっともらしさはあるが、
まだ完全に定義が済んでいるとは認識していないので、
今後はその辺りについても考える事にする。
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最後に、これは私自身にも言える事だが、
各個の知能が「もっともらしい」と認識できた事項に対して、
それが普遍的に、真理であるかは、証明する手立てがない。
これは注意が必要である。
ただし、人間以外の知能、つまり人工知能が同じ問題に対して、
同じ定義の「もっともらしい」を導き出したなら、
それは人間が考えるよりさらに真理に近づいたと考えても良いと考えられる。

今日はこの辺で。


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