2023/6/3

人工知能の為の価値の定義

282で人工知能が「価値を得る事」のために、
刺激についての定義や価値評価を準備する必要があると考えた。
より根幹にあるのは刺激であるが、
刺激については生体のハードウェアに近い部分であり、
現時点で、その詳細が掴めていないので、
今回は上位の存在の認識や価値から刺激の方に向かって考えてみる。

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まず、なぜその対象が欲しいと感じるのか。

基本的欲求による対象の価値設定においては、
生体がその基本的欲求毎の緊急性に応じて遺伝的に持つ刺激の定義により、
その欲求に対する価値設定を行い、
その認識によって刺激毎に対する特定の反応が生じ、
それを欲求への対応として感じる・認識するように出来ている。
そのため、生体は基本的欲求に対する行動を起こさざるを得ないように出来ている。

生物は放っておいてもお腹はすくし、喉は乾くし、眠くもなる。
であれば、食べ物を探す、飲み物を探す、寝るために横になる。

その行動や目的に対して、言語的な意味としては漠然としているが、便宜的に「価値」を設定するとする。
基本的にこの場合の価値の高さは「刺激」の強さであり、
強い刺激として感じる基本的欲求の方が、その個体に対しては強い働きかけをすることになる。
もちろん、強い刺激であれば、他の刺激より優先的に認識に至ることになり、意識する対象にもなる。

もちろん、その対象は欲求の対象であるので、
その状態は生体の生命活動にとっては何らかの不利益や、不均衡な状態であることになる。
つまり、その状態が続くことは、生命としての存在維持、保持において良くない状態であることになる。

となると、生命体は、この「価値」を持つ、良くない状態に対して、
この状態を解消するための反応を起こすことになる。
実際には、この反応というのは、
その良くない状態の改善方法としての行動や目的を思考(=想起)して作り出し、
それを認識して、実際に行動に移すべく実行する事になる。

そして、それらの知的活動1つ1つには、それぞれ「価値」が設定されて認識される必要がある。
それによって認識の連続性により、意識的に活動している感覚を覚える事が出来るようになる。

ここまでの考え方によれば、基本的欲求に対して、
その欲求対象が欲しい、というか、実際はその欲求対象に対する「対応」の方が「欲しい」と感じる事になるが、
それは、最初の欲求となる刺激の価値が認識された後、
その対応として新たな価値、この場合、対応する目的や行動に対して「価値」が作り出されたことになる。

さらに言えば、この「価値」は、目的や行動として認識されるための、想起による刺激でもある。
そして、それは、さらに言えば、想起の対象は過去の経験にあるので、
過去の記憶の中から、この目的や行動に対して、
よりよい、期待値の高い、もっともらしい価値を持つ経験を想起することになる。

この時の想起の対象は、わざわざ面倒であったり、苦労したり、労力を使うような対象ではなく、
その知能が持つ、記憶する中で、その知能が最も良い、最も価値の高いと記憶する対象が想起の対象となる。
ただし、知能がその思考の中で、あえて面倒な対象に価値が高いという設定をしていれば、
それが想起の対象となることもありえる。

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最初の欲求の価値が認識された後、その欲求の価値は一度この認識で完結し、
その反応として目的や行動としての新しい「価値」が生じ、
その認識によって次の活動に移ったという事になる。
これについては認識と意識の連続性が関係しているということになる。
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では、もし、個体が誕生してまもなくであり、目的や行動の為の記憶や経験を持ち合わせていなかった場合の、
欲求に対する、その対応策の経験が無かった場合について考える。

この場合、欲求の価値を認識したとしても、
生命体としてできる事は限られている。
個体のその時点の能力として、移動手段を持つか、何らかの情報を発信するか、活動する機能を使う等、
個体が誕生した時点で持つ能力を使うしか選択する方法が無い。

例えば人間の赤ん坊であれば、お腹がすいても、じたばたするか、泣くか、手にした物を口に運ぶか、
といった行動をするしかない。
人間でなかったとしても、自身が持つ機能や能力を使って行動するしかない。
つまり、欲求に対して対処したという経験を持たず、
その対処自体を経験したことのない個体においては、
欲求の価値を認識した場合、その対処としては、
その時点で持ち合わせた対処方法、この場合は遺伝や本能として持つ機能に「価値」を定義し、
それを対処する目的や行動として認識して実行する事になる。
少なくとも、欲求の価値に対する対処として生命の個体が行わざるを得ない対処として、
手持ちの機能を使ってそれに「価値」を定義し対処する事になる。
これで欲求の「価値」に対して良い結果が得られなければ、
それは対処としての経験として、「価値」の低い対処方法であったと記憶され、
欲求の「価値」に対して良い結果が得られたのであれば、
それは対処としての経験として、「価値」の高い対処方法であったと記憶され、
次回以降の同じ欲求の「価値」に対するもっともらしい対処として知能は優先的に想起対象とする。

これらの事から考えると、
個体の活動における単位として、それぞれ「価値」が関わっている事になる。
欲求となる原因の「価値」、その対策として行われる目的や行動の「価値」である。
それらは、その認識においてそれぞれの「価値」が対象となり、
その認識の連続性の中で意識という状態になる。

つまり、なぜその対象が欲しいと感じるのか?は、
その対象に「価値」が設定されているから、「価値」が設定されるから、という事になる。
ここまでの考えでは、その対象は基本的欲求であるので、それらは遺伝、本能として、
それらの対象に対して「価値」を設定する定義を持ち合わせていて、
つまり、個体の誕生とともに、その定義を持っていて、
その定義が、個体の活動とともに生じる欲求に対して適用され、
欲求に対する「価値」が設定されるからという事になる。

その後の目的や行動に対しても「価値」は設定され、その次の認識候補として用意されることになる。

そして、
後天的価値の欲求に対しても、この考え方は適応するはずである。
後天的に学んだ価値に対しても「欲求」としての対象となった場合には、
その価値に対して認識が起こることになるわけであるし、
その欲求への対応として、目的や行動を用意する場合においても、
その記憶や経験により、もっともらしい対象を「価値」を定義して次の認識に準備する事になる。

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「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、
元々は人々の生活において衣食に困るような事がなければ、
その人々が暮らす社会も安定するというような意味であったと記憶しているが、
この先天的価値の欲求が足りた状態に対して、
それ以外の後天的価値の欲求にも対処する事が出来るようになるという考え方と似ている。

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保有する定義の種類:

「価値」の表現をそのまま用いるとすると、
あらゆる認識対象は「価値」を持っている事になる。
そして、その「価値」の定義は基本的欲求などとして持つ「先天的な定義」と、
経験などから学ぶことになる「後天的な定義」が存在する事になる。

感じる刺激や基本的欲求、思考して生じた目的や行動に対しても「価値」は定義され、
認識可能な対象の全てに「価値」が設定されている事になる。

そして、その「価値」の定義は「先天的な定義」か「後天的な定義」が用いられる。

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価値の定義の要素について:

価値の定義の要素においては、
その対象が認識されるための指標としての「度合い」がある。
つまり、刺激の「強さ」で表されるような、強度や大きさという事になる。

知能内には同時に多種多様な刺激が送られてくるが、
その中で、その瞬間に認識しなければならない刺激を比較する必要がある。
その基準となる要素である。

この強度、大きさや度合いは、定量的では表せない。
各個体に応じてその対象毎の定義の基準も異なる。

以前、251で表した、
(定量的な刺激情報)×(個体差のある刺激の受容能力)×(個体差のある刺激の価値評価)
=>「刺激の認識」
にあるような個体差の存在によって、その量を客観的には定量的に表すことは出来ない。

それは、定量的な物理的な仕事に対する刺激であっても、
通貨のような数値で表すことのできる対象の刺激であってもである。
例えば、
特定の重さを持つ物体が、ある速度で普通の人に当たる場合と、体を鍛えた人に当たった場合の受けた衝撃の価値評価や、
子供にとっての1000円と大人にとっての1000円の価値評価が異なるという事である。
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不変な定義と、可塑的な定義:

「先天的な定義」と「後天的な定義」において、
「先天的な定義」が用いられる人間の五感や他の感覚においては、
その感覚器官が持つ刺激の受容能力に対して、不変な定義であると考えられる。
ただし、個体の成長や老化に対して、脳の成長・老化や刺激の受容能力は変化するため、
その知能が用いて定義する事になる「価値」は、その個体の能力毎に変化するが、
特定の個体の、特定の年齢の、特定の瞬間時の受容能力において、その個体が持つ「先天的な定義」は、
その個体の状態に対しては不変であると考えられる。

つまり、「先天的な定義」は、遺伝や本能として持つ定義であるため、
その個体の成長に即した定義となるが、
常に参照先は同じ知能、脳が用いられるため、その定義は不変であるという事になる。

ただし、同じ種、同年齢であっても、脳が違えば個体差は存在する。

「後天的な定義」は、遺伝や本能では持たず、学習可能な定義であり、
これは基本的に全て可塑的な定義である。
個体ごとに刺激の受容能力や記憶能力等が異なり、価値の定義は異なる。
当然、個体差も存在する。
再定義も行う事ができる。
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価値の定義の要素について:

現時点で考えられる要素は、

「指定対象」:刺激として認識できるあらゆる対象が候補

「定義の参照先」:「先天的な価値の定義」または「後天的な価値の定義」

「価値」:認識の為の価値の度合い

「個体差」:対象毎の補正度合い

が存在する事になる。

「指定対象」は先天的・後天的のどちらにも共通する要素であり、
その数は認識されうる対象の全てが要素の候補となる。
要素の数は記憶の増加に応じて追加されていく。
つまり、指定対象の数だけ価値の定義が存在することになる。

「定義の参照先」は、
「先天的な価値の定義」と、「後天的な価値の定義」は、その指定対象毎に存在する事になる。
また、「先天的な価値の定義」だけを持つ場合と、「後天的な価値の定義」だけを持つ場合、
また、指定対象に対して両方を持つ場合があるが、
言語表現的に同じ、例えば「空腹」に対する「先天的な価値の定義」と、「後天的な価値の定義」はそれぞれ存在しうるが、
それぞれの定義は同時に認識されることは無いため、別の価値の定義となり、
認識される際の価値の定義は異なる。

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「先天的な定義」や「後天的な定義」においては、
人間が「理性」として扱うような「後天的な定義」も存在する事になる。
これは互いに定義の参照先は別であるが、
「先天的な定義」として持つ指定対象(本能の欲求ということになるであろう)が、
「後天的な定義」においても定義された内容の例となる。
つまり、ある指定対象について、各個が持つ先天的な定義に対して、
各個自身の客観的な見方における、後天的な定義として表したものとなる。
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「価値」は「認識の為の価値の度合い」として、
その指定対象となる刺激に対して個体にとっての価値が定義される。
先天的においては遺伝や本能として生来的に持つ設定される量であり、個体毎に固有の量である。
後天的においては、その個体が置かれた環境や経験から学び記憶する価値の定義量となる。

「個体差」は、
「認識の為の価値の度合い」に対して概念的には量的に乗算して
先天的な定義は、その個体の成長度合いに応じて、
後天的な定義は、その個体の経験によって、
この度合いを補正する事になる。
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「個体差」の内の要素:

価値の定義においては、過去にその価値要素として、
価値の大きさと価値の関連として、
その量と、価値のベクトルの向きで表現してきたが、
この価値の量は、

価値の量=「価値」×「個体差」

で表現されることになる。

価値の関連・価値のベクトルについては、
価値の関連として同じ要素同士の価値のみが比較可能であるという考えである。
つまり、互いに価値の関連のない刺激同士であれば、
単純に価値の量で比較されることになるが、
互いに価値の関連が存在する場合は、
その指定対象の価値評価に対して、価値の向きが付加されることになる。

先天的な価値の定義にはこのベクトルの概念は適用されないが、
後天的な価値の定義には、このベクトルの概念が適用される。
これは、後天的な価値の定義には規範となる絶対的な価値が存在しないためである。
先天的な価値の定義が、生命としての遺伝や本能として、
各個体が持つ固有の定義、固有の量であるのに対し、
後天的な価値の定義は、その個体の状態や、その価値の定義が存在する環境や社会の状態に依存するため、
その定義が、あらかじめ可塑性を持つ事が決まっているためである。

つまり、このベクトルの概念は、個体差の中に含まれ、
その価値の比較の際に、特定の条件として、価値の関連が存在する場合にのみ参考にされ、
個体差として追加で補正される要素となる。

ベクトルの概念の参考:214・193・176

ベクトルの概念の説明に追加する内容としては、
ある指定対象に対して、
個体が所属するコミュニティにおいて、その指定対象に対する規範や常識として存在するような、
つまり、ある集団における価値観、その集団が持つ価値観としての向き、
つまり、その集団が、その評価対象の価値に対して好し悪しの評価を与えた場合に、
それに対して、個体が独自に持つ価値の良し悪しの向きにズレが生じる可能性があり、
それを現したものが価値のベクトル、向きとなるというわけである。
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知能における価値の意味:

知能における価値の意味は、
基本的に持つ意味としては、その価値を持つ刺激が、
その知能を持つ個体に対して、どれだけの強い刺激であるかの指標という事になる。

認識の際に刺激を選択する機能は、
かなりシンプルであり、その選択の際に存在する刺激の中で、
最も高い価値を持つ、意味として最も強い刺激であるという、
その刺激が自動的に選択されるだけであると考えられる。

実際、価値を定義する際の機能の方がまだ複雑であり、
それでも、刺激の発現から、定義が適用されるというだけの事である。

また、定義自体の記憶、後天的な価値の定義は、
実際に経験した刺激に対して、その個体が感じた感覚を評価したものであり、
その評価も記憶も自動的に行われる。

先天的な価値の定義は生まれながらに持っているもので、シンプルである。

刺激の受容についても、環境から受けた刺激は感覚器官が自動的に受容する。

少々複雑なのは、想起による刺激の発現の際の、想起のきっかけが生じる際の機構くらいだろう。


それぞれの連携を考えると、いくらでも複雑に考える事はできるが、
1つ1つの機能自体は、割とシンプルに作られているはずである。
そうでなければ、短時間の間に様々な事を認識したり考えたりを繰り返す事ができるはずがない。

人間の知能においては、情報から要点だけを要素として切り出して、
漠然とした、あいまいなままの情報のままで処理できるようになっている。
そのために、見落とし、見間違い、見当違いなどの間違いも生じるが、
それを許容してなお、有効であるとして、完成させた能力が、
今の人間の知能になっているのだろうと考えられる。

今日の時点で考えられたのは以上となる。
今日はこの辺で。

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おまけ:
価値における間違いは、個体差も相まって、
人間同士のいさかいになってしまう事もあるが、
そのために、許容や寛容という考え方ができるくらいなので、
多様性とのトレードオフとして仕方のない事なのだろう。
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