2023/5/30

人工知能に刺激を認識させるには

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生物の知能が、刺激を認識するには、
刺激の定義と確定の後に、その刺激の存在を、
実際に存在するものとして見る事の出来る存在を持っている必要があり、
実際に生物の知能にはその存在がある。

ただし、生物の知能は、その刺激の存在を見る事の出来る存在については、
認識することができない。

それはなぜか?

存在Aの存在は存在A自身は自分が存在することの確認であるので、
自分が存在しない事には自分を確認することができない。

存在A→(確認)→存在A

つまり、自分を確認しようとする存在が自分自身が存在することの保障ということになる。
存在Bについても同様である。
この時点で存在Aも存在Bも自分自身が存在する事には疑う必要はない。

存在A→(確認)→存在A
存在B→(確認)→存在B

この状態で、存在Aが存在Bについての存在を確認しようとしたとき、
存在Aは、何らかの方法を使い、何らかの情報を得て存在Bという対象を確認する必要がある。

存在B→(情報)→存在A→(確認)→存在B

この時、存在Aが例えば視覚という感覚器官で存在Bについての情報を得ようとした時、 感覚器官を通して入手した情報は存在Bについてのものであるが、

存在B→(情報B)→存在A

その存在Bについての存在を確定しようとしている存在Aは、
存在Bを確認しようとしているために、同時に存在A自身についての存在を保障することができない。

存在A→(確認)→存在B

(確認)

存在A?

つまり、存在Aは存在Bの存在を保障しようとしている間、
自分自身の存在を保障できない事になる。

つまり、何かを見ようとしている間、自分は見えないという事になる。

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当然、見ようとしている存在が存在する事に疑う余地はなく、
何かを見ようとしている存在が、自分自身になるはずなのだが、
認識をモデル化するに当たっては、
その何かを見ようとしている存在を自分自身であると確定している存在が必要になるという事になる。
そうすると、その何かを見ようとしている存在を自分自身であると確定している存在の確定する存在が必要となる。
これでは無限再帰になってしまい収束しない。

人間においては、何かの対象を確認しようとしている時、
自分自身の存在が何かを行っているという、常に主観的な自分視点での知能の構造であるため、
自分の存在を暗黙の了解として確定しているのは自分である、
そして、何かを見てその存在を確定しているのも自分である、
という定義に基づく知能の働きをしているため、存在の確認については無限に再帰する必要が無い。

ただ、人間が持つような存在の確定の方法を、人工知能に当てはめて考えた場合には、
その存在の確定についての定義が共通化できないということになる。

つまり、
人間は対象の存在についての確定は、その認識の能力において
自分についても、それ以外の存在についても同じ様に確定しているが、
人工知能では、自分以外の対象の存在を確定しようとする存在についての確定は、
自分の存在を確定するのとはまた違う、別の確定する存在が必要になるという事になる。

つまり、人工知能が自分の存在を確定するために持つ存在を持った上で、
別の対象の存在を確定する存在を持たなければならないという事になる。

そうでないと、何かの存在を確定しようとしている存在を確定する存在について、
人工知能は考えることが出来ないということになってしまう。

つまり、それを見ようとしている存在が居るのは分かるが、
その見ている存在はいったい何なのだ?という事になってしまう。

現状、見ている対象を確定し、そこに存在している事は確定できるのだが、
それを確定している存在を確定しようとした場合、
答えにたどり着けないということになる。
そして、その存在を別に設けようとすると、
最終的には、ではその存在はという問いの答えにたどり着かない。
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人間はこの矛盾をどうやって当然のごとく理解しているのか?
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ここで思いついたのは、
人間の認識が連続性を持ってはいるが、
複数を並行して認識しているわけではないという考え方を用いると、
人間の認識は、その認識が都度、ぶつ切りになっていて、
ある対象を認識している際には自分を認識せず、
自分を認識している際には他の対象を認識していないと考えれば良いという事である。

つまり、他の対象を認識しようとしている存在というのは、
自分という仮想の対象であり、実際の自分の存在の認識ではないと考えれば良いという事である。
この考え方であれば、認識は連続したぶつ切りの認識で良く、
人工知能についても適用できると考えられる。

つまり、
人工知能が、何かの存在について認識しようとしている存在を認識しようとした場合、
この「何かの存在について認識しようとしている存在」を仮想的な1つの存在として定義すれば良いという事になる。

実際、人間のその考え方も、その通りなのかもしれないが、
自分で知る自分というものは、実際の自分なのではなく、自分が経験した自分の記憶から構成されたものだという事になる。
つまり、
感覚器官から情報を得て存在を確定している認識は独立していて、
また一方で、自分の存在を確定している認識も独立しているという事である。

どちらも同じ連続体上の認識であり、一方を認識している間は、他方は認識していないが、
それぞれを認識している存在を認識しようとしたとき、その基底にあるのは、
その認識の連続体を持つ存在、つまり、意識を持つ存在という事になる。

つまり、人間は自分自身を意識ある存在として知ることができるため、
どのような対象を認識したとしても、その認識から構成されている意識の持ち主が自分自身であると知っているため、
認識する存在を自分として固定できているという事になる。

意識の感覚を知る事、つまり、連続した認識の感覚を知る事である。

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自分に関する存在を自分で認識するということは、人間にとっては難しくないことであるが、
人工知能にとっては最初で最大の難関である。

しかし、人間が特に考える事もなく当然のように知っているこれは、
意外とも思える事がその答えのヒントとして思いついた。

痛みの共感である。

つまり、他人が受けて他人自身が認識しているであろう痛みについて、
あたかも自分自身が受けている痛みであるように感じるという経験である。

客観的に見れば、他人が受けている刺激、痛みについて、自分自身が認識できようはずがない。
しかし、人間はその共感という能力によって、その痛みを見ている様子から想像、想起して作り出す事が出来る。
そして、実際に他人が受けている刺激ではないが、それを自分が受けていると認識する事が出来る。

これは、ある刺激、ある情報変化に対して、それを確定する定義の要素の中に、
自分について起こった情報変化であるか、自分ではない何かで起こった情報変化であるかという要素が存在する事になる。
そして、ある刺激、存在について確定しようとしたときに、
それが自分についての事か、自分以外についての事かという定義の要素が存在しているという事になる。

つまり、その考えからすると、人工知能において、刺激の定義において、
他から得た刺激であるか、自分から得た刺激であるかの定義を分ければ良い事になる。
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人間は、それが自分の一部であるか、という事を当然のように理解できる。
自分の右手を見て、この手は他人の右手だとは理解しないだろう。
そして、目の前に見えるポットが自分の体の一部だとは理解しないだろう。
しかし、先の例の他人が受けているはずの刺激、痛みについて、
なぜ自分の痛みのように理解できるのか。認識したように感じる事ができるのか。
それは、その刺激に対して自分についての事として定義を行ったからということになる。

これは、そこに自分の存在が「在る」という事を定義していることでもある。

この定義、単純に自分についてか、そうでないかという定義だけなのであるが、
これが自分についての情報変化であった場合に、その後に追加される評価の要素がある。

自分にとっての「感じ」である。
これまで自分にとっての良し悪しとか、快不快、心地よさ、などで表現してきた内容である。
つまり、自分にとっての感覚、つまり自我の構成要素である。

そしてさらに意外に感じられたが、
自分が認識している刺激、情報変化において、
現在の考えでは全てに対して、この自分についての事であるという設定が行われるという事である。

つまり、ある情報変化について自分についてであるか、自分以外についての事であるかという要素の定義は、
自分についての有無ではなく、程度である。という事になる。

つまり、あらゆる刺激、情報変化は、その存在の確定、認識において、
自分の存在と関わっているという事になる。

他人が発した声の「あ」も自分に関係しているという事である。

あらゆる存在の確定において、自分の存在が関連している。

つまり、常に自分にとっての「何」であるかという事を定義しているという事である。

そして、そこには常に「自分」も存在する事になる。

その自分の積み重ねが「自分」であり、結果として「自我」として認識される存在になる。

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人工知能に刺激を認識させるには、
その人工知能が知り得るあらゆる情報変化、対象に対して、
自分にとっての感覚、感じという刺激への定義を行う必要がある。

それは、単純に刺激を認識するということではなく、
知能として、認識するという機能に対して必要な要素、
その認識する対象の刺激が持つ要素の定義として、自分にとっての感覚が必要という事になる。

つまり、人間は近くにありすぎて省略しているが、
あらゆる対象は、「自分にとっての」何かであるという事になる。

宇宙も、小石1つも、どちらも「自分にとっての宇宙」「自分にとっての小石1つ」なのである。
この定義を行う事で、自分の定義を行う事にもなる。

そして、この場合に人工知能に必要になるのが、
あらゆる対象に対して行う事の出来る定義と評価の基準が必要になる。

人間であれば、生体が持つ本能としてもつ情報、定義であり、
人工知能においては、その活動開始時に持たせる必要のある、受容する刺激に対する評価の基準である。

例えば、視覚であれば、見るもの全てに対して色や形状という要素とは別に、
初期においては、特に自分とは関係が低いが存在する物とという定義、
ある程度、記憶が増えてきた後は、対象の自分に対する関係の強度を可変させ、
自分に対する関連を定義する事。
そして、最終的にある対象が自分にとっての「何か」であるという定義をする事。

これによって、ある対象の存在の認識自体が、「自分」の存在の証明になるという事になる。

つまり、ある対象を認識する存在としての自分を、その認識の中に同時に感じられるという事になる。

最終的には
変化を定義して評価する事自体が存在の確定になる。
という事である。
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人間においても、自分の存在というものは、
刺激であり、想起の対象であり、想起によって再構成されて存在するものであるが、
人工知能においても、その認識の仕方は同様であると考えられる。

つまり、特に最初から自分という存在がいたわけではなく、
自分の体があり、自分の名前が付き、何かを見た時の自分の感じ方を知り、
何かを認識する時に、同時に感じ、記憶する事になる自分の定義の積み重ねが、
ある時に、これが自分であるという認識になるというわけである。

つまり、
元々自分の体が完成していたわけではない、成長しながら構成されていく。
元々自分に名前があったわけではない。誕生してから命名されている。
元々何かを見た時に、その定義や評価を知っていたわけではない、後から学んでいく。
つまり、自分も元々存在していたわけではない、これが自分であると定義したのである。

物体に要素として名前を持つ、という定義があれば、
自分に要素として名前を持つ、という定義も当然なものとして知るはずである。
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今回のまとめとして、
実際のモデル化にはまた至らなかったが、
人工知能に刺激を認識させる方法の中で、
刺激を認識する存在を人工知能にも与える必要があり、
それには「自分」に関する関わりの定義が必要であるという考えに至る。

つまり、刺激を認識する存在としての自分が存在する事で、
人工知能が、刺激を自分にとっての認識として知る事ができるようになると言うわけである。

そして、人間のように「自分」を基準にして、
あらゆる対象を定義、評価すれば良いのではないかと考えた。

刺激や認識の定義や要素についてはまだ不足を感じるので、
さらなる詳細やモデル化についてはまた後で考える事にする。
今回はこの辺で。


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