2023/5/27
刺激と意識の間で存在する事
刺激の状態から意識されるまでの間で、
その刺激を持つ対象が存在するものとして登場する事になるが、
なぜこの存在が脳内で確定しうるのか、
今回はこの事について考えてみる。
刺激と意識の間をつなぐものとしては、
これまでの考え方からすると「認識」がそれに相当し、
認識で行われている事に関しては、「刺激の定義」がそれに当たる。
感覚器官と対を成して存在する神経細胞については、
その感覚器官の刺激の受容に対して励起する存在であるが、
その励起に対して本能的な刺激の定義と、
後天的な刺激の定義が行われ、
まずはその刺激の存在が確定する。
この状態の刺激はまだ認識に至らず、
ただ単に刺激としての受容が行われたに過ぎない。
認識に至るまでには、次の段階である価値観による価値評価が必要となる。
価値評価は、その刺激を受容した当事者である知能が、
過去の経験に基づき、価値観を持ってして、
その刺激を持つ対象の価値を評価する事になる。
恐らくこの時点で、その刺激を持つ対象が、
実際の存在を得る事になると考えられるのだが、
とすると、この価値観においても、
先天的な定義と後天的な定義が存在することが想像される。
生まれてすぐに持っている刺激の定義は、
遺伝情報として持っているはずの定義であり、本能的な刺激の定義となるが、
この定義によって刺激が定義され、
この刺激が認識されるには、やはり価値評価も必要となるはずである。
であれば、価値観が全て後天的であると考えると、評価が行えない事になる。
脳や感覚器官は成長過程において、外界への誕生前に揃っているが、
母体内で何かしらの刺激を受けたとして、
その刺激の定義や価値の評価は行われていると考えられる。
例えば胎児の状態でも聴覚によって音に反応するとか、
母親の食事によって羊水に変化が現れ味覚に反応するという事があるらしい。
つまり、それらの刺激の定義や、価値の評価は、
生命としての誕生以前に成長過程において持っている状態になっていると考えられる。
ただ、まだその状態で自己感覚と考えられるような刺激を認識できていなかったとしても、
主観的に刺激を認識し、その変化に対して自発的な反応は行っていると考えられる。
であれば、胎児の状態であっても刺激を認識するのに必要な機能情報として、
刺激の定義だけでなく、刺激の価値評価を行うための、
価値観も本能的に持っていることも考えられるのではないかというわけである。
これは人間以外の生物において考えれば、
人間が後天的に持つような知能まで至らない生物においても、刺激の認識は行われているので、
刺激の定義や価値観を本能として持っていると考えられるのは当然という事になる。
さて、
刺激を持つ対象の認識に際して、
その対象の存在が確定される要因の定義はこれで揃ったと考えられるが、
では、
実際にその刺激を持つ対象が認識に際して、
その存在を確定させている機能は何かについてはまだ不明である。
これまでの考え方によれば、
人間の知能においては「想起」、
人工知能においては「刺激の再構築」として考えてきた、その刺激の実体、
刺激集合という事になる。
これがなぜ存在する事が知能において分かり得るのか。
認識においてはその視点となる存在が必要であると常々考えてきた。
これまでの考えによると「脳」そのものがそれを確定している存在だと考えてきた。
ではその「脳」の何がそれを客観的に見ているのか。
それが分かれば認識の正体に迫れることになる。
意識の存在が再帰的にその存在を確定しているのか?
想起そのものが刺激を存在させるための機能であるので、想起によって存在が確定するのか?
認識の対象が最も価値ある刺激として選択されることで存在が確定するのか?
刺激として受けた全てが存在するものとして確定しているのか?
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対象を見ている時、見ている対象は存在を確定されているが、
その見ている対象の存在を確定している間の時間、
私の存在は確定していない。
そして、私の存在を確定させるために、
私の存在を確定させる想起を行っている間、
見えている対象は見えてはいるが、意識されない、
というか、実際は高速でその認識対象を変えながら、
並行して認識しているように感じているはずである。
ということは、刺激の対象が存在する時間というものは、
認識において、その刺激が認識対象として維持される時間の間存在している事になる。
つまり、認識の開始時、つまり、
並列して存在する刺激群の中から、その瞬間以降において、
最も高い価値を持つ刺激、つまりその瞬間以降に認識される対象となる、
刺激を持つ対象が、その認識の開始から、他の刺激の認識に置き換わるまでの間、
その刺激の対象が存在する事になるのではないか。
機能としてはまだ不明だが、
刺激の対象の存在が確定する時間というのは、
この認識の間の時間なのではないかという事になる。
例えば、歩きながら歌を歌っているとする。
体の運動は瞬間的な運動と関節に従った継続的な動作に分けられ、
常にその運動について認識して意識している必要はない。
これは歌を歌う事についても同様で、声帯の固定と息の継続的な動作に分けられ、
これも常にその運動を認識して意識している必要はない。
その運動に変化が起こる際にだけ認識していればよく、
その後の継続的な動作は体の動作の維持として、
認識や意識から外れる事がある。
これが、歩きながら思考するという事であっても、
歩きながら何かを食べるという事であっても、
この運動や、知能の活動、その認識や意識については同様という事になる。
しかし、この認識に際して、その刺激を持つ対象が、
次の認識対象としての価値を持つかどうかは価値評価時点では分からない事になる。
つまり、価値評価を行っても、それ以上の価値を持つ刺激が登場した場合、
元の刺激を持つ対象は認識に至らない事になるからである。
そこで考えられたのは「目的」である。
そう、これは今日考える内容として、276で刺激についてある程度理解が進み、
278で意識について考え、刺激と意識の間、認識について改めて考えた方が良いと、
今日の朝に思っていた事であり、その認識についての課題を考えていた際に思いついた存在が「目的」
だったという事を今思い出した。
そう「目的」である。
目的が認識に影響すると考えたのは、その行動における運動の維持が行われる事と、
同時に並行して行われる運動が複数存在する可能性があるという事である。
つまり、同時に複数のことができるということは、
その認識を切り替えているというのは間違いなさそうであるが、
その運動が継続されるという事に対して、
急に別の行動に移り変わらないのはなぜかと考えた時に、
「目的」がそれを維持させているのではないかと思いついたのである。
思考における目的には結果が常に対になって用意されていると考えている。
つまり、目的には刺激を持つ対象の認識に対して、
その認識が維持されるような評価を行う事ができる効果を持っているという事になる。
つまり、認識されやすいように価値評価において高い価値を持つ対象であるという価値評価が
行われるように価値の補強をしているのではないかという事である。
神経細胞の励起が関係しているなら、その目的の認識において、
その目的に関連している刺激が、関連して励起されることによって、
その目的が維持される間、常にそこに関連する刺激の励起が続くという事になる。
そして、つまり、
認識によって刺激を持つ対象が存在する事、
それを確定する事において、「目的」も関係しているのではないかと考えたわけである。
刺激を持つ対象を確定する機能ではないが、
「目的」は刺激を持つ対象が認識されやすくなる価値の補強を行う機能であるという事になる。
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話を戻して、刺激を持つ対象の存在を確定する機能であるが、
現時点では、認識されている間の時間がその機能の働く時間に相当し、
では、その存在は何であるかという事になる。
刺激の定義の後、認識に至るまでの過程については、
明示的な機能が存在しないのであれば、
単に価値比較を行う存在が、認識を確定させる機能という事になる。
この価値比較によって認識が行われる刺激が選定されることになるからである。
そして、認識が確定した後、
その刺激を持つ対象の存在が認識されることによって確定する。
この機能は何であるのか?
もう1つ考えられるのが、その機能が存在しない事である。
例えば意識についてなどであるが、
つまり、連続した認識が意識であるなら、
連続した刺激の認識が存在さえすれば、明示的に「意識」という表現を行わなくとも、
知能は存在しうるということである。
意識の有無は、連続した認識が行われているかどうかで判定できるので、
連続した刺激の認識が行われているか、いないかだけで、
知能の活動は表現できることになる。
あくまで人間が理解しやすいように「意識」という名称を付けているという事になる。
これは「無意識」についても同様となる。
つまり、刺激を持つ対象の存在を確定させる働き、機能が存在しないと考えると、
その存在を確定させる働きは「想起」が相当する事になる。
つまり、想起して刺激集合の神経細胞ネットワークが励起された時点で、
脳内にはその刺激を持つ対象の存在が現れる事になる、
その後、刺激の定義や価値評価によって、最も高い価値の刺激が認識され、
その刺激の存在が確定することになる。
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現時点では、認識に至る機能が存在するかどうかは分からないが、
この点についてはもう少し考える余地はありそうである。
そろそろ時間が無いので、
今日はこの辺で。
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