2023/5/22
目的を持つという事
人間の知能が生体として「生きる」という事以外に目的を感じるという事。
目的が無く、無為に時間を過ごす事を「つまらない」と感じるという事は、
その「無為な時間を過ごす」という活動に対して価値が無いと知能が判断していることになる。
人間の知能が何かの活動に対して「楽しい」と感じる事が無かったとしても、
その活動に集中しているということは、その活動に対する価値を知能は評価しているという事になる。
その考えに思い至ったわけは、
私は今日の夕飯の後、PCもTVも起動することなく、考える事もなく、
ぼんやりと部屋の様子を眺めていて、ふと「つまらなさ」を感じた。
それと同時に今の自分の様子に対して「目的を持っていない状態」として認識した。
それ以降はその状態に対して考え始めた為に、「つまらなさ」を感じる事はなくなったが、
では人間の知能は「目的」に対して何か意味を定義づけているのではないかと考えることになった。
目的は価値ある対象であり、その結果が欲求の対象であるのだが、
では人間は「目的」の為に活動しているのか?という事になる。
「目的」の完遂の為に知能を働かかせる。
まあシンプルに考えるならそれで十分、人間の行動原理や知能の機能の解説に足る。
知らない価値は目指せない制限から、
現代に存在する価値は、人間の知能が認識可能な対象のみであり、
その対象にのみ価値を定義する事が出来て、さらにその対象からのみ欲求の対象、
目的とすることができる。
つまり、認識可能な対象として存在する刺激についてのみ、
その定義が存在する事になる。
逆に考えると、人間が認識可能な対象である事象に対して、
全ての認識を備えた価値の定義を持つ知能が存在すれば、
それは人間の知能と同等以上の存在になり得る事になる。
現実的に再現可能な状態であれば、
ある言語に対する認識可能な「単語」「事象」の全てに対して、
定義を設ける事が出来ればよいという事になる。
ただし、これはあくまで知能の下地としての認識可能な刺激の対象としてだけとなる。
さらに知能としての活動を行わせるには、
その価値に対しての評価を、その知能として行う事が出来る必要がある。
この時点で、認識可能な対象とその価値評価ができれば、
その知能にとって何が価値がある対象であるのかという価値比較ができる事になる。
価値の高い対象は当然、「欲しい」対象である。
知能はその対象を欲して「欲求」を生じさせる事になる。
しかし、この時点では認識可能な対象に対して価値が設定出来て、
その対象の価値に対して欲求を生じさせる準備が出来ただけである。
次に必要となるのは知能において、
その知能を持つ個体がその欲求対象を手に入れようとする「目的」である。
実際には「目的」と合わせて「結果」も用意する必要がある。
229~233で考えた「思考」についての内容が関係する事になるが、
知能が何かについて「思考」するにはその思考の対象となる「目的」と「結果」が必要であり、
その関連を作り出した上で個体はその思考された「目的」に対して、
最もふさわしい活動をすることができるようになるという事になる。
つまり、「目的」だけに対して知能を働かせて個体が活動するわけではなく、
「目的」と「結果」に対して「もっともらしい解決策」を作り出した上で、
個体は「目的」に対して知能を働かせて活動していると認識していると感じることになるわけである。
そして最後に目的のための意思のきっかけとなる認識の働きという事になる。
これは223の意識の内容と、252の想起的欲求、259の意思についての考え方が関係する。
つまり、覚醒した状態として意識として存在する事になる連続する認識。
常に認識されることが準備されている刺激の存在、
そして意思が働いていると感じられる認識の変化。
そして、
実際に「目的」に対して個体が活動を始めた後は、
その後の環境や状況、状態の変化に対応するように都度、様々な目的が入れ代わったりしながら活動する事になる。
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目的を持って何か行動するという事は、
個体の存在も知能の存在も欠かせないものである。
何の為に行動するのかは、はっきりしている。
自分の知能が定義した価値の為にである。
認識できる対象の、対象が持つ価値に対して、価値ある対象に感じる欲求として、
欲求となる目的と結果の為に、目的と結果に思考して解決方法を用意し、
解決方法を認識して意思と感じ、意思の働きとして実際に実行に移す。
今回は目的を持つ事と、その働きについて考えてみた。
今回はこの辺で。
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