2023/5/6

刺激の価値の再考

現時点で知能の根幹をなすと考えている刺激の価値評価と価値比較において、
その刺激の価値について改めて考えてみる。

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これまで刺激の価値については、
刺激の強さと、快不快の感じ方で設定されるものだと考えてきた。

つまり、刺激の価値の定量化における絶対値となる刺激の強さと、
その刺激の情報の要素、性質となる快不快の意味合いや、状態から成ると考えてきた。

刺激は、その快不快などの要素を排除した場合、
知能において認識される優先度は、単純な刺激の強さの順となるはずである。
つまり、認識において、常にその瞬間の強い刺激が認識され続け、意識される事になる。

しかし、元々、刺激の強さという考え方においては、
想起を元にした刺激よりも、環境や状態の変化の刺激の方が強いという事であったので、
この状態では、想起を元にした刺激を認識しづらいことになってしまう。

しかし、実際は刺激本来が持つ情報や意味にも、
単純な刺激としての強さに匹敵する意味、価値を持つと考えられる事になった。

つまり、
ここで、270の考え方を新たな認識の考え方として加味すると、
刺激の定義と価値観の定義により認識される刺激の選択が行われることになる。

270の考え方は、これまでの快不快であるという定義を置き換えたものになる。

つまり、刺激の受容もしくは刺激の想起によって刺激の情報が信号として生成された場合、
この刺激の情報が、実際の刺激として認識されるまでの間に、
評価と選択が行われることになる。

そして、今この評価と選択において用いられる指標が価値であると考えている。
説明の表現として「価値」が最もふさわしいと考えているが、
実際の内容、要素としては、その刺激の、その個体にとっての情報の重要度という事になる。

情報を置き換えるなら、その個体にとっての状態の変化である。
環境の変化か、個体の状態の変化に対する情報が刺激となるわけである。

つまり、刺激の誕生までは
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環境の変化、または、個体の状態の変化(または想起の場合はきっかけとなる励起)

変化の情報★1

情報←刺激の定義★1

刺激
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であり、その後、認識までは
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刺激

刺激の価値設定←価値観の定義

刺激の選択=同じ瞬間に存在する刺激の集合から最も重要な刺激の選択

刺激の決定

認識
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となる。

追加情報としては、
刺激の選択の際に、前時間、つまり新しい刺激を認識する前に認識していた刺激と、
関連が存在するという事である。

つまり、意識は、連続する認識として、
意識=・・・→認識→認識→認識→認識→認識→認識→・・・
なのであるが、
本来刺激というものは、認識に至る刺激は、単体で存在するわけではなく、
刺激(=刺激の集合)=刺激→(関連)→刺激→(関連)→刺激→(関連)→刺激(末端)

こういう存在であるという事。
271の猫の例であれば、
私が猫を認識できる刺激においては、順番は以下の通りではないかもしれないが、
情報の集合としては、下記の様になる。

猫の刺激=ネコの名称の発音→(関連)→ネコの文字列→(関連)→ネコの輪郭→(関連)
→ネコの立体形状→(関連)→ネコの顔の輪郭→(関連)→・・・→(末端)

というように、私がネコを認識するために必要な刺激は、五感の1つの刺激だけで認識しているわけではなく、
私が「ネコ」を猫として認識できるようになるのに十分な刺激の集合が必要になるというわけである。

これは上記の★1が刺激の定義ごとの細かい刺激を集める事によって、
認識に足る刺激として構成されるということである。
この細かい刺激を集めるというのが、刺激の関連の励起によってほぼ自動的に行われるという事になる。

これは、シナプス結合によって神経細胞ネットワークが、ある特定の認識できる対象を記憶するために、
様々な刺激を関連させているという事になる。

つまり、認識対象はある一定の刺激の集合であるということになる。

今回、刺激の価値として考えているが、
知能にとっては、
刺激の価値=刺激の情報=刺激の意味
という事であるとも考えられる。

そもそも知能にとって、その対象が意味がある、価値があるから記憶し、認識しているわけであるから、
その対象の構成要素が刺激であるなら、
ということは、
刺激自体には特に価値があるわけでなく、対象、その対象自体に価値が定義されるという事になる。

認識対象として刺激の集合に何か良い名前があれば良いと思うが、
あえて言えば「ものごと」「物事」「things」ということになるか。
つまり、
物事=認識対象=刺激の集合
であり、
それに対して価値が設定されるということになる。

刺激1つ1つに価値が設定されるわけではないという事になる。

物事=記憶の1単位

として扱う事もできるだろう。

記憶の単位に含まれる情報の量は可変であるが、
物事=記憶の1単位=刺激の集合
であり、
記憶の1単位:刺激=1対多
記憶:刺激=多対多
の関係であると考えられる。

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例えば右手の人差し指の触覚の感触の刺激について認識するなら、
私は右手と右手の人差し指と、触覚の位置と触覚の感触を各刺激として扱い、
その集合として「右手の人差し指の触覚の感触の刺激」を認識する事になる。
その認識時は、いずれかの順番で各刺激の関連が想起され、
最終的に「右手の人差し指の触覚の感触の刺激」が1つの「物事」として成り立つまで
その想起が続けられる事になる。

最終的な認識において、実際に感覚器官に触れた接触感覚であっても、
想起による接触感覚であっても、私は同じような接触感覚を認識する事になるが、
実際に感覚器官に触れた接触感覚の場合、その刺激の励起によって、
直接の右手の人差し指の存在の感覚を同時に認識するが、
想起の場合は、仮想的な刺激としての右手の人差し指を認識する事になる。

これは以前に人工知能における認識時の刺激の再構成の際に考えた通りであり、
直接の刺激と、想起による刺激においては、
その認識される刺激の構成場所が異なるという事である。
人工知能においては、その刺激の再構成場所として、2つに分けるという話であったが、
実際、人間の知能においては、その物事に含まれる刺激において、
直接受ける刺激と、想起によって生じる刺激においては、
その直接的な体、つまり実体ある体の部位の刺激が関連するかどうか、
という違いによって、その刺激の構成が変わるという事になる。

つまり、刺激の集合として同時に直接的な体の存在の刺激が関連するかしないかで、
この刺激は直接受けているものか、想起によるものか、という区別ができるという事になる。

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認識は刺激を1つ1つ認識するのではなく、
刺激の集合を認識するという考えに変わったので、
「刺激を認識する」という言葉の表現が使いづらくなったので、
「物事を認識する」という言葉に変えたが、
もっと何か良い表現はないだろうか。

認識→物事(=刺激の集合)

であるのだが、

認識対象の物事の比較は物事の価値を基準とすることになる。
刺激自体は神経細胞から発した存在感のようなものだけであるので、
実際に価値として比較される際には刺激の定義で評価された後という事になっている。

記憶の1つの小単位ということであるのだが、
良い名称が思い浮かばないので、
とりあえず、今のところは「刺激集合」としておくことにする。

「認識」する対象は「刺激集合」
「刺激集合」は、ある「物事」に関連する全ての刺激が対象となる。

刺激の価値は1つ1つの単体の刺激(「単体刺激」)には特別な価値は設定されないが、
認識可能な対象の「刺激集合」となった時点で刺激の定義による価値が設定される。

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今回以降、
基本的な五感の感覚ごとに含まれる関連で分割できない刺激を「単体刺激」として、
また、認識可能な対象になった刺激を「刺激集合」という言葉を用いて表す事にする。

「単体刺激」のまま「刺激集合」となりえるかは現時点では不明だが、
自分の五感の経験では「単体刺激」のまま「刺激集合」にはなり得ないと考えられる。
これについてはまた後程考える事にする。

今日はこの辺で。


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