2023/4/29

刺激の情報の解明

刺激の認識によって知能は情報を得る事になるが、
その情報が、どのように構成されているのか考えてみた。

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刺激にはその発現の経緯が2種類ある。

1つは感覚器官の受容による刺激、
もう1つは、想起による刺激。

どちらも神経細胞ネットワークの励起が行われる。

神経細胞ネットワークの励起によって
その刺激がそこにあるように感じる。

なぜそれがそこにあるように感じるのか?

つまり、感覚器官が受け取った情報を、
神経伝達するために変換した信号が、
それに1対1で対応する神経細胞の励起と対になっているため。

つまり、その神経細胞の励起は、感覚器官から受けた刺激の情報と同義という事になる。

つまり、実際に個体が受けた刺激としての状態変化の情報は、
神経細胞の励起と対になっているというわけである。

だから、神経細胞の励起だけ、つまり想起によって生じた
神経細胞の励起は、その感覚器官から受けた刺激と同じ情報を持っている事になる。

知能自体には、その刺激が実際に存在するものであっても、
想起によって再構成されたものであっても、
認識に至れば、その刺激が持つ情報がそこにあると感じられるものとなる。

実際に右手の人差し指に何も触れていない状態で、
想起のみで右手の人差し指で何かの物体を触れているという刺激は想像して再現できる。

この時右手の人差し指についている触覚の感覚器官には受容する刺激は存在していない。

しかし、脳内にある右手の人差し指に存在する触覚の感覚器官に対応した神経細胞ネットワークは、
その想起によって励起される。

そしてその想起された刺激が認識されると、右手の人差し指には何か触れているという認識となる。

この時右手の人差し指は、脳内で認識されている。
脳内で認識しない事には、そこにある触覚による刺激の入力を想起することが出来ない。

つまり、右手の人差し指の感覚と、そこにある触覚の接触感覚、
その刺激が同時に存在する事によって、右手の人差し指に接触感覚を認識することが出来る。

これは実際の接触でも、想起による再現でも同じである。

想起の場合、脳内で接触している様子を想起することで、その感覚が再現されている。

つまり、右手の人差し指が何かに触れている様子を想起している。

それを想起することによって、想起の中で人差し指が何かに触れている刺激が再現されている。

恐らく、もし、今の瞬間に右手の人差し指の感覚を失ったとしても、
想起で右手の人差し指が何かに触れている事を再現した場合、
脳内では右手の人差し指が何かに触れている事は再現出来て、
さらにその刺激がそこにあるように感じられるはずである。

つまり、感覚による刺激の情報は、
感覚器官が受容する刺激の情報を、
その感覚器官の存在ごと、その受容する刺激と共に記憶しているという事になる。

先天的四肢欠損の場合の幻肢などの感覚は、現時点ではまだ正確に分かっていないらしいが、
脳には、あらかじめ四肢と関連して対応する野が存在し、
四肢から受ける事になる刺激の情報を受け取る神経細胞というのは存在していると考えられる。
つまり、人間において、という事になるが、
感覚器官の刺激を受ける神経細胞は脳の構成過程において準備されるものであり、
実際に感覚器官から刺激を受けた場合、その刺激の情報はその特定の神経細胞が受ける事になっていると考えられる。

味覚においてもだが、味わった事の無い味について想像することはできないが、
味蕾は存在するし、様々な味について味わうことのできる能力は存在している。

例えば柔らかいものを右手の人差し指で触れた時の刺激は、
実際に認識される刺激は、右手の人差し指とその感覚器官の存在、そして同時に柔らかいという刺激であるが、
後天的に得る刺激というのは、柔らかいという感触の刺激だけであり、
それを関連付けて認識、記憶する事によって、右手の人差し指が触れた柔らかい感触という刺激が
存在することになるのではないだろうか。

神経細胞は1つ1つは記憶に対しては汎用的な細胞であり、
先天的であっても、後天的であっても、その刺激の情報をどのように記憶させるのか、
ずっと考えていたのだが、
感覚器官に対応する神経細胞が1つ1つ存在するのであれば、
例えば触れた刺激の情報の存在は、
触れているという情報、
触れている場所の情報、
触れている感覚の情報、
触れている強さの情報、
すぐに思いつくのはこれだけだが、
今、新規に登場した情報は、「触れているという情報」である。
「触れているという情報」が、想起の対象となることで再現が出来ている。
つまり、触れている事の記憶が、元来存在する感覚器官や神経細胞によって、
ハードウェア的に実際の存在の感覚や刺激として再現できる情報以外に、
実際にその刺激を存在させるための鍵、情報になっているのではないかと考えついた。

今、考えながら入力しているので自分でも難解だが、
ハードウェア的に存在しうる情報としての刺激の情報だけでなく、
何かに触れたという動き、事象としての様子の記憶が、
この直接触れたという信号や刺激に追加されて記憶されているのではないかというわけである。

これまでの考えではある刺激が認識される場合、
感覚器官と神経細胞は対になっている。
感覚器官から受けた刺激は、神経を通ってその信号として神経細胞に伝えられる。
神経細胞は励起されて認識に至る。
認識ではその刺激が存在するように感じられる。
であったが、
触れているという事象そのもの、
つまり、その刺激の全体としての情報が、
神経細胞ネットワークで仮想的な、抽象的な情報として、
つまり、刺激の関連それ自体を情報として記憶する事になるというわけである。

つまり、
変化

感覚器官
(刺激)

神経細胞

励起→記憶

認識

だけでなく、

変化

感覚器官
(刺激)

神経細胞→他の神経細胞との関連→記憶(=これ自体が「触れる事」の抽象的な記憶となる)

励起→記憶

認識

という事ではないかというわけである。

つまり、実際の刺激によって直接励起される神経細胞ネットワークが記憶する情報は、
刺激そのものの記憶であり、それに付加されることになる、情報が、
本来の人間が認識していると感じている情報なのではないかという事になる。

この情報は汎用的な神経細胞でも、本来持っている刺激の情報という見方において、
その組み合わせ方によって抽象的に作り上げることが出来る情報である。

五感において、視覚の黄色の物体という刺激があったとして、
その視覚に対応する各神経細胞は存在し、黄色の物体を認識することになるが、
その神経細胞同士が持つ関連というのは、その刺激を指す、指定するものであるが、
抽象的な情報である。

また、これが想起の側から考えると、その関連が想起されることで、
その対象の刺激が存在するという認識に至ることになる。

人間が認識している刺激は、
認識の対象として刺激が指定されるのではなく、
この関連こそが対象になっているという事になる。

この関連を認識すれば、逆にそこに関連することになる直接的な刺激が紐づけられている事になる。
だから、知能は認識した事象にその刺激が存在すると知覚できる事になる。

認識においては刺激が主でなく、この関連こそが主であったという事になる。

副次的に、
ある認識において、特定の刺激以外に他の刺激が関連して記憶されているという事が普通に起こり得るのは、
そういう事である。

例えば、以前にも例に挙げたお線香の匂いで祖父や祖母の家を思い出すとかいう記憶である。

だから思い出す事を行っていると、つまり、記憶の関連をたどっていると、
突然別の事を思い出したりするという事になるわけである。
もちろん、現実の状態変化による刺激によって、
その関連が励起されることになると、その状態に応じた記憶が再現されることになる。

目が覚めて朝であれば朝の行動を起こすし、
目が覚めてまだ夜であれば、また寝るなどの、それ相応の行動を起こすことになる。

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刺激の記憶は確かに存在するし、それも認識される1つの情報なのであるが、
ある事象の記憶というのは神経細胞のいくつかで再現できるものではなく、
そこに含まれる情報というのは、その全体の関連から構成されているという事になる。

認識も想起も、その関連を中心に考える必要があるという事になりそうである。

今日はこの辺で。


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