2023/4/27

思考の維持

思考している間というのは、
常に思考しているという感じがするが、
実際に認識している内容について1つ1つ考えてみると、
思考する目的とは直接関係のない事を考えていたりする事がある。
「例えば」と、例えの例を考えたり、
参考になりそうな記憶を思い出してみたり、
それが当初の思考の目的の答えとは間接的に関係があっても、
それが答えになるわけではない。

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思考しているという感覚、その認識だけでは思考は維持できていない。
→想起は割と多くの様々な刺激を励起しているが、
認識が1つずつなので、想起は1本の道をたどっているように感じる。

しかし、これが想起の連動であったとして、この道しるべが無い。
それについて考えると、以前考えた思考には文字や文章が必要という事が思い当たる。
つまり、思考の道しるべが文字や文章になっている。
つまり、文字、文章が思考の連続性を維持している。

思考の連続性は、論理的な思考の組み立てに必要。
つまり、再帰か?

思考しようとした時には、それ専用の想起の仕方があるという事か?
想起自体は、脳の機能において共用であるために、
専用の想起があるというわけにはならないが、
思考という機能が、想起の仕方を何か制御しているとは考えられる。

論理的な思考に再帰が必要であれば、
思考の目的の維持の為に、起点となる認識が維持される必要がある。
それ自体が思考の目的と答えであるとも考えられる。
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思考と言語との関わり:

思考の維持には言語が欠かせない。
自分自身の思考を論理的に認識する事にも関係している。

言語的な表現を行う事で、論理的なロジックを認識することが出来ている。
つまり、言語的な表現によって、論理的な対象同士の関係を理解することが出来る。

大小の関係や等しさ、集合や向き、単位などもそうである。

逆に考えると、論理的な対象の関係の理解・認識は、
その論理的表現である言語を認識している最中、維持されている・認識され続けていると言える。
つまり、言語表現による論理的な関係が、その関連として励起されている刺激対象について、
関連している。
その対象ごと論理対象として抱え込んでいるという事になる。

認識の順番

認識→論理名称→(論理:論理対象1・論理対象2)←これを関連とする

次の認識

次の認識

・・・

つまり、思考として何か論理的な認識をしていると感じている・認識している瞬間は、
その論理的な名称の表現の内にある、論理的な関係の内にある、
論理的に扱う事の出来る対象として、1つ以上の対象を関連させて
励起、想起、認識の準備を行っている。
そして、その論理の認識の後に、その論理関係と論理対象を後に続けて認識する事になる。

論理的な思考の1つ1つは、上記の通りであるが、
思考の全体としては、複数の論理が組み合わさっている事もある。

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1+2=3である事と、1+2=4であることの違い:

言語・数字や数式の記号の認識として、1+2=3であるという論理は正しく、
1+2=4であるという論理は間違っている。という認識が出来る。

もしここで、「=」が「<」この論理的な意味を関連として持っていたなら、
1+2=3は間違っていて、1+2=4は正しいことになる。
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まずこの時点で、数式の論理的な認識として左右を繋ぐ
論理的記号が、左辺と右辺の論理的な関係を繋ぐという認識が行えるという、
関連する意味・情報を持っているという事になる。

つまり、まず、1+2=3を見たら、それぞれの記号や数字の前に、
論理的な記号を認識するという事を優先する。つまり、その価値によって先に認識することになる。

次に、その論理的記号が持つ関連する対象として、左辺、右辺の式を認識することになる。

文字の順として先頭から文字を認識したとして、1+2を先に認識したとしても、
論理的記号がなければ頭の中で「=」につちえの認識が優先的に行われる。
この時は「=」についての文字の認識は行われないが、論理的な情報の意味として
「1+2」と「3」が想起されるはずである。

まず「1+2」だけを見て、それまで計算というものを行った経験が無い場合、
「1+2」だけを見ても何も思い浮かぶことは無い。

経験として計算の論理的関係の記憶が無いからである。

つまり、「1+2」を見て「3」を想起する知能は、それ以前に計算をした事があり、
それぞれの論理的な関係を既に記憶に持っている事になる。

「1+2」を見ただけで「=」を見なかったとしても「3」が想起される知能は、
「1+2」という文字列の意味が認識できている、その関係を含めた対象の塊としての意味が、
理解できているという事になる。

これは、「1+2=3」という式において「=」の左辺と右辺に分けて認識している、
認識できるという事であり、その論理的関係の関連としての対象として、
「1+2」を1つのまとまりとして扱えているという事でもある。

つまり、「1+2」を認識対象として1つの関係のある関連として扱っている事になる。

そして、「1+2」の「1」と「2」が数字という文字であり、「+」が「=」とは意味が違うが、
「+」として、その左右の数字を関連付けて合わせるという意味を持つ事、
そして、その認識によって「=」がなくとも「1+2」の認識だけで「3」が想起されることになる。

この事から考えられる事は、例えば「1+2」を認識した時に、
「1」「+」「2」と順に単独で文字や記号を認識しても、論理的には何も想起されることは無いという事である。
「1+2」であるから論理的な意味を持つのであって、
「1」「+」「2」には文字や記号、それ単独の意味しか持たないというわけである。

「1+2」が数式としての意味を持つには、「+」に関連した
「A+B」と「C」の関連となるテンプレートを記憶している事が必要となる。

つまり、「対象A」「+」「対象B」という関係の関連を成り立たせるために、対象が数字であれば数式として、
文字や何らかの情報であれば、この場合は数式の「+」ではなくなるが、
何かと何かを合わせるという論理的な関係を記憶として持っている必要があるという事になる。

手で小石をいくつか掴めば、手の内で1つのまとまりになる。
最初はそのような認識であるかもしれない。
それが、両手に持った1つの木の実と2つの木の実を誰かに渡せば、
相手は3つの木の実を持つ事になる。そういった認識は、初めは感覚的な、
増えるとか、減るとかという認識であるかもしれないが、
やがて知能として思考の対象となった場合に、そういった論理的な関連は、
1つの思考の中で連続的な認識として励起されることになる。
つまり、「1+2」を見て「1」「+」「2」と、それに関連した論理的な思考の対象として、
「何か」「加える」「何か」が想起されるというわけである。

これは、さらにそこから思考される数字の和算としての想起の元となり、
最終的に「3」が想起されることになる。
つまり、この思考において、答えの「3」が想起されるまでの間、
「1+2」の思考は、その関連する想起によって維持されている事になる。

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これは、別に数式の思考だけが対象となるだけではない。
今、私が書いている考察についても、今回は「思考の維持」についての
論理的な理解を自分の知能内で行うために思考していた事になる。
「思考」を「維持」するとはどういう事か、最初は思考の維持の間の認識には、
刺激の関連が何か関係していて、それの連続性がその維持に関わっていると考えていた。
自分の考え方なので、そこに収束する形で話をもっていくことになるが、
たまに新たな関連が思いついたりすることもある(=新たな関連の想起)。

今回は当初の思考の通りに、思考の維持には刺激の関連が関係していて、
その関連を記憶がたどることによって思考が維持されているのだろうという考えを再認識した。
という事になる。

実際、思考においては、その思考の論理的な関連が多くなり、
あまり深い関連先に到達してしまうと、再帰できずに自分で考えている事が
分からなくなってしまう事もある。

そういう事がある、という事さえも考えてみると、
思考というものは、その論理的な対象同士の関連を、
繋げていったり、対象を増やしたり、減らしたり、変えたりする事なのかもしれない。

つまり、これまで考えていた思考が「目的と結果の関係を作り出すこと」
であるという考え方になるという事になる。
ただし、自分で考えている思考は、自分が持っている答えにしか到達しえないから、
当然の結果でもあるのだが、現時点では再考しても同じ関連であるのなら、
今の所はこの考え方で合っているのだろうという答えを得たことになる。
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参考図:思考が目的と答えの関連を作り出すという事

思考

目的←(分からない関連)→答え→論理的な分解→対象1・対象2・対象3

論理的な分解

対象A・対象B・対象C

思考は、この図における、対象A~Cと対象1~3の関連を作り出す事。
対象は、さらに論理的に分解されることもある。

つまり、各対象毎や、対象同士の関連をさらに思考して関連を作り出す、
そして再帰して元の対象に反映する。

これを繰り返す事が思考の正体であり、
これを行っている間の時間、思考が維持されている状態である。
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脳内ではプログラムのようにスタックなどが出来ないので、
対象の思考先で再帰先を見失う(=忘れる)こともある。

私が時々、考察の途中で別の事を思いついてしまい、
それについて思考を進めてしまって、話を元に戻すことがあるというのは、
この事が理由だと考えられる。
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今回はこの辺で。


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