2023/4/25
刺激の認識限界・修飾・関連・評価
212で知能の各要素についてまとめてから、随分期間が開いたので、
ここ最近考えていた内容で改めてまとめようと、
ここ数日の間は、刺激について考えていた。
まず最近考えた内容について。
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1:刺激の認識限界
生体の感覚器官の受容能力は個体によって能力に差があるという事。
つまり、環境内に、ある定量的な刺激が存在した場合、
その刺激情報に感覚器官が接触したとしても、
それを認識できる個体と認識できない個体があるという事。
刺激は生体が受け取る変化についての情報であるが、
この情報を認識して受け取る事の出来る個体と、
認識できない個体が生じるという事になる。
別の刺激を認識していて、別の刺激を認識できないという場合もあるが、
単純に生体の能力として認識されない刺激も存在することになる。
変化の情報が存在するのに、個体によってその認識の有無に差があるというのは、
知能において認識や、刺激の選択の「ゆらぎ」のように考えられているものではないかと考えた。
つまり、ある個体は特定の刺激に対して認識する、
別の個体はその同じ刺激に対して認識しない、
これは、刺激の種類や、個体の違いによっても生じる差であり、
選択の「ゆらぎ」と考えられているものではないかと考えた。
実際は、気持ちや気分で刺激である対象の認識をその「ゆらぎ」によって
選択に振れ幅が生じて、選択されたり、選択されなかったり、するというわけではなく、
単に個体の刺激の認識限界というものが、能力的なモノとして存在し、
個体ごとの認識に差が生じる、また、その個体の他の刺激に対する選択の優先度によって、
認識に振れ幅があるように見えるというだけではないかと考えた。
イメージはこのような感じとなる。
価値(-)
↑認識可能
-------:生体の認識限界
限りなく小さい(-)
この間は認識されない
限りなく小さい(+)
-------:生体の認識限界
↓認識可能
価値(+)
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2:関連する刺激による刺激の修飾
刺激の関連の内容である。
刺激はそれ単体では単なる刺激だが、
それと同時に認識されることになる、
つまり、同時に存在する刺激によってその関連が生じる、
同時に関連する事になる刺激によって修飾されるという事。
この修飾は、関連する刺激によって(+)と(-)に修飾されるのではないかと考えた。
例えば、横腹を突かれるという刺激単体は、その触覚、圧迫の感覚だけである。
しかし、この刺激の発生源として同時に認識している対象の刺激が視覚において、
好きな人であれば(+)
嫌いな人であれば(-)
という価値評価となる。
つまり、評価はある刺激と同時に関連される刺激によって設定されるという事。
そして評価の内容は(+)と(-)で、
その評価の強度はこの関連される刺激の価値としての強度となるという事。
目隠しをして誰に横腹をつつかれたか分からない状態であれば、
最初は単に突かれたという刺激を認識することになるが、
後からその突いた人を見ると、
その突かれた刺激に修飾が加わることになる。
また、この場合は、その人に対する修飾として突いたという事象に対する刺激が修飾として付加する事にもなる。
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3:刺激の関連付け
1つ1つの刺激を想起して関連付ける事によって、
1つの関連した刺激として認識できるという事。
この関連付けは、
実際は励起が重なる事で関連づいていると感じる。
つまり、認識の関連によって、
それが関連づいていると感じる。
→これは刺激や認識の連動に関係している。
思考の正体:
そこから発展した考えでは、
思考は既存の刺激の連動の関連に、
既存の別の刺激の関連を置き換えたモノ。
その新しい関連を思考の結果として認識することになる。
つまり、それらのパーツはあらかじめ持っていないとならない。
これは、刺激の記憶としてあらかじめ持っている必要があるという事。
つまり、
既存の刺激A→(関連)→既存の刺激B
を、
既存の刺激A→(関連)→既存の刺激C
にする事が「思考の正体」なのではないかという事。
既存のシナプスの形成上、すぐに完全に忘却する事は出来ないが、
シナプスの接続の強度を変化させる事は出来る。
つまり、強度の高いシナプス結合の関連先を別の刺激に換えるということになる。
つまり、思考によって、強度の高い関連の刺激が移行するという事である。
優先順位が変わると考えると分かりやすいか。
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4:本能による刺激の評価
本能として、やわらかいものが気持ちよかったり、
あたたかいものが気持ちよかったり、
冷たいとか暑いのは苦しかったりする。
ただ、暑い中の冷たいは気持ちいいが、
寒い中の冷たいはつらいなど、
その置かれた環境や状態によって、評価は変化する。
いい匂いは良い評価になる。
この判断は、個体によって異なる場合がある。
同時に関連する刺激の対象によっても異なる。
これは2の内容と重複するが、
刺激の評価として、後天的に学ぶ価値評価でなく、
本能の時点ですでにある程度の刺激に対する価値評価を持っているという事が言えるという事。
つまり、好きな人、嫌いな人は後天的な対象であるが、
やわらかいという感触が心地よいのは、学ぶ前から知っているという事になるという事。
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5:本能が持つ刺激の価値評価
大本の評価判断のパーツは本能で持っている。
その後、経験する刺激によって、
その本能で持っていた評価のパーツに関連が付加されて評価自体が変化する。
例:
感覚器官から受けた刺激Aが本能の評価によって(+)評価で認識される。
(+)評価
↑
本能の評価
↓
刺激A
↑
感覚器官
この状態に対して、
刺激Aと関連する刺激Bを認識することになる場合、
刺激Bも(+)評価で認識される。
(+)評価
↑
本能の評価
↓
刺激A
↑
感覚器官→刺激Aと関連がある刺激B→(+)評価
例えば、
味覚の旨味が(+)評価であれば、
旨い米の旨いと関連する米は(+)評価となる。
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6:本能が持つ刺激の価値評価2
刺激は本能が保有している
(+)評価と
(-)評価がある。
そこに関連した刺激は、
この本能の評価を関連して持つ事になる。
関連が変化すれば、評価も変わることになる。
関連は連続した認識によって関連が生じる。
例えば、私は小学生の頃、給食で出たプラカップに入った具なし茶碗蒸しを非常に不味いと感じた。
私の中では、茶わん蒸し=不味いという評価になっていた。
高校生になり、料理屋のコース料理の一品に茶わん蒸しがあり、
記憶の茶わん蒸しとは違っていて陶器に入り、具もあり、良い香りで美味しそうに思えた。
試しに食べたら美味しかった。
ここで、私の茶わん蒸しに対する評価は一変した。
記憶→想起→給食→茶わん蒸し→(-)評価
が、新たな刺激の経験により、
刺激→お店→茶わん蒸し→(+)評価→認識→記憶
となり、
記憶→想起→給食→茶わん蒸し→(-)評価
記憶→想起→お店→茶わん蒸し→(+)評価
という2つの関連と評価を持つ茶わん蒸しを記憶する事になった。
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7:想起する刺激のきっかけ
感覚器官の刺激の認識時のきっかけの優先度は刺激の強さ。
想起時のきっかけの強さは価値の高さ。
刺激:
→強さ→認識
→価値→想起
想起時の価値の高さは、やはり快・不快による定義となると考えられる。
快なら欲しい→欲求
不快ならいらない、
という事になる。
ただ、勝手に思い出される嫌な思い出というのもある。
不快ではあるが強い刺激の記憶という事になる。
不快ではあるが記憶として強化されている刺激という事になる。
時間経過によって結合の強度が弱まるので触れたくない記憶という事になるか。
これは価値という評価より想起対象の刺激として、
その刺激の記憶の強度も想起に関係しているということになる。
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8:想起による刺激を対象とした「想起であるという認識」があるかどうか?
つまり、実際に感覚器官から受容した刺激を認識するという認識と、
想起した刺激を対象とした専用の認識があるかどうか。
これはない。想起自体の認識が出来ない。
単に感覚器官との連携がない刺激の為、
刺激の入力部位の認識が同時に行われない為、
刺激の存在が実体の部位にない事になる。
つまり、脳内にポツンと刺激が存在することになる。
想起しようとしたことや、
想起によって思い出したという事は認識できるが、
刺激自体はその励起されるルートが異なるというだけで、
認識自体は同じ機能を使う事となる。
「思い出す」という目的で、何らかの刺激を結果として想起しようとした時、
その想起される事になる対象の刺激は、単純に刺激である。
目的としての思い出す活動として想起を行う事になるが、
その活動自体が想起しているという認識になり、
これは感覚器官から刺激を受容して認識する刺激と同じような順序で認識されることによって、
感覚としては刺激が想起によって認識されたという感じはする。
つまり、
感覚器官による刺激の受容には、
感覚器官の部位の刺激の受容と、その刺激の認識が順に行われ認識されるため、
感覚器官の部位で刺激を受容したように感じる。
刺激の想起の場合、
励起するきっかけとしての想起するという目的や、その結果として期待される刺激に関連した刺激が
その想起のきっかけとして励起されることになり、
想起している事と、想起されたという刺激が存在することになるが、
その認識は、想起という目的と、想起された刺激として別々に認識することになる。
結果、どちらも想起対象であり、それを順に認識することで刺激を知覚したという認識になるが、
想起専用の認識があるというわけではない。
逆に感覚器官からの刺激を対象とした専用の認識もあるわけではない。
刺激の脳の認識機能は1種類であるということになる。
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今回はこの辺で。
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