2023/4/16

意思の働きと実例の解説

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意思の認識に至るまでの順番:

刺激から新たな価値を認識する。

既存の記憶されている価値の認識の場合は想起による刺激・価値の認識となる。
この場合は下記の欲求の対象となり目的を作り出すまでの工程は省かれる。

実際、価値が認識された時点で、
知能においては価値評価において高い価値がある事になる。
これは認識の機能として、認識されるのはその時、最も高い価値を持つ刺激だからである。

価値ある対象の認識によって、その価値は記憶されていることになる。

認識した価値は自身にとっての高い価値を持つと判断した場合、
欲求の対象となる可能性が生じる。

この欲求の対象になるかどうかは、知能が持つ価値観によって異なる。
つまり、個体が持つ価値観によって、その個体における価値評価が異なる。

対象の価値によって欲求となる優先度が異なることになる。

つまり、対象毎に価値評価が異なるため、欲求対象になりやすい対象と、
そうでない対象となる。
しかし、価値評価が低くとも、価値ある対象には違いないので、まったく欲求の対象にならないということではない。

この時点ではまだ欲求のための目的は作られていない。
価値ある対象であるという記憶だけが残っている状態。
つまり、神経細胞ネットワークにこの価値ある刺激の関連が記憶された状態が存在することになる。

生体の活動の中で、様々な条件や状態、個体や環境、時間等の刺激によって、
その条件・状態下で認識されることになる欲求の対象となる価値(=刺激)が想起の連動により想起される。

この想起によってこの対象が思考される対象となった場合、
つまり、欲求の対象となった場合、この価値を得るための目的が思考されることになる。

この欲求の対象となる場合は、自我における価値を高める事や、
生体の身体的な不足に対する充足、危機に対する回避、想起的欲求などによりその対象となる。

思考によって目的と結果の価値が関連付けられる。

この目的の認識によって、つまり、ここで「意思」が働いたと感じる際に、
この対象の価値を得ようという思考済みの目的が認識または行動が実行される。

実際に目的が実行される事に対して、自分自身は自分の意思がそこに存在したと認識する(=感じる)。
つまり、自分が自分の意思でそれを選択したと感じる事になる。

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価値が想起され認識され、それが欲求の対象となるタイミングは思考が働いた時である。

この価値の想起から欲求の目的の認識までの働きは、以下の通り。

価値の想起と認識によって、欲求の対象となる場合がある。

これは、自分が得ることになる価値を増やすことが欲求の対象となっている。
これは知能というよりも、より根本にある生命としての欲求が元になる。
価値を得る事、刺激を得る事、不足の充足、は、その個体にとっての生命の本質となる。

欲求の対象となった価値は、その欲求に対する目的となる。
この際に働く機能が思考である。
思考して目的と結果を関連付ける。
ここでの結果は欲求の対象となった価値である。
この時、思考が完了すれば、目的は目的の刺激として認識され記憶されることになる。

つまり、この時に認識に至るのは、
人間であれば、「~しよう」「~が欲しい」
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目的が出来れば、それを想起する可能性ができる。

そして、条件や状態が用意され、この目的を想起した時が意思が働く瞬間である。
条件や状態を用意・準備する事自体が目的の場合もある。

そして目的となった欲求の対象の価値を得る為に行動する事になる。

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自分で実際に行った例:

この文章を入力しながら、
刺激として若干尿意は感じていた。
しかし、上記を書いていたのでそれを書き続ける事を優先していた。
しかし、少し入力の手が止まり、説明の追加する内容を考えようとした時に、
ふと、実際に意思を働かせて自分がトイレに行ったら何か思いつくだろうか、何か気づくだろうかという事を考えた。
次の瞬間にはトイレに行ってみようという目的を認識していた。
そして実際にトイレに行って用を足した。

戻ってこれを書いた。

この文章を入力しながら、
刺激として若干尿意は感じていた。
→身体的な刺激として尿意の刺激は時々認識していた。
→しかしこの時点では入力の方を価値が高いと判断し、入力を優先していた。

しかし、上記を書いていたのでそれを書き続ける事を優先していた。
→この通りしばらくの時間、書き続ける事を優先した。

しかし、少し入力の手が止まり、説明の追加する内容を考えようとした時に、
→一通り内容を書き終えて、説明を追加する形で上から読み直しながら説明を追加していた。
→そして、何度か読み返し、まだ説明を追加する場所や内容があるか確認していた。
→そして、今の所、新たな思い付きが無いと認識した。
→そして、何か新しい要素が思いつかないか試す方法を考えた。

ふと、実際に意思を働かせて自分がトイレに行ったら何か思いつくだろうか、何か気づくだろうかという事を考えた。
→尿意の刺激を再び認識した。
→実際に自分が意思で何か行動してみたら、何か思いつくだろうかという事を思考した。

次の瞬間にはトイレに行ってみようという目的を認識していた。
→座っていたので、立ち上がり実際に行動してみた。

そして実際にトイレに行って用を足した。
→戻ってきて行動した内容とその説明を書くことを思いつき、今実行している。

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途中で考えた内容:

尿意を認識した時点で、近いうちにトイレに行こうとは考えていたが、
思考や入力を継続していたので中断すると集中が途切れそうだったので、あまり好ましくないと考え、
思考と入力を優先していた。
しかし、一通り書いて、今考えてみると、ふと手が止まって、
何か新しい事がないかと、そう思った。
そこで思いついたのが、刺激の尿意に従ってトイレに行くことを目的とし、
実際に自分で実験、試してみようと考えた。思いついた。
そうして、その状況を書いてみれば何か思いつくかもと考えた。
用を足したのちにトイレじゃなくてもっとカッコいい行動を例にした方が良かったなとも考えたが、
生理現象の方が誰でも経験があるから例にはふさわしいかな、とも考えた。

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上記の内容と例の関係の解説:

自分の行動で実際に実行していた目的は、この考察の思考と入力である。
そして後から追加された目的がトイレに行く事となっている。

状況はこの考察の入力の継続。
状態は入力の継続と身体から受けて認識した尿意の刺激が追加された変化。

意思としては最初は考察の入力を継続する事を価値が高いと判断して、
それを継続する事を選択。
途中で考察の入力が一定の成果を出したと認識して、
この時点で目的の価値評価が低下したように感じる。
この時点では尿意の強さはあまり変化していなかったが、
相対的にトイレに行く事の価値が上昇したことになる。
考察の入力の手が止まる時点で、その他の目的として、
新たな考察の解説の思い付きを作り出す思考をしようとした。
しかし、思いつかない。
別の考察の思い付きを作り出す方法として、自分でトレイにいって現実の実際の例を経験してみようという考えが浮かぶ。
これが目的となる。
価値評価で試す価値ありと判断し、認識。
実際に行動が開始される。
意思の働きとしては、考察の入力開始後に実行していた目的が変化したのはトイレに行ったことと、
それを例としてこの解説を書き始めた事。

最初にトイレに行くのは中断であると認識していたので、
実際にトイレに行くには意思のはたらきが必要であったと考えられる。
特に尿意などなければ考察の入力を継続するのが自分らしい行動であると自分で思っている。
となると、実際に行動を変化させているので、意思が働いたと考えてもよいだろう。
その目的として、トイレに行くことも目的であったが、
自分で実際の意思のはたらきの例として実行してみようとすること、
それに価値を認識したということもある。
つまり、トイレに行く事の行動の目的とは別に、その行動の前に、
考察の解説の追加を思いつくことが止まっていたため、
その行動を実際の例にするという事によって、実際の意思の働きを自分で経験、認識する事が出来る事に価値があると認識した気がする。
この時点で価値評価の最も強い価値が入れ代わったようである。
そして、トイレに行くという目的を価値判断で選択し認識、実際の行動に移ったということになった。

途中でトイレに行く事に対して、用を足すという本来の価値・目的以外に、
実際の体験を例とする新たな目的ができたということもあるが、
これによって価値評価が逆転というか、価値判断が変化したということになるだろう。
ということは、これも状況や状態が変化した意思のきっかけということになるだろう。

実際に立ち上がってトイレに移動し始めた時点ではもう目的と実際に行動は変わっていたわけであるし、
戻ってきた後で実際の例、体験例について解説と考察を書き始めたということも、
最初の考察を入力するという目的の価値を再び想起して目的に戻したということにもなるだろう。

やはり、記憶されている目的の中で、実際に想起、
そう、意識として認識が保持・維持されている目的を選択する際の、
認識のきっかけとなる刺激の発現や変化が、意思の働きを促していると考えて良さそうである。

ここまで書いて来たこと以外で、それらの行動の変化やきっかけになりそうな刺激や認識の対象は思い出せない。

実際、こまかい刺激や動きの変化などはあったのであろうが、今目的として想起しなおせるほどの価値のあった目的は他になかった。

今、目の違和感で、まぶたを掻いたり、そろそろ眠いのかあくびをしたりはしたが、
行動の目的のきっかけはそれぞれの刺激ではある。

結果、あれをしよう、これをしようと考える事、思考であるが、
この思考を認識した際にもう刺激の用意は終わっている事になる。
認識は全て刺激の後追いであるので、認識されたときには刺激は用意が終わっている必要がある。
何かをしようとした時には、想起の連動でも書いたようにその行動の刺激の追従になっているというわけである。
そうすると、意思の働きは目的を意識に上げる事、つまり、目的の刺激を認識して保持・維持する事、という事になり、
その意思の働きのきっかけは、やはりその目的の刺激を想起させるための刺激ということになる。
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今回はこの辺で。


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