2023/4/10

想起の連動

256の最後で「認識の移動」として考えた内容。
ある刺激を認識した場合、その認識によって励起された神経細胞は、
他の神経細胞にもシナプスの結合が行われていることがほとんどである。
であれば、認識に至った刺激は、また別の刺激の元となる神経細胞に関連を持っていて、
次の認識に至る刺激の候補となり得るのではないか、
であれば、認識された刺激の次の認識に至る刺激は、
ある程度の収束された対象となり得るのではないかという事。

注意点は、感覚器官から受けた刺激の励起とも関係があるという事。

価値観として記憶された刺激は、それぞれの刺激同士に関連があれば、
シナプスの結合が存在する。

であれば、ある刺激が励起(=想起)されて認識に至った場合、
その刺激に関連を持つ別の刺激・神経細胞も励起されることになる。

であれば、次に認識される刺激は、想起だけを例に挙げれば、
先に認識された刺激に関連した刺激が想起される事になる。

例えば、と私が「例えば、」という想起をした場合、
た・と・え・ば・(、)、という連続した想起をしたことになり、
これは、上の記載した内容に継続する形で、次の文節を考えようとして、
その例えを記載するという思考に至ったのちに、最初に想起された内容となる。
先に「たとえば」が想起され、その文字列である「た・と・え・ば・、」の音と、
文字が脳内で想起され、それをキーボードで入力するという運動が想起、実行されたという事になる。

想起の中断や内容の変更は、環境や個体の内部から生じる感覚器官で入力される刺激という事になる。

想起による関連が、想起の内容の中断や内容の変更をするという事は考えづらい。

これは、認識の仕組みで考えた時にも、
認識が、主観的な刺激か、想起的な刺激の連続した認識であり、
どちらかを常に認識するような機能を持っているという事、
そして、主観的な刺激、つまり、感覚器官から入力される刺激の方を、
生命にとっての重要な刺激として取り扱う、つまり刺激を高く評価するようになっているということ。

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つり橋効果について

今回の考え方からすると、つり橋効果も想起の連動によってこの事象が起こっている事になる。
身体的な危険に対する緊張や高揚と、恋愛感情に対する緊張や高揚に対して、
その身体的反応が似ている事に対して、双方の刺激の認識を同様なものとして感じる結果ということになる。

ただし、調べてみると、その場に同時に存在する人の対象が、自分にとって魅力のある、
価値の高いと評価できる対象でない場合は逆効果であるらしい。
つまり、身体的な危険や緊張などが、悪い方の強い刺激としてその対象を連動して認識するという事になる。

実際は、つり橋に乗っている自分の身体的危機に対する緊張や高揚に対して、
身体的な自動的な反応や反射として、心拍数の上昇や、緊張による体のこわばり、
つまり、恐怖や危険による環境や個体としての感覚器官から入力される刺激を認識した際に、
その刺激をきっかけとして、その刺激に関連した恋愛に関する刺激が、
同じ身体的反応としての刺激をきっかけとして、間違いというよりも、刺激同士の当然の関連の励起として、
恋愛としての刺激が励起され、認識に至るという事になる。

ここではつり橋効果の認識のきっかけは、その自身の個体が置かれた場所や状況による、
危機としての刺激の認識ということになる。
つまり、環境や個体の感覚器官から入力された刺激である。

通常の関連では、その刺激によって普通に恐怖や緊張という認識が起こることになる。

つり橋効果の際は、近くに自分にとっての魅力のある人物の存在が同時にあり、
この人物の対象の認識が同時に行われることによって、
本来、危機としての刺激の認識が、恋愛という刺激の認識にも連動して励起されるという事になる。

であれば、価値判断として、危機や危険と認識するよりも、
その当事者の自分が、これは恋愛であると認識した方が価値が高いと価値判断したという事になる。

これは、その自分の価値において、
身体的危険より、恋愛の刺激の価値を高く評価する価値観を持っている必要もある。

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今回の想起の連動は、
認識の仕組みとしては基本的な機能として以下のように考えられる事になる。

刺激の認識の連動:
感覚器官からの刺激A→刺激Aの認識
→刺激Aによる関連する刺激の励起→刺激Aにより関連した刺激Bの想起→刺激Bの認識

想起からの刺激C→刺激Cの認識
→刺激Cによる関連する刺激の励起→刺激Cにより関連した刺激Dの想起→刺激Dの認識

つまり、後の認識に至る前の認識のきっかけは、
感覚器官からの刺激、または、想起からの刺激が該当することになる。
そして、後の認識は、双方とも想起による刺激を認識することになる。

基本的な刺激の強さ・価値・優先順位:
感覚器官からの刺激>想起からの刺激

OSの割り込みの概念が近い。
刺激は感覚器官から入力された刺激の方が価値が高いと評価される。

意識の条件:
覚醒状態において意識を保つには常に何らかの刺激を認識し続ける必要がある。

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想起の選択の幅

価値観の構成がされた状態において、
その記憶されている刺激の関連は知能ごと、価値観ごとに異なり、
その関連も、その価値観ごとに異なる。

そして、刺激同士の関連も固有のモノであるが、
この場合、その想起の連動については、その知能に固有の関連した励起と想起が行われることになる。

つまり、知能においてある刺激が励起され、認識に至った場合、
その認識に至った刺激に関連している刺激が励起されることになる。

この関連によって励起される刺激というのは、その知能が、
その過去において、その刺激同士の関連する励起が行われたことがあるということでもある。

「知らない価値は目指せない」の通りに、
逆に過去に知っている、つまり過去に認識されている互いの刺激は、
その過去の経験によって、後に関連した励起が行われることになる。

つまり、ある知能において、ある刺激が励起、認識された場合、
その認識された刺激によって、関連して励起される、想起されるかもしれない刺激というのは、
ある程度限定されているという事になる。

だから、知能が何かを思い出したり、思考したりする場合には、
その知能が持つ固有の刺激の関連によって、その想起対象はある程度決まっているという事になる。

その対象は刺激であり、その関連があれば、認識できる対象としての全てがその対象となる。

自我、感情、思考、欲求、習慣、嗜好、信条、その他のいずれもがその対象となり、
その制限を受ける事になる。

つまり、知っている事でかつ、関連をもっている刺激であること、
つまり、過去に経験し、記憶している刺激で、なおかつ、その刺激の対象同士、
もしくは一方向であってもその関連を持っている刺激である事、
それらのみが別の機会の認識において連続して関連する刺激の励起、想起の対象になりうるということである。

文章の内容の運びのくせや、考え方のくせ、
生活習慣のくせというか習慣、それ自体、
行動や指向のくせ、そういった、あたかも認識を誘導しているかのように、
個体が固有で持つ傾向というのは、
この価値観の構成における、刺激の関連の出来方がそのまま表れているという事になる。

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今回の話を簡単にまとめると、
人間の知能は個体ごとに固有の思い出し方があるという事。
となる。

細かいことを言えば刺激の記憶時の関連の有無になるが、
要するに、思い出し方も、過去に経験して記憶していないとその思い出し方はできない。
という事になる。

今回はこの辺で。


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