2023/4/9

刺激の定量化と自我の想起

255の考えで、
知能がある対象について認識する場合、
これは、環境や体内から生じる感覚の刺激の場合と、
想起によって生じる刺激の場合があるが、
そのどちらにおいてもという事であるが、
この対象の認識においては、
その対象はある情報塊としての情報のまとまりを持っていて、
それ全体で1つの認識に対応する刺激や情報という事になるという事だった。

つまり、認識の対象とするために、刺激が単位化された情報のまとまりになっている、
という考え方になる。

これは、ある刺激が、神経細胞1つでその刺激を表すことが出来るということにはならず、
というか、神経細胞1つで様々な情報を扱う事ができないので、
その関連、互いの軸索の接続、シナプスの形成によって、
そのある刺激に対する情報を、それぞれの神経細胞がその情報の要素、
実際には基本的な感覚、五感が持つ情報の様々な要素を別々に受け持ち、
その要素毎の関連を、ある刺激に対応させる事で、
1つの刺激が持つ様々な要素の情報をまとめて、
その1つの刺激に対応した1つの情報であると決める事になる。

そして、255では話がそれたという事になったが、
自分や自我という刺激の認識についての再構成や想起であるが、
その内容の補足として、今回そのあたりついて追加で考えてみる事にする。
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知能における価値観は過去の記憶の中で自分が認識した刺激の記憶である。

認識したという事は、その価値判断、他の刺激との価値比較において、
その認識の瞬間、その刺激が最も価値が高いと判断された結果である。

つまり、価値観は自分が価値が高いと判断して認識した記憶の集合体ということでもある。

想起による刺激の再構成は、価値観でもっている刺激の記憶から再構成される。

ということは、想起によって再構成される刺激は、自身の知能にとって1度以上は
価値が高いと判断された刺激が元になっている事になる。

つまり、想起による刺激の再構成は、自身の価値観において、
価値が高いと判断された刺激の記憶から構成されている事になる。

つまり、想起された刺激というのは、自身にとって最初から価値が高いと判断されやすい対象である、
という事になる。

反論としては、時間経過によって、神経細胞の強化度合いが低下することが考えられ、
励起されづらい刺激となることも考えられる。
似た考えでは忘却・健忘。

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上記の考え方を自我について当てはめてみると、

自我も認識対象であるので、情報としては刺激に相当する事になる。

また、自我は感覚器官で入力される刺激ではなく、想起によって再構成される刺激である。

自我は1つの情報や刺激ではなく、様々な要素を含む情報塊である。
しかし、認識対象となる刺激は定量化が必要であるので、
一度に認識できる刺激には限度がある。というか限度を設ける必要がある。

自分がどのように感じるか、考えるか、欲するか、
これらが自我の要素であるなら、それらは全て想起によって構成される対象であることになる。

想起で用いられる価値観として持つのは、過去の認識の刺激の記憶である。

ということは、自我の刺激を再構成する際に用いられる価値観は、
自身に対する認識が行われた際の刺激の記憶であるという事になる。

つまり、自分を構成するための情報や要素は、
過去に自分が感じたり、考えたり、欲した、その事、その刺激について認識した記憶であるという事になる。

ここまでをまとめると、
自我の認識は、想起によるもので、
一度に自我の全てを認識することはできないが、
自身の価値観、つまり過去の自分に対する認識を行った刺激の記憶から再構成され、
自らが自らに対して認識しようとした情報からなる刺激として再構成された自分についての刺激を認識する事。
という事になる。

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211の「認識のあいまいさと許容の幅」にあるように、
認識に対する刺激というのは、画一的な情報の指定があるわけではなく、
その認識時点で感じられる刺激が、その時点で最も強い、最も価値が高いというだけの条件が、
認識では必要となる。
つまり、
認識の対象となる刺激は、定量化されている状態ではあるが、
決まった情報の全てが必要であるという条件は無く、
比較対象は他の刺激であって、その他の刺激に比べて強い刺激、高い価値であればさえ良い、
という条件だけが認識される条件という事になる。

そして、それは、この認識において、時間経過によって、
その認識されていた神経細胞ネットワークの関連が、他のシナプスの結合において、
他の刺激が関連して励起されていくこと、つまり、
その励起の移行によって、次の認識の刺激が移動するように変化する事になるのではないか。

つまり、想起において認識された刺激は、その刺激を構成する情報、要素として、
様々な神経細胞がネットワーク化されて接続しているが、
その神経細胞自体も、その元の認識された刺激だけに接続されているわけではなく、
別の刺激の要素となる神経細胞にも接続されていることがほとんどである。
つまり、この神経細胞が励起されるということは、今認識されていない別の刺激の構成要素の
神経細胞も励起する事になることとなる。

これは認識される刺激の移行にも関係する事になるのではないか。
さらに、刺激は想起だけでなく、周囲の環境や自身の個体から生じる刺激もあり、
これは直接、割り込みのように外部から神経細胞を励起する事になる。

つまり、想起による励起の関連と、感覚器官による励起の関連によって、
次の認識される刺激が選択される事になっているという事になる。

つまり、神経細胞ネットワークの関連自体が、
感覚器官または、想起による刺激を元にして、
その時間経過において、認識される次の刺激の選択の条件となっている事が考えられる事になる。

これは今回の内容と少し異なるが後の課題として「認識の移動として」考える事とする。

今日はこの辺で。
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上記の短文の羅列の書き方の考えのまとめ方は自分でも書きながら分かりやすい。
今後も使ってみよう。
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