2023/4/2-2023/4/3

知能が行う価値の選択

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価値の定量化についての考えの継続で、
想起的欲求の対象となる想起による刺激・価値に対して認識を行うという事について考えていた。
そして、その考えている事自体について考えてみると、
今自分が意識的に考えて想起して、認識している刺激や価値というのは、
自らの選択において、何が働いているのかについて考える事になった。
そして、思いついたのが、この考えている時の認識というのは、
自分の知能が思考している時に行っている事、
つまり、思考で選択している刺激や価値の選定基準が、
そこに含まれているのではないかと考えに至った。
つまり、「自分が考えている」という感じは、
その考えについての刺激や価値を選択して認識している事でもあり、
それは、自分が意識して行っているというよりも、
その思考に際しては自動的に行われているのではないかという事である。
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生命は常に価値の高い状態を選択する。
これは、脳の機能としてそうせざるを得ない。
知能は常に価値の高い方しか選択されない、
選択せざるを得ないからである。

これは、価値(=刺激)を認識するという事は、
その価値がその認識時点で最も高い事を意味し、
認識されたという事は、それを選択したという事と同義となる。
逆に、認識されない、認識しないという場合は、
その対象の価値が低いという事であり、
その対象は選択されなかったという事でもある。
つまり、認識する対象となる価値・刺激は、
常にその瞬間において価値が高いという状態であるという事になる。

これは刺激が価値観を通して価値が評価される仕組みを経由する。

刺激→価値観→価値→認識するという事→他の刺激の価値に対して相対的に価値が高い
→この刺激は認識される→この刺激の価値が選択されたという事

刺激→価値観→価値→認識しないという事→最も高い価値に対して対象の価値が低い
→この刺激は認識されない→この刺激の価値は選択されなかったという事

ここから発展的に考えられるのは、
刺激や価値の選択において、この「価値観」の存在は、
知能そのものであるとも考えられるという事である。

つまり、価値評価や選択は、その機能発動の条件として特に決まったものは無く、
基本的に自動的に行われるものである。
つまり、刺激を受ければ、その刺激を受けた事に対して認識の有無に関わらず、
自動的に「~が感じられた」結果の価値を評価している。
そして、いざ刺激を認識するという選択においては、
その認識時点で最も強い価値となる刺激が自動的に認識される。
つまり選択される。
これは、意思や意識で操作できるものではなく、
その価値観の機能の構成上、そうせざるを得ないのである。

心頭を滅却すれば火もまた涼し。という反論が思い浮かんだが、
これは、火が熱いのはどうしようもないが、
それ以上の刺激の強さの想起を行う事で、
熱に対する刺激を超える刺激・価値を生じさせるという思考の働かせ方の問題で、
熱に対する刺激を認識しないように別の事を強く考えるという事で、
別に火が涼しく感じられるというものではない。

結果的に価値観の働きという答えにより近づいたという事になる。


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思考で考えるという事は、
それを思考中に認識する事でもある。
つまり、認識する事というのは、
その対象の価値が高いという事。
つまり、思考中で何かを考えている、ということは、
その価値が高くなっている・高くしているという事でもある。
これは、価値観の構成を作り出している事と同義という事になる。
この考え方はこれまでの関連を作り出すという事と同じという事になる。

つまり、思考がその何かについて考える時、
その何かを認識させるために、それまで保有している価値の新たな関連を作り出し、
認識に至る価値の高い新たな価値を生じさせようとしているという事になる。

そして、それが認識に至れば、その認識に際しての、
刺激・価値の再構成のための、想起のための記憶がそのまま価値観に加わるという事になる。

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想起的欲求

定量化しないと価値として記憶できない

自然界に無い刺激・価値

253の続きで、
認識に個体差があっても、その刺激・価値を記憶するためには定量化が必要になるという事。
つまり、想起する刺激・価値には実際の主観的な刺激・価値で再構成する事が必要になる。
逆に記憶する刺激・価値は実際の主観的な刺激・価値による再構成が必要になる。

つまり、人間であれば五感によって対象の刺激・価値の情報・要素を再構成する必要があるという事。
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今回のまとめ。

価値の選択はほとんど自動的であり、
刺激による神経細胞ネットワークの励起がそのきっかけとなり、
それに関連し想起される刺激・価値がその選択の対象となる。
この場合、選択したと自分が感じる対象は、価値観において、
最も高い価値を持っていたという事でもある。
つまり、

選択=最も高い価値の刺激の認識

であったということである。
意思や意識的に選択を行うという事ではないという事になる。

これは、常に選択したと感じている対象が認識されているという事の裏付けにもなる。
選択した対象が認識されないということは知能ではあり得ない。
必ず選択した対象は最も高い価値を持ち、認識されている事になる。

経験した事の無い外的要因、外的刺激・価値に対して思考が働く。
つまり、思考が働く事象は、
その個体が過去に経験した事の無い刺激に対してであり、
この場合に、この刺激を認識するために、既存の価値観で持っている価値から、
その刺激によって関連して励起された刺激をまとめて関連し、新たな刺激として認識を行い、
それによって新たな刺激・価値として価値観を構成する。

それ以降の経験した事のある刺激に対しては、
ほぼ自動的に価値観からの想起によってその刺激・価値に対する評価が行われる。

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今日の内容からすると、
人工知能の知能の構成は、価値観の構成そのものであると考えられる事になる。
これは人間の知能であっても同様で、
価値観の理解がそのまま、その個体の知能の理解になるという事になる。

自分自身も人間としての生物であり、
複雑な知能を持っていると思っていたのだが、
思ったよりも知能は自動的に何かを行っている事の方が多いらしい。

今日はこの辺で。


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