2023/3/20

感情と価値評価の関係

248で感情と価値評価について考える必要があるという事について。
今日考えていた中でまとまった内容は以下の通り。

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・ある対象についての価値が、時間差によって変化する時、
その価値の変化という刺激の認識に対して感情が生じるという事。

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・感情を生じる価値変化は、
0(ゼロ)→+
0(ゼロ)→-
+→-
-→+
+→より大きな+
-→より大きな-
この変化のいづれかであり、
この価値変化という刺激の認識に際しての価値評価によって感情が生じるという事。

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・感情を生じる価値変化に対するきっかけ、
つまり、その価値変化を生じる事になった要因の対象、
例えば、自分が予想していた反応が自分が行動した結果起こった、
起こらなかった、という場合は、自分の行動がその要因の対象であり、
自分が予想していた反応が他人の干渉によって、結果起こった、
起こらなかった、という場合は、他人の干渉がその要因の対象となるといった、
その価値変化を生じる原因、要因という対象が存在する事によって、
生じる感情が変化するという事。
この場合、自分の行動だけで収束する場合は、期待の結果に対して、
成功すれば嬉しい、失敗すれば落胆、哀しいなど、
もし、この原因、要因が、他人の干渉によって期待の結果が変化した場合、
成功すれば嬉しいや、対象に対しての感謝、失敗すれば落胆もあるが、
対象の他人に対しての怒りなどが感情として生じるという事。

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・感情はある対象についての価値評価の変化という、
その変化に対しての刺激に対して、主観的な価値評価を行い、
その価値評価についての認識が感情に当たるという事。

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・価値変化の差と、価値変化の差の価値評価には、個体差が存在するという事。
つまり、価値観の違い、個体ごとの自我の違いによって、
感じる感情(=認識される感情の状態)が異なるという事でもある。

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・刺激の価値評価において、先天的な刺激、つまり、五感に関する刺激と、
後天的な刺激、つまり、学習によって得られる価値となる刺激によって、
生じる感情に違いがあるという事。

以下は先天的・後天的な刺激の差としての変化と、
その変化が起こる要因が自分が行った事に対する自己の要因であるか、
他者が何かした事による他者による要因であるか、
そして、その結果としての感情が、自己に対して向けられる場合と、他者に対して向けられる場合、
そして、その感情を向ける対象として、自己評価を高く、自分で自分が好意的(好)であるか、
自己評価が低く、自分で自分を敵意的(嫌)であるか、
また、
今の私自身の価値観において、
感情を向ける対象が他者である場合の、他者の評価が好意的であるか敵意的であるかの場合について考えてみた時の、
他者の評価が高く元々好きな対象であるか(好)、嫌いな対象であるか(嫌)について、
感情や感覚を書き出してみた。
出来るだけ想像した感覚を文字で表現してみたが、それでもよく分からない感情の場合は()とした。

先天的・後天的:刺激の変化
0(ゼロ)→+ 変化は自己要因 自己対象 喜び 恥ずかしい 他者対象 () ()
変化は他者要因 自己対象 喜び () 他者対象 好意 戸惑い
0(ゼロ)→- 変化は自己要因 自己対象 悔しい 哀しみ 他者対象 () ()
変化は他者要因 自己対象 悔しい 諦め 他者対象 残念 怒り
-→+ 変化は自己要因 自己対象 喜び 照れ 他者対象 好意 困惑
変化は他者要因 自己対象 喜び 感謝 他者対象 好意 困惑
+→- 変化は自己要因 自己対象 残念 諦め 他者対象 () 不満
変化は他者要因 自己対象 怒り 諦め 他者対象 残念 怒り
+→より大きな+ 変化は自己要因 自己対象 喜び 恥ずかしい 他者対象 好意 困惑
変化は他者要因 自己対象 喜び () 他者対象 好意 困惑
-→より大きな- 変化は自己要因 自己対象 哀しみ 諦め 他者対象 哀しみ ()
変化は他者要因 自己対象 残念 諦め 他者対象 残念 怒り

こうして考えてみると、私自身においては、
特に先天的であっても、後天的であっても、その価値評価について生じる感情には大きな差は無いように考えられる。
ただし、いずれの反応においても、先天的な刺激、つまり五感による刺激の価値評価の方が、
後天的に得た価値評価よりも強い反応をする様に感じた。
つまり、私の個人的な刺激に対する評価ではあるが、感覚器官から受けた刺激に対して価値評価した場合の方が、
その後の感情の表れに対して、よりはっきりとした、強い反応を起こしている様に感じた。
つまり、刺激の変化の差が表れやすいと感じた。

この辺りの評価は、それこそ個体差によって千差万別であるので、
一概にこのような刺激の変化があった場合には、この感情になる、と定義することが出来ない。
ただ、おおよその感情の感覚としては誰であっても同じような感情に収束すると考えられる。

特に後天的な価値評価は、その刺激、価値を認識した時点において、その評価自体を変化させることが出来る。
つまり、価値観の見直しが出来るという点で、決められた定義に当てはめるのが難しい。

例えば、自分で正しいと信じていた対象が、実は間違っていたという場合、
それまでは価値評価においてその対象は+プラスであるはずのモノが、その時点で-マイナスに変化した場合、
その認識の時点で感じる感情が一変する事になる。
これは、先天的な感覚の刺激だけにおいてはほとんど起こりえない事なのだが、
後天的であればそれがあり得る。
さらに追加すると、先天的な刺激において-マイナスであったはずの刺激が、
例えば、嫌いな食物があったとする。これが、大好きな相手が実は好きな食物であったと知った時、
自分の味覚が変化しうるかという事になると、実際嫌いで過ごしていた食物に対して、味覚が変わるという事は無いが、
後天的に得た刺激の関連、その価値評価において、大好きな相手が好きな食物である事の関連が加わることによって、
その食物に対する価値評価が、それこそ一変して、好きな食物に変化する事もある。

これは感情においても同様で、嫌っていた何らかの対象が、
自分が好きな人が好きな対象であったと知った場合に、嫌いなままでいるかという事を考えると、
自分が好きな人の好きな度合いが自分より好きで優先する対象であれば、嫌い→好きに変化するかもしれない、
または、
自分が好きな人の好きな度合いが、それほどでもなく、自分の方が好きな場合、
その評価を変える事はないという事になる。

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これらの事から、
現時点では特定の感情について、画一的な価値評価の結果として生じる感情の定義というのは
難しいという事になる。
ただし、感情の方向性、指向性というのは、ある程度決められた反応を起こすため、
その程度や定義によって、集合としての分類はできそうな気がする。

それらについてはもう少し思考する材料が必要そうなので、
また後程考えてみる事にする。

今日はこの辺で。


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