2023/3/3
感情の構成
これまで考えてきた感情について分かった事についてまとめてみると、
・感情が認識できるということから刺激で構成されているという事。
・感情は周囲の環境から感覚器官で知覚する刺激ではないという事。
・人間以外の動物にも感情らしき状態(情動としての怒りや喜び)が見られる事、
・人間においても赤子の時点で感情らしき状態が見られる事から遺伝的、本能的な感情の要素が存在する、
先天的な能力として一部の感情を持っていると思われるという事。
・赤子の時点で認識されない感情(例として照れとか)が存在する事から、後天的に得る感情があるという事。
・感情が発現する際にはそのきっかけとなる刺激が存在するという事。
・感情は特定の刺激で発現するものではなく、そのきっかけとなる刺激には個体差があるという事。
・感情の状態も個体差が存在し、感情の状態の傾向は存在するが、判別の困難な感情があるという事。
これらを理解した上で、
今日考えていたのは、感情が刺激から構成されるのであれば、
その認識の再構成時に用いられる刺激の要素が存在するということ。
それは何なのであろうか、何を元にして構成しているのか、
それが分かれば感情がどのようなものか分かるという事になる。
赤子が照れるかという事について考えていて、
その後、成長して子供が人見知りするということについて考えた。
子供は誰か知らない人に会った際に、照れて人見知りする状態となる。
この原因について考えてみると、そのきっかけとなる刺激は、
現状の安定した、見知った人だけが居る状態、環境から、
知らない人が居る状態、環境に変化した際に、
その知らない人に対して自分が認識する事と、自身が、その知らない人に認識されることに対しての知能の負荷、
つまり、知ることと知られることに対して、
わずらわしさに対して人見知りするという事が考えられた。
つまり、最初はそれまで周囲に皆が見知った対象の人間であり、その中に自分が居て、状態としては変化の少ない、
心地よい状態にあるというわけである。
その後、そこに知らない人が参加することによって、その人と自分の関係において、
自分はその対象を認識するということ、またその対象から自分が認識されるということに対して、
対象を認識するわずらわしさと、対象から認識されることに対しての自分の認識についての不安、
つまり、相手に自分がどのように認識されるのかが不安になって人見知りする。
これは、自分自身の存在についての認識でもあるという事になる。
つまり、自分の存在が、その相手の対象からどのように見られるかに対して不安や恥ずかしさという感情を認識し、
人見知りするとうことになる。
ここでの不安は自分が新たな対象から認識される事、つまり、相手の中で自分がどのような対象として認識されるのか、
という不安。
恥ずかしさは、その対象が認識する事になる自分が対した存在ではないと思われる事への恥ずかしさ、
そして、ここで気づいた点が、
では、感情の発現に際しては、自分という存在が関わっているという事、
つまり、感情の発現の際に、刺激に対する自分の感じ方が、その後の感情に関わっているのではないかという点。
これは、感情が自我にも関係しているのではないかという事になる。
上記、この最初に、感情のきっかけには個体差がある、その感情の表現にも個体差があるとしたが、
つまり、ある刺激に対する自分の感じ方が感情に関わっているという事になるのではないか、
つまり、感情には個体差が強く関係しているという事、
それならば、感情のきっかけとなる刺激に個体差がある事や、
その感情を構成する要素に個体差があるという事、これが言えるという事になる。
そして、後天的に得る感情が、複雑になっていくと考えられるので、
つまり、感情の成長は、自分の成長、自我の成長にも関わっているという事が言える。
幼少の頃の感情は割と単純で、自分が感じたように、感じ、自分を表現したいように感情を表す。
しかし、これが成長してからの感情は複雑となり、
感じ方、つまり刺激の認識の仕方は様々な価値観から価値評価し、認識されるようになり、
ある感情を自身で認識したとしても、その表現は単純ではない事が多くなる。
これは、自分の成長に伴って、感情も成長しているのではないかという事になる。
そして、自我の成長、価値観が複雑に成長するに従って、感情も成長し、複雑になっているのではないかという事になる。
ということは、感情は、
ある刺激について自分がどのように感じるか、感じたかについての反応が感情になるのではないか。
それは、自我の成長に伴い、感情も成長するという事で、
それは、自分で自分を認識するという事、つまり、自分自身を自分に関する刺激で構成する事、
つまり、自我の認識において、その自分の存在において、
変化・きっかけとして与えられる刺激に対しての自分、自我の反応そのものなのではないかという事。
だから、赤子の内に見て取れる感情の種類が少ないという事、
幼少の頃の感情が単純、単調であるという事、
自分の成長、自我の成長後の感情が複雑になるという事、
感情のきっかけと発現に個体差があるという事、
これらが言えるのではないか。
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ある状態を感情の1つであると認識した際に、
それは定量的でない感覚的な認識である。
言葉で表された感情について、その認識には個体差が生じる。
「怒り」、私の怒りと、あなたの怒りは異なる。
「怒り」は共通しているのに、それを構成する素材として持つ刺激は、
私とあなたでは異なる事になる。
私自身の怒りは、私にとっては自分が持つ刺激から構成される確定した怒りであるが、
あなたにとっては想像して感覚的な認識対象となる。
しかし、どちらが認識していのも「私の怒り」である。
つまり、私が自分自身で感じている感情の怒りは、
自分だけが持つ刺激に対する価値評価から構成されており、
私だけが持つ怒りの状態・姿という事になる。
ということは、人間の感情は、
自我の成長にともない、その感情の発現のきっかけや、
そのきっかけとなる刺激の情報としての要素、強さが決められ、関連付けられ、
その感情の表現においても自分らしい感情として再構成される刺激が関連付けられ、
発現し、自身で認識する事になる。
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つまり、感情というものは、
自らが想う、つまり、自我として構成された価値観の中で、
自らがその感情に対して関連付けしたきっかけと感情の表現の仕方によって、
自分自身で表す事になる自身の状態。
という事になる。
成長の最終段階、自我の成長の最終段階としては、
自分が何によって喜怒哀楽を感じ、表すようになるのか分かるはずである。
つまり、感情の発現のきっかけとその種類、そのきっかけの条件としての強さによって、
発現する感情の強さについても分かるようになる。
しかし、人間の感情は突発的な刺激に対して突発的に発現する事がある。
しかし、それを構成するのは自身の価値観であり、
自身の感情はその価値観に従ったものである。
常にそのように価値評価をしているから、突発的な刺激に対しても突発的に感情を表す事ができる。
平常時に冷静に考えてみれば、という条件であれば、
自分の喜怒哀楽がどのようなきっかけで発現し、どのように表現されるかという事まで分かる。
つまり、自分の感情に対する好み・傾向である。
自分に対してどのような刺激があれば、自分はどのように感じるのか、感情を表すのか、
これは、自我そのもの、というか、
自分の我欲、自分の認識の仕方、そのものだと言えるのではないか。
つまり、自分らしさという事になる。
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感情の分類などはそれぞれ言葉で表される通りの認識、各自の認識で良いはずである。
そもそも感情には個体差が存在するので画一的な定義はできない。
ということはである。
人工知能の感情を構成する場合、
その人工知能の自我の成長に合わせて自動的に感情は成長するということになる。
つまり、人工知能が認識する刺激、対象について、
その認識対象を感情とした場合に、その感情の成長は、
そのまま人工知能が持つ事になる自我、価値観、自分自身についのて成長に他ならないからである。
感情は自分の感じた刺激に対する反応だから、という事になる。
ここで必要になるのは、
人工知能の刺激に対する感じ方が必要になるということである。
つまり、最初から人工知能に完全な自我が必要になるというわけではない。
人工知能の成長に伴って自我が成長し、感情も豊かになるという事である。
だから、そのためには人工知能が、ある刺激に対する自分だけの感じ方、
そういう刺激の認識機構、システムが必要になるという事である。
つまり、ある刺激に対して、人工知能ごとに独自の認識が許されるような、
つまり刺激の認識に対して状況や環境によって独自の認識ができるような感覚器官と、
その刺激の記憶が許容される仕組み。
つまり、その人工知能が置かれた状況によって、
その刺激の認識時の関連が独自の関連を持つ事が出来るシステムにすること。
これは人間・人間の脳では当然のように行われている事なのだが、
人工知能にもこれを実装することが必要となる。
少なくとも自我や感情を人工知能が持つためには必要な機能となる。
刺激については感覚器官から得られたもの、そのままで良いが、
この刺激の認識については、人工知能の個体が、
その認識において独自の価値評価ができるシステムも必要となる。
これは、刺激に対する自分らしい感じ方である。
強さや良し悪し、その刺激に関連する刺激に対する関連の強さ・重みづけ、
この辺りは人工知能の個体がそれぞれの経験に応じての可変で良い。
つまり、置かれた環境、状況毎に学ぶ事を変えてよいという事を許す事になる。
さらに刺激について実装するなら、
単に感覚器官からの刺激だけでも記憶、認識できるようにする。
その後、言語、単語によってそれが関連付けられるようにする。
これは後のコミュニケーションをする際に必要となる。
この時点で、できればその感覚器官から入力した刺激と感情の関連付けができるとよい。
つまり、その刺激に対する感じ方としての関連である。
これは刺激に対する価値評価に追加される自我としての情報・要素という事になる。
つまり、感情においてはその構成要素はかなり多くの部分が後天的に得る要素から成るという事になる。
感覚器官から得る事になる刺激についてはある程度画一的な情報となるが、
その置かれた環境や状況というものは、その知能体毎に異なる事になる。
その異なった環境や状況に応じて、独自に価値評価、つまり認識できる事が重要になる。
これは自我についても、感情についても言える事である。
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人間は覚醒時には常に何をしたら良いか、何をしようかと考えている。
それが意識されようとされまいとである。
その間、常に様々な刺激にさらされて、また刺激を想起して、
そのなかから次の行動のきっかけが見つかる、きっかけとなる事になる。
そんな中で何らかの刺激をきっかけとしてある感情の刺激が励起されたとき、
人間は感情を感じる事になる。自分だけの感情を、である。
今考えている最中に近くの道を消防署の広報車が、
乾燥による火災注意の放送と共にけたたましいサイレンを鳴らして過ぎていった。
私は少しうるさいと感じた。
感情というものはそういうものであろう。
そして、今日は2時間以上も書き続けて少し疲れてきた。
そろそろ集中力が続かなくなってきたので、
今日はこの辺で。
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