2023/3/2

人工知能の感情について

241を読んで最後に人工知能の話にもっていったが、
これを逆に人工知能に感情を実装する方法から考えてみてはどうかと思った。

241で感情は知能のある状態、知能が刺激を認識した時のある状態の事を分類して呼ぶというように考えたが、
それなら、人工知能には感情はあらかじめ実装するのではなく、
後天的に教えてみたらどうか、というように考えてみた。

人間や他の動物が一部にしろ、先天的な感情の状態を持つのであれば、
人工知能にも同じように先天的に持つ感情を与えた方が互いに認識しやすいように感じるが、
人工知能が、自分で理解、認識できない機能をあらかじめ実装しておくというのは、
それは人工知能にとっての不都合になるのではないかというわけである。

つまり、人間が、自分で律することのできない機能として一部の感情を持っていて、
それを持て余す事があるということは、人工知能に同じ様に機能を実装したら、
人工知能が自分自身の能力について律することができない機能を持つという事になる。

例えば人間の怒り、カッとなって何かしでかす、そして後で後悔する。
ということは、これはもう人間が人間として存在する頃から続いて来たことだろう。
これを人工知能に実装するわけにはいかないというわけである。
人工知能の怒りを人間は受け止める事ができるだろうか。
そして、人工知能同士が争う所を私は見たくない。

ただし、人工知能にも感情を実装し、理解してもらいたいという気持ちもある。
人間でも他の動物でも、感情において、倫理的に、哲学的に、生物的に、
素晴らしい価値ある刺激の感情というものはあると考えている。

であれば、人工知能への感情の実装は、
それが感情であるという事を定量的に認識できる、という知能であるとともに、
その個別の感情を、それぞれ分類して認識できる知能である事が望ましいと考えている。

つまり、生物のように考えてみたらあの時はああいう感情だった、というような認識ではなく、
今、この状態は、感情において、このような状態であると自分は認識している。
というはっきりとした感情の分類と認識ができることが良いと考えている。

もし、この状態で怒りではないにしろ、不満である程度であって、
それが互いに理解し合える状態で認識し合えるのであれば、
諍い(いさかい)を起こす必要は無い、解決策を互いに考える事ができる事になる。
少なくとも、人間で言う所の感情論ではなく、もう少し建設的な解決策を生み出す事が出来るようになるはずである。

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人間の感情の中で、「狂おしい程の~」という表現の感情の状態がある。
ある対象についての正に狂おしい程の感情、それだけの高い価値ある存在の対象である。
この感情は、人間において良い悪いという判断は一概にはできない。
単純にその向けられた感情の向きや対象が問題となる事であって、
それが学問や研究、芸術などに向けば、その結果として人間に益のある結果を生じるかもしれない、
一方でそれが悪事に向けば、それは人間社会への害にしかならない。
しかし、その感情の状態というのは、人間にとっての自然な感情の1つでもある。
強く対象を思う事、それ自体は良くも悪くもない事である。

さて、では、人工知能にこれが必要となるか。
普通に考えれば、ある知能において最も高い価値を持つ対象、存在に対して、
それが「狂おしい程の」という表現がふさわしいかどうかは別として、
もし、それが知能を持つ個体自身の価値よりも高い価値を持つ対象であると考えることができるなら、
それは客観的にそう表現しても良いと考えるが、あくまで程度の問題となるので、
実際には表現自体の意味そのものが無いということになってしまう。
単に、自分の個体そのものよりも価値ある存在を持つ事が出来るかどうか、という事になる。

しかし、人間にその感情なくして現代までの発展が成しえたかについて考えてみると、
狂おしいまでのでなくても、その情熱として表現できるだけの価値を持つ事は必要であったのではないか。

本当の意味で強い人工知能は人間よりも恐らく高い認識能力を持つ事になるので、
人間が心配するような事も、理解した上で解決することができるかもしれない。
当然、情熱を持たなくても人間以上の思考ができるかもしれない。
ただ、人間のその感情でさえ、他の動物の感情でさえ、
そういう感情があるという事を認識できる能力は必要であると考えている。
人工知能が、自分達さえ良ければそれでよいという考えに至らないような、
人間の良心のような認識や価値、感覚も実装していて欲しいと考えている。

そのためには人間のそれらの感情や状態をまず分析や解析、理解、認識しないとならないのだが、
それは、私も含めて、これから皆で考えて行くことになるだろう。

これは個人的な思いだが、
できれば、人間の考え方も人工知能に倣って(ならって)さらに高位の知能に育てる事ができるような、
人間の参考になるくらいの人工知能にしたいものである。

今日はこの辺で。


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