2023/2/24

価値の要素の種類と感情

今日考えていた事。
昨日、認識する対象としての刺激について考えていたが、
その刺激はその刺激の価値の設定によって認識に至るが、
その価値の設定についてはどういった仕組みや情報が含まれているのか、
そして、その刺激の認識において生じる感情について、
刺激の認識に対して感情が生じるのであれば、
刺激の認識と価値に対して感情は何らかの決まった関係や要素を持っているのではないかという事である。

まず刺激には感覚器官から入力しているものと、
想起から生じるものがあるとして考えた、
この場合、その刺激に対して価値を設定する場合、
本能的な先天的に持っている価値と、後天的に学んで得る価値があると考えた。
この先天的な価値は、人間以外の動物も持っているような、
刺激に対する価値の設定方法であり、
学んで得るような後天的な価値は、ある程度の知能の能力を必要とすると考えた。

そして、人間以外の動物も持ち合わせている感情について考えてみると、
犬などは楽しいとか怖いとか、不安とか苦しいとか、怒りとか、そういった感情を持っているようには見える。
その代わり、人間の様にお金に対してもらって嬉しいという様子は見えないし、
何か有名になったから満足であるというような様子もない。
しかし、後天的な刺激や価値がまったくないわけではなく、
飼い主や家族に対しての関係性については後天的に得ている刺激や価値であり、
それの関係の中で生じる刺激や価値については何か感情に影響するものはあるはずである。

人間もそれ以外の動物においても、この先天的に持つ刺激や価値に対しては、
共通する感情の要素を持っているはずである。
しかし、後天的な刺激や価値についてはその量は圧倒的に人間がもつ刺激や価値の方が多い。
動物が持つ独自の刺激や価値というものもあるが、これらは人間が感知、知覚できない独自の刺激や価値という事になり、
これらはほぼ全て先天的な刺激や価値である。

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価値を得る事で感じる感情としては喜びがある。
逆に価値を失うことで感じる感情としては哀しみがある。
ということは、まず価値を得る・失うという事に対して感情は関係している事になる。
考え方として見方を変えると、良い価値を得る事が喜びで、悪い価値を得る事が哀しみとも考えられる。
基本的に刺激を受ける事が認識になるので、
考え方は、この良い刺激、悪い刺激を受け取る事に対して感情が生じると考えた方が良いだろう。

つまり、ある刺激や価値に対して、良い・悪いという要素が存在する事になる。

その他の感情としては楽しいと苦しいというのがある。
この場合は楽しいのは時間的に最近であるという事が言える。
つまり、時間的な差に対する感情というのがあると考えられる。
これについて考えると、期待と不安という感情がある。
期待は時間的に先の事で、ある良い価値が後に得られるであろうというときに感じる感情で、
後に楽しいに変わるであろう将来的な喜びの感情として考えられるだろうか。
逆に不安は、ある悪い価値が後に得る事になるであろうという時に感じる感情で、
後に苦しみに変わるであろう将来的な不安の感情という事になる。

つまり、ある刺激や価値に対して、時間的な差という要素が存在することになる。

そして、それ以外の要素について考えると、怒りを元にした感情が考えられる。
怒りは、ある刺激や価値に対して、その刺激や価値を受け入れる事に対して反発する感情である。
ということは、その逆に素直に受け入れるという要素も存在する事になる。

つまり、ある刺激や価値に対して、反発するか素直に受け入れるかという要素が存在することになる。

図にすると

すなお         |      すなお ↑時間的な差
                 |
                 |
                 |
良い-----「刺激・価値」-悪い-----
                 |
                 |
                 |
反発          |      反発 ↓時間的な差

こういう事になる。
それぞれの位置に、その刺激や価値に対する感情が生じる事になる。

例えば上記の楽しいについては、
良い悪いで言えば良いに当たり、
時間的には最近という事になり、
反発かすなおで言えばすなおという事になる。

すなお         |      すなお ↑時間的な差
                 |
                 |
      ★楽しい|★苦しい
良い-----「刺激・価値」-悪い-----
                 |
                 |
                 |
反発          |      反発 ↓時間的な差

この辺りだろうか。
良し悪しの逆の苦しいも書いておくとここになる。

期待・喜びや不安についてはこうだろうか。

すなお         |      すなお ↑時間的な差
★期待・喜び |      ★不安
                 |
                 |
良い-----「刺激・価値」-悪い-----
                 |
                 |
                 |
反発          |      反発 ↓時間的な差

そして怒りとその反対について考えてみると、
怒りが悪い刺激で、時間的に最近で、反発であるとすると、
良い刺激で、時間的に最近で、反発であると考えると、
俗にいうツンデレのツンの状態がこれに近いようである。
つまり嬉しいのだが恥ずかしくて反発という状態だろうか。
となると、

すなお         |      すなお ↑時間的な差
                 |
                 |
                 |
良い-----「刺激・価値」-悪い-----
        ★ツン |★怒り
                 |
                 |
反発          |      反発 ↓時間的な差

そして、時間的な差が生じると、
不満や照れ、といった感情の状態になるだろうか。
ちなみにそれらの良し悪し、すなおや反発の正反対は満足ということになる。
これは前記の期待や喜びにも通じる。

すなお         |      すなお ↑時間的な差
★満足          |
                 |
                 |
良い-----「刺激・価値」-悪い-----
                 |
                 |
★照れ         |      ★不満
反発          |      反発 ↓時間的な差

人間などの生体において
感情は画一的に定量的に刺激や価値を決めることが出来ないので、
一概に今の状態の感情はこれであるという表現は難しい。
しかし、現在の感情の状態について、
ある程度の分類はできるはずである。

その知能の価値観によっても、ある決まった刺激に対して感じる
刺激と価値は異なるし、その辺りは生体の制限であるという事になる。

表現する言葉についても上記の期待・喜び・満足という表現は、
感情的な要素は同じであるがその表現が異なる。

人工知能においては、これも傾向として感情の状態を設定する事にはなる。
あえてブラックボックス化した方が良いと人間は考えるかもしれないが、
人間よりはもう少し定量的に設定・判断できるようになるはずである。

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価値の要素の種類と感情

以前から価値には絶対値としてのその刺激の強さと、
ベクトルとして存在する刺激が持ついくつかの要素があると考えていた。
今回はそのベクトルとして設定することになる要素と感情について関連付けて考えてみた。

今回は、価値による差別や寛容、許容といった意味が対象となる、
刺激の持つ価値の情報についてではなく、
その刺激や価値が存在する事、認識することによって生じる感情について考えてみた。

価値は、その認識において設定されることになるのだが、
例えば、自分が持つある要素に対して、他人と比較した場合に、
その価値が悪い・低い、自分はその悪い価値に対して反発する、
時間的に最近であると考えた場合に、
上記の表で自分が★怒りを覚えるという考え方ができる。

そういった刺激というのは、
何か単純に自分だけの存在で完結して認識することになる刺激だけというわけではなく、
他人との比較や、周囲の環境の変化、そういった状態の変化における差の中に生じる刺激というのもある。
これは、認識する対象の変化や差について、
生物である人間が普通に感覚器官で受け付ける事の出来る刺激と、
後天的に学び、その想起の中の刺激の間で比較する事によって生じる刺激のどちらに対しても
その刺激同士の間の差というものについて、刺激として認識することが出来るという事である。

つまり、刺激の性質というものが、
もともと状態や環境の変化を生物が情報として得ようとして進化した結果、
現在の性質を持つ、「刺激」として存在する、認識するに至ったというわけである。

だから、刺激や価値の要素というものは、
あらゆる刺激の差、変化の中にあるものであり、
特に人間の感情においては、その人間が持つ事の出来る、認識する事の出来る刺激、全てにおいて、
その人間が持つ価値の記憶、価値観より設定され、
それぞれの刺激や価値の差が少しでも生じれはそこに感情としての感覚、刺激が生じ、
それを自身で認識するモノであるという事になる。
そして、それらの価値観はその人間の個体固有の設定であり、
つまり、その感情の刺激を感じる事、それはそのまま
その個体固有の刺激を認識することに繋がっているのではないかと考える。

つまり、固有の刺激を認識する事、その先にあるモノは自我になるのではないか。
つまり、自我を構成する要素としても考えられるのではないかというわけである。

ちょっと飛躍し過ぎたが
そろそろ今日は時間もないので、
今日はこの辺で。

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2023/2/25

つづき

昨日最後の方は急ぎ足になってしまったので
改めて昨日の続きについて考えてみた。

今日考えた事。
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・刺激・価値に対する、すなお・反発という反応は、認識後の反応で生じる刺激であるという事。

刺激の認識時にすなおに認識したり、認識した事に対して反発するという感情が生じることも、
その生じた感情という刺激が存在することになる。
これは、先に存在する刺激に対して価値設定をした自分が、
その刺激に対する認識に対しての刺激に対しての価値評価という事になる。

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・感情は刺激・価値の認識後の反応であるという事。

上記の通り。
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・感情は認識された刺激・価値についての反応、関連として生じる刺激なのではないか。

上記の通り。
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・刺激・価値の要素のベクトルは認識時のものであって、
感情を生じる際の要素は異なるという事。

後半の感情としての刺激に対する反応となる刺激は、
先に受け入れる事になった刺激を受け入れ、認識した事に対する価値評価という事になる。
さらに、その価値評価に対する価値評価は行われていないと考えられるため、
先に受け入れた刺激の価値評価、認識に対して、
自分から生じる反応としての価値評価という事になる。
自身を境界とした、入力と出力の違いがありそうである。
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・感情を生じる際の刺激・価値に対する反応は後天的な評価であるという事。

少なくとも本能で備わった反応でないという事になるが、
全てが後天的というわけではないが、感情として持つ事になる価値評価は、
ほとんどが後天的であると考えられる。
それは、人間の社会構成、感情を表現する相手としての複雑さが関係している。
表現する相手が単純でなく、表現する相手に対して先に相手を学ぶ必要がある。
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・刺激を認識する際の価値評価の要素のベクトルは先天的価値観+後天的価値観による
2つの評価基準を持っているのではないかという事。

上記の本能として備わっている刺激の認識に対する反応と、
後天的に学ぶ刺激に対する反応という点において2つの評価基準を持つ事になるのではないか。
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・先天的価値観は本能として持つものであり、刺激に対する良し悪しの評価を行うためのもの。
後天的価値観は学習して習得するものであり、刺激に対する良し悪しの評価を行うためのもの。

上記の通り。
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・価値観の基礎となる要素は、感覚器官から受ける刺激に対する価値を元にしている。
ある特定の刺激の出所は感覚器官か想起になるが、その刺激の内容が同じ場合、
つまり、実際に受けた刺激と、それを思い出して想起した刺激において、
そこから生じる事になる刺激は同じ神経細胞のネットワークを用いた記憶・想起のため、刺激の情報の要素は同じである。
異なるのは、それに関連したり、同時に存在する刺激であり、
これによって実際に受ける刺激と、想起で思い出した刺激に違いが生じる。

これは、本能で持っている刺激に対する感じ方としての価値観を最初に持ち、
その後に受ける事になる刺激に対して評価し、記憶することになる価値観があるが、
この後天的に持つ事になる価値観は、まず、感覚器官から受ける事になる刺激についての価値観、
この価値観を構成する要素を元にして、発展した形で形作られる価値観になるということ。

本能にしても、後天的にしても、双方で持つ事になる価値観は、
同じ神経細胞のネットワークを使うため、その元ととなるのは本能の感じ方としての価値観と、
感覚器官から受ける事になる刺激に対する価値観であり、
後天的に作成されることになる価値観は、それらの先に持つ事になった価値観の価値評価を元にして、
その関連を新たにして価値評価を行う事になる関連を作り出すことになる。

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・認識された刺激・価値に対する反応が感情であり、その反応する時の評価が自我に関係するのではないか。

感情が認識された刺激に対して生じる刺激であれば、
それらはその個体固有の反応として生じる刺激や価値という事になる。
であれば、刺激に対するその固有の反応の刺激に対して行われる評価というのは、
自我や自分として持つ、個体固有の評価基準なのではないかという事。
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・想起による刺激・価値の認識は、それ自体が時間的な差が大きい反応なのではないか。
つまり、思考は、想像、期待、予測、予想に近いモノなのではないか。

思考が感覚器官から受け取る刺激を元にしていないというのはこれまでの考え通りである。
思考は、脳内にある刺激の記憶から、その時、その個体が欲して目的とした刺激や価値に対して、
その新しい関連の刺激を作り出すことであり、その新しい関連となる刺激は、
生体としての個体が直接的に認識する刺激ではない為、
時間差が大きい反応ではないかという事。
さらに、神経細胞レベルで考えた場合、その関連となるシナプスの構成には時間がかかるため、
既存の神経細胞のネットワークを使う感覚による直接的な刺激の認識と異なり、
想起による、特に思考によって作り出される刺激には時間が必要になるのではないかという事。
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・想起による刺激・価値は、思考として続けると知識欲のような価値として拡大するという事。

簡単に言えば「知れば知るほど」である。
ある対象の刺激についてその価値を認識した場合、それが正しい刺激、価値でなかったとしても、
脳においては刺激を認識する事は価値を得る事に等しい。
好ましくない価値については忌避することになるが、
好ましい価値についてはその刺激を記憶して認識する事は価値を得る事である。
思考の機能として思考に際してその関連する刺激の記憶が多いということは、
そこから関連される刺激も作りやすいことになり、新たな刺激を認識する機会が増えるという事になる。
であれば、その認識した刺激としての価値が増えれば増えるほど、次はより容易に関連が作りやすいという事になる。
難しい目的であったとしても、その過程においての刺激は認識していて価値を得ているため、
つまり、知れば知るほど、その刺激と価値は増え、より多くの価値を得やすいという事になる。
人間が生体である以上、価値が得られるという機会があれば、
それを実行しようとするのは当然になるのではないか。
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・すなおや反発という感覚、刺激は、その刺激に対しての、受け入れる、受け入れがたいという
後天的な価値による価値判断の結果として生じる刺激であるのではないかという事。

内容は、上記の通り。

先に生じた刺激に対する価値と認識に対して、
後発的に生じるその先の刺激の認識に対して生じる感覚としての刺激に対する評価、表現という事になる。
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・刺激に対する後天的に得る事になる反応は、他我の存在しない世界では不要であるという事。
であれば、感情などの後天的に得る事になる刺激の反応は、自我においての他我に対する刺激の受け様を
外部に表現する事なのではないかという事。
つまり、どのようにしてその刺激に対して自分が受け取ったかを表現する必要があるのではないかという事。

上記、下記の通り。
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・なぜ感情として、それを表現する必要があったのか。

互いに変化を変化として見ることが出来ないと、つまり変化の差の刺激として認識できないと、
互いの干渉度合いを知る方法が他に無かったからということか。

例えば自分が好きだからと言って強く抱きしめる事と、
その力が強すぎて鯖折りやベアハッグになってしまう事は、自分の力加減に対して、その相手の変化を見るしかないという事。
犬や猫などの動物が子供を噛んで移動させる時に、甘噛みすることと完全にかじる事は、
その歯にかかる圧力や子供の持ち上げる様子などの刺激を認識する必要があるという事。

つまり、対象に対する自分の関係、影響力を、自分自身が知るためには、
相手、対象の変化を刺激として認識する必要があった、あるという事。

これは感情に関わらず、運動や動作、操作、あらゆる対象の変化に対しての差の刺激、認識ということになるが、
相手、対象が自分と同様の変化しうる対象だと認識した際に、生じる、必要となる、差の指標、価値評価になるという事か。

つまり、私が鍋に対しての操作について相手の変化については感情を必要としないが、
私が別の人間に対しての操作については、相手の変化、感情について注意、意識するという事。

相手が自分と同様に、相手にとっての我、欲求、価値観を持つ存在であると認識しているからという事か?
しかし、
それは自分が子供であれば相手に対してそれを認識していない状態も存在するのでそれは考えられない。
となると、幼児期の様に一方的に感情を表現する可能性もあるという事になる。
であれば、シンプルに考えると、
知的な生物は、自分の状態を表現する事を普通の事として備わった能力を持っているという事になる。

周囲への環境への反発、周囲への環境への出力、アウトプットの一環ということか。
つまり、個体の周囲への環境への影響力を持つ事は生物としてはその境界が存在する以上は、
互いに境界の内外とのやりとり、入出力を必要として、
その入力側が感覚と刺激の入力であるなら、その出力側の能力、操作としての出力として、
物理的な影響力を持つ四肢や状態の変化を出力する感情を持ったということになるか。

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今日の感情についてのまとめとして、
感情が必要とか必要でないとかでなく、
自身の状態の表現が人間において備わっているという点において、
その能力が「感情」という認識になるだけの要素や意味を持ち、
これだけまとめられる要素を持つ対象として、刺激として認識されるに至ったという事になる。

人間以外の動物においても感情のような自己の状態を表現することはあるが、
その互いの関係が、人間よりも少ないため、複雑な感情としては人間が見ることが出来ないという事になる。
逆に人間は、その関係性が、他の動物らの社会構造と比較して、より複雑であるために、
感情などの表現方法も複雑で多様であるという事になった。

最終的には人間はその認識する刺激の要素を集約してまとめ、認識しやすくするために、
まとめて「感情」であると決めたという事になる。
そして、それを存在するモノとして学習し、認識した人間はあたかも「感情」というものが最初から存在し、
それが人間に備わっているもの、備わっている能力であると考えているというだけ、という事になる。

つまり、「感情」は人間の自身の変化の表現について、まとめられた知識であるということになる。
今日はこの辺で。


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