2023/2/23

認識と刺激の種類

今日考えていた事。
視覚で目の前の画像を見ている状態で思考した場合、
思考を認識したとしても視覚の画像が途切れるという事は無い。
思考を認識しているので、画像についての情報は認識できていないが、
確かに思考している間も視覚の画像は見えたままである。
ということは、思考している事を認識している最中も、
視覚の画像情報は脳内において画像として存在しているという事になる。
存在しているという事はある程度の励起状態で、
認識の対象にはなっていないが、画像として再構成はされているという事になる。

ここで考えられる事は、感覚器官から入力された刺激の情報は、
想起によって再構成される刺激の情報とは別に認識されるのか、
単に弱い刺激であるために脳に入力されてはいるが認識される対象に無いという状態であるという事。

これまでの考え方からすると視覚の画像情報は入力されたままであり、
刺激として再構成されており、画像が見えている状態であるが、
その画像の価値の大きさとして認識対象になっていないという事であると考えられる。

つまり、その時に同時に冷えた足先の冷たさという感覚を同時に感じていたのだが、
それを意識するまではその足の冷たさを認識する事は無かった。
視覚の画像情報だけが特殊というわけではないが、
視覚についてはその価値として人間にとってのかなりの重要な刺激情報になっている。

認識は、刺激の記憶とその刺激の想起による再構成によって認識対象となり、
その刺激を知覚するということになると考えていたが、
感覚器官から常に入力され続けている刺激についても少し注意を払う必要がありそうである。

思考中であっても視覚の画像が見えているということは、
完全に思考に集中している間の時間であっても、視覚による画像は見えているという事になる。
その画像を認識することはないので意識することはないが、
認識されない刺激であっても脳内で再構成されて刺激としては存在している事になる。

ということは、そのある瞬間の認識において、
脳内に存在する刺激というのは複数が再構成された状態で刺激の情報として認識されうる状態で存在していて、
その価値の優先度によって単に最も強い刺激、つまり、最も高い価値を持つ刺激がその認識の対象になるという事になる。

つまり、刺激は刺激の情報として脳内に存在しているが、
認識されない、意識されない刺激も刺激としては存在している事もあるという事になる。

認識されないのに視覚の画像が見えているというのは、
感覚器官の入力情報というのは、
その脳内の刺激の入力の場所における神経細胞のネットワークが構成されている状態であり、
その神経細胞のネットワークと常に接続している状態であるために、
絶えず送られる感覚器官の入力情報で常に励起された状態にあるというわけである。
そのため、別に認識、意識しなかったとしても脳内にはその刺激の情報は再構成されて存在していて、
その価値が他より低い為に認識や意識の対象になっていないというだけという事になる。
つまり、特に、という事になるが、感覚器官、五感による感覚器官の刺激の入力というのは、
基本的には常時、入力された状態であり、脳内でも連続して、継続した刺激の再構成が行われており、
脳内にはその情報が常に更新され続けているという事になり、
その刺激情報を認識や意識しなかったとしても、見えていたり、香っていたり、聞こえていたり、
感じていたり、味わっていたりするというわけである。

つまり、感覚器官によって入力される刺激においては、
知能はその覚醒中という状態においては常に刺激情報を入力して更新しているという事になる。
そして、改めてある瞬間にそのいづれかの刺激の価値が高いと知能が設定した場合、
その刺激を認識し、意識するという事になる。

そして、感覚器官によらない、脳内の想起だけによる刺激の再構成においては、
前提として、感覚器官による刺激よりも高い価値を持つ事になり、
つまり、想起しようとしているという思考が既に働いており、
その想起の対象は高い価値を持つ事が決められている事になり、
つまり、その刺激を期待して想起しているため、価値は自ずと高くなるという事であり、
その想起された刺激が優先的に認識されることになるというわけである。

つまり、この感覚器官による覚醒時に常時入力される刺激を認識し続ける事が、
人間以外の動物などにおける認識、意識の主体であり、
人間はその認識や意識に加える形で、想起による刺激を認識する事で、
その意識の拡大、自我や思考を獲得したという事になる。

ということは、
人間における五感の刺激の情報は、
認識されていなかったとしても見え続けている、香り続けている、聞こえ続けている、
感じ続けている、味わい続けている、という事になり、
どれかの刺激が強くなった時点で、想起による刺激よりも価値が高ければその刺激が認識、意識されるという事になる。
そして、想起による刺激がある場合は、基本的にその刺激が認識対象として優先され、
その刺激を認識、意識している最中であっても、
感覚器官による刺激の入力は行われ続けていて、刺激としても脳内に存在しているという事になる。
ただ、この場合は、想起による刺激が優先されるため、認識や意識の対象にならないという事になる。

つまり、これで思考中にも視覚の画像が見え続けているということが理解できる。

これまでの刺激と認識の考え方を少し変更する必要がある。

刺激の入力による記憶とその再構成は、
ある瞬間にいづれか一つを想起して刺激として再構成するわけではなく、
感覚器官による刺激の入力においては覚醒時においては常にその刺激情報は入力、記憶、想起、(励起=記憶+想起)、再構成が行われていて、
刺激としては継続して存在する状態である。
そして、想起を起点とする刺激が再構成される場合においては、
その想起を目的とした活動であるため、その想起の刺激が強く、価値が高くなるため、
その刺激は他の感覚器官による刺激よりも高い価値を持つことになり、優先的に認識、意識されることになる。
という事になる。

つまり、脳内においては存在している刺激はつねに1つではなく、
並行していくつかの、特に、感覚器官の各感覚の刺激と、想起だけによる刺激は、
その脳内において同時に存在しうるという事になる。
ただし、認識や意識に至る刺激は1つであり、
それを決めるのは価値観による刺激の価値設定によって、
その瞬間において最も高い価値を持つ刺激、最も強い刺激である、
という事になる。

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人工知能であれば、
実体となる個体についての感覚器官を仮想空間内で再構成する事と、
純粋に想起だけによって再構成する刺激の仮想空間は別にする必要が生じる。

ある瞬間においては、どちらかの仮想空間内の刺激を選択して認識した事にする必要があるが、
基本的には個体の感覚器官の刺激の再構成は常時行い、
想起だけによる刺激の再構成は、思考などを行う場合のみ利用し、
こちらを利用する場合は優先的にこの刺激を認識、意識する事、
ただし、設定された刺激の価値よりも高い刺激が、その個体の感覚器官側の刺激として入力された場合は、
割り込みとして、その感覚器官側の刺激を優先して認識、意識するようにする、
ということになる。

今日はこの辺で。


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