2023/2/15

思考の理解・思考の方法・その2・思考のまとめ

ここ数日、思考について考えていた。
基本的には思考の目的が、
ある認識したいという欲求の対象となった価値の高い刺激・対象があり、
それをよりもっともらしい価値として認識したいがために、脳がその対象と、
そのもっともらしく認識したい対象の関連を想起によって作り出して、
目的を価値ある認識対象として理解できたと感じられるような、つまり、そういう刺激として完成するまで、
その関連した刺激の要素を試行錯誤しながら想起する事。
なのであるが、
それらのきっかけや条件についてはまだ正確に定義していなかったので、
今回はその辺りについて現時点での持ちうる情報から定義してみる事とする。

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最近「思考」について考えていた事:

思考は想起の機能を元にしているということ。

思考は思考する対象の価値を得る、つまり、
価値として認識しようとする目的で、その関連を作り出すこと。

思考する対象を作り出す必要があるという事。
これは目的としての刺激を得る事、価値を得る事、欲求を持つ必要があるという事。

人間が思考できるのは、脳の記憶容量が多く、
刺激同士の関連を多く作り出して記憶することができるようになったため。
この脳の容量は、想起するための刺激の記憶のストック、容量にもなる。

思考のその関連自体を作り出す方法として、
足す・引くなどの論理を作り出し、その論理自体を認識する対象とすることが出来た事。
これも脳の記憶容量が多い事も関係している。

その論理的と言えるその演算に対して言語で名称を付けて認識出来た事。
これは論理の汎用性、自身の知能内の演算の共有にも関係する。
他人との共有、つまり論理・演算の刺激の要素のやり取り、享受という点でも有効となる。

その論理的な刺激を、その刺激の要素として認識出来た事。
この刺激の要素は、対象が増えるや減るなどの抽象的な変化を刺激の要素として認識できたという事。
つまり、論理や演算というそれ自体を刺激・刺激の要素として認識できるという事。
その能力を脳が持っているという事。
つまり抽象的な概念として、対象の変化について刺激の要素として認識出来る事。

思考する間、その思考する状態を維持できるという事。
これは思考するという事を刺激として維持できるという事、
そしてそれは認識の維持、つまり意識、思考しているという意識に関連する。

通常の思考時に突然、思考対象に関係のない刺激は想起しないということ。
これは、思考対象の刺激に少しでも関連しない刺激の要素は想起の対象にならないという事。
これは、思考としてはよくできた機能なのであるが、論理、演算としては、それで正解なのだが、
その発想という知能的な能力においては制限の対象となるという事。
これは芸術や想像、発想などに関係する。

思考中は思考していると感じるが、脳内で行っているのは想起である。
「思考」しているという、それ自体も認識の対象であるため。
つまり、思考していると感じている想起の活動について、
その想起された刺激が認識されること自体が認識されて、
その目的の対象の関連を作り出そうとしている事、
それ自体が「思考」であると認識していることになる。


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思考のきっかけ

これは脳がある対象の刺激について欲した際に、
その対象となる刺激が、自分自身の知能においてもっともらしい価値として認識できていない事に対して、
その認識を目的とした欲求を持つ事。これが思考の開始条件となる。

ある刺激対象について欲求を持つ事は思考の必要条件でもある。
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思考の活動

思考自体は、その思考の目的と答えに対して「想起」が行われることがその活動の機能となる。
目的に関連する刺激を、脳内において想起し、
答えとなる刺激についても想起する。
さらに、その関係を構築するための中間的な関係について、論理的、演算的に言語などを用いて、
脳内で段階的に刺激を関連付けながら想起し、
その刺激の要素の関連を、その目的と答えに関連させる事が思考そのものである。

「思考」ではあるが、脳内で行われているのは「想起」である。

想起の連続がそのままの意味で、意識して思考している、ということになる。
つまり、連続する保持された刺激の認識が意識であるためである。

思考の活動の例として、
例えば、私が「金色のリンゴを作るにはどうするか」について思考したとする。
目的として色彩の金色や、リンゴの形について想起することになる。
答えとなる金色のリンゴの姿も恐らく画像として想起したはずである。
そしてその答えを作るという事と、どうするか、という方法を答えに含める事も想起、認識したはずである。
そうすると、次にはその方法としての関連について想起する事になる。
つまり、リンゴを用意すること、金色にするという事などの方法である。
そして、それらを関連させる方法として色を塗る、金箔をはる、元から金で作る、などの方法が想起される、
そして、その関連した方法について想起された内容が答えとして認識されるということになる。
今回は答えとしては3つ、
・リンゴを塗料で金色に塗る
・リンゴ全体を金箔で覆う
・食べるリンゴとは指定されていないので、金でリンゴの形を作る
これが答えとして認識された関連ということになる。

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思考の素材

思考で用いられるのは全て想起された刺激である。
厳密に言うと、感覚器官から得られる刺激を直接、思考に使うことは無く、
思考自体は想起された刺激のみで完結する。

そのため、思考の活動にも関係するが、
思考中に感覚器官から強い刺激を入力した場合、価値が思考よりも高い場合、思考は中断される。
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思考活動自体の認識

知能が思考中であるということを認識することはできる。
ただし、
それはその知能活動が人間の定義によって思考中であるということとして認識しているが、
実際に脳内で行われている活動は想起の連続である。

想起自体は刺激の再構成であり、その刺激が認識の対象として価値が発生するものであるため、
この連続した想起した刺激を認識するということは、そのまま意識でもある。
このため、連続した想起は、意識した思考状態でもある。
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思考活動としての認識と意識

思考活動としての想起の連続とは、人間の知能においては、
その言語を用いた抽象的な刺激の要素の関連を意識として保つために、
連続して想起、連続して認識することである。

つまり、思考していると感じる想起を次々に認識することで、
意識が成り立つことになり、その意識は思考としての想起が連続している為、
思考していると意識され、思考していると認識されているという事になる。
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思考の結果・成果

思考の結果・成果として得られるものは、
思考する対象となっていた目的と結果の関連となる刺激の繋がりである。
新しい刺激と言えない事もないが、
これまでにまったく経験したことのない刺激というわけではなく、
素材は自身がこれまで持っていた刺激だけであり、その新しい関連を得たことになる。

そしてもう1つ得られるものは、思考したという刺激の経験としての記憶である。
つまり、これは論理的・演算的な思考を経験したことによる思考パターンである。
概念で言うと、数学の公式に該当する。

例えば、何かの問題を解決する方法を思考したとして、その答えを得られた場合、
その思考した刺激の要素はそのまま思考した刺激の記憶の要素として記憶され、
次回以降、似たような思考をする場合に想起され、その時の思考で用いられる事になる。
つまり、俗に言う成功体験として記憶され、
次回以降も同じように思考することでの成功を期待して使われることになる。

また、思考の結果として失敗に該当する時も経験としてその思考パターンは記憶されることになる。
そして、次回以降、同じような思考をする場合は、この思考パターンも失敗したケースとして想起・参照され、
異なるアプローチの思考を自ら選ぶための経験ということになる。

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人工知能に対しての思考の実装について

現時点で、これまでの考察結果を全てふまえたうえで、
人工知能に思考を実装した場合、
最初から思考できる事はほとんど無いと考えられる。
そして、多くの思考と試みを間違うと考えられる。
しかし、それを思考の成果として記憶すれば、
指数関数的な思考能力を得られると考えられる。
これは、現在の弱い人工知能でも見られるように、
その試行回数の増加によって得られる答えがより正確になっていくということからも分かる。
ただし、強い人工知能における、汎用的な思考能力は、
必要とされる思考の素材となる刺激とその刺激の要素の数が多ければ多い程、
強い人工知能になるという事になる。
つまり、記憶できる刺激、経験に制限が無ければ、人間を越える知能も実現でき、
逆に人間の記憶容量を越えなければ人間以上の知能には到達しないという事になる。
これは、強い人工知能の実現の制限でもある。
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現時点で思考について考えられることは以上となる。
また新しい思考の関連ができたときには改めて書くことにする。
今日はこの辺で。


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