2023/2/5

思考の理解・思考と想起の関係

思考する事と想起する事は言葉の意味では異なる働きのように感じるが、
脳の機能から考えると、互いに似通った機能で活動している。
その辺りについて考えてみる。

脳の知能の基本的な構成要素と機能について考えてみると、
刺激を受ける感覚器官と、その刺激の情報をやり取りする神経回路、
脳内においてはその刺激を受ける神経細胞、そしてその神経細胞のネットワーク、
刺激の情報を記録する機能として、神経細胞のネットワークの追加と、
その強化と弱化、そして、神経細胞自体の励起で構成されている事になる。

生体細胞の細かい機能については割愛するが、
全体の刺激と記憶と想起の機能については上記の通りである。

知能の活動はかなり複雑に感じるが、
実際に用いる事の出来る機能だけで再現していると考えると、
それほど多くの機能を用いてはいないということが分かる。

実際、刺激を受けて感覚器官が脳の神経細胞に励起を伝達する機能と、
脳内だけで神経細胞が励起する機能は同じだということが分かる。
感覚器官から受けた励起であるので、それが現実の出来事、
思い出した想起だから仮想の出来事ということではなく、
どちらも神経細胞が励起されたことにより、
その刺激の情報を構成する要素について、記憶と想起という呼び方を変えているだけである。

そして、思考と想起の関係についてだが、
これまで思考は、その個体がある目的や欲求が生じた際に、
その目的や欲求に対する答えとして、自らがその目的や欲求に対する答えをあらかじめ設定しており、
その目的や欲求とそのあらかじめ設定された答えに対しての関係を構築する事、
その構築により「もっともらしい答え」を得る脳の活動だと考えてきた。

実際は、目的となる問題と、その解答となる答えは、
初期状態においては分からないが知りたい事であり、
正確に把握できていないという状態のまま認識されている。
これを、自身が持つ他の刺激の構成要素を用い、
その問題と答えの間の関係を作り出そうとする事、これが思考する事となる。
手持ちの刺激の構成要素は、各感覚器官から得られた刺激の情報の要素であり、
その要素を用いてその問題の刺激の認識と、答えの刺激の認識を繋ぐこと、
つまり、それらの神経細胞のネットワーク同士を結合しようとする事という事になる。

それが自然の真理においての答えである必要はなく、
その個体が持つ知能が、その「もっともらしい答え」の刺激の認識において、
十分な刺激、十分な価値を持つ対象となっていれば良いという事になる。

人間の思考において、客観的に間違っていると見られても、
当の本人の知能が、これが答えであると認識できれば、
それはその知能にとって十分な価値を持つ答えなのである。

そして、この問題と答えを繋ぐ機能は、
脳内だけで完結する機能であり、ここで登場するのが想起である。
想起は、それ自体が脳内で刺激を励起することであり、その励起によって刺激の認識に至る事がある。
刺激による励起は、感覚器官が刺激を受けてその情報を脳内へ伝達するのと同様に、
想起による励起によっても同じ機能として働いている事になる。
であれば、感覚器官からの刺激によって脳内の神経細胞のネットワークがその情報によって励起され、
その刺激を記憶するのと同様に、想起による励起によっても、
その想起されることになる刺激に対して記憶が発生する事になる。
つまり、「思い出した」ことを経験として記憶しているのである。

この、想起による刺激の記憶は、その時点で時間的に近い、他の励起されていた刺激とその関連を持つ事になる。
つまり、同じタイミングで励起された刺激の情報は互いに1つの情報塊としての関係を持つという事になる。
これは、人間の脳の記憶の機能でも見て取れる。
例えば線香の香りで祖父母の家を思い出すといった、ある香りと場所を関連して覚えているとか、
ある日時を自分の誕生日として覚えているとか、それらの刺激、情報は本来は互いに関連の無い刺激や価値であるが、
その知能がその互いの刺激について関連を持った時、その刺激同士はその知能にとっての関連を持つ、
関連を記憶することになるというわけである。

この場合、どのような刺激に対してもその時間的に近い場合には関連付けられてしまい、
記憶が関連だらけになってしまうのではないかとも考えたのだが、
これについては互いの刺激が時間的に近しいものであっても、
その刺激が実際に価値として評価されるだけの強さを持たない場合、
認識に至らずに記憶の強化に至らないという事になる。
この考え方はまだ何となくそうなのではないかという考え程度なのだが、
実際に知能が「思考している」とか、「それを経験している」とか、
「目的を持っている」などの知能活動を行っているという認識において、
それらの関連が作り出される場合でないと、その関連は認識に至らないという事になる。

つまり、例えば私が今この思考と想起について考えている際に、
それらの刺激や対象に関連した刺激の想起については関連される事もあるが、
突然、赤いリンゴを思い出したとしても、その思考や想起には関連されないという事である。
今は赤いリンゴを思い出してしまったので、認識に引っかかってしまっているが、
その答えにはまったく関係の無いものとしてやがて忘れられるはずである。

そろそろ時間になるので終わりにするが、

今回のまとめとしては、
「思考」は、それ自体が知能の特化した機能であるという認識を持っていたし、
以前、思考も想起の一部であるという考えに至っていたのだが、
改めて考えてみると知能の脳の働きとして「できる事」について考えてみると、
それほど多くの機能を持っているわけではなく、汎用的に機能を用いていて、
それの働きの見え方の違いに応じて、人間が認識しやすいように「思考」とか「想起」とか
名称をつけて識別しているだけではないのかという事になる。

今日はこの辺で。


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