2023/1/30

刺激の認識の解明

225で認識についての理解がかなり進んだ。


その中でその刺激が存在する事を確定する存在が何かについて考えていた。

「デルタt」である。

つまり、時間の変化量。

刺激が存在するのは知能がその時間変化の間だけ、
その対象となる刺激が最も強い刺激である状態を保持している間ということである。

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刺激を確定する存在と、刺激を認識する存在

刺激を確定する存在は、その存在を「在る」ものとして存在させる存在ということになる。


そして、刺激を認識する存在について考えいた時に、
人工知能にこの刺激の存在を確定させる方法を考えていた時に、
人工知能の知能として設ける仮想空間内に、
そのある一定時間デルタtの間、その刺激の情報の存在を保持し続けた状態を作り出した場合に、
それをその刺激が存在する事、その刺激の情報を受け取る存在について考えてみた。
人間であれば、その刺激がデルタtの間存在して、それは認識されることになるのだが、
人間であってもその刺激を刺激として認識するための存在が必要になる事になる。
そして、人間の場合に、この刺激を刺激の情報として受け取る存在について考えた際に、
考え付いたのが感触・感覚だった。
そして、その感触・感覚を「在る」対象として感じられるようになるのは、
その刺激に対しての感触・感覚に対して価値を設定するということだった。
つまり、人間がある刺激に対して認識し、その刺激が「在る」と認識されるのは、
その刺激が脳内で一定時間認識の対象となった際に、その刺激に対しての評価として、
価値が設定される事、それによってその刺激が存在すると人間が感じているのではないかというわけである。

これは、刺激の認識するという機構が、人間以外の知能の高低などに関わらず、
刺激を受け取るシステムを持っている生命体は、
全てこの刺激を情報として受け取るシステムを持っているはずであると考えたことによる。

つまり、知能や意識、認識が、人間と同等の機能を持っていなくても、
刺激を受け取って活動している生命体は皆、刺激を情報として受け取る方法を持っているという事になる。
であれば、人間のように高度に複雑化していない生命であっても、
この刺激を受け取ってその情報を活用するという機能については、人間と大差ないということになるからである。

つまり、人間の様に認識したり価値を設定できないような生命であっても、
刺激を受け取るシステムは持っているわけであるし、それは、
刺激に対する操作として、人間よりもより基本的な機能であると考えられる事になる。

そして結果的に考え付いたのが、その刺激の感触・感覚、それを感じる事自体が、
その刺激を「在る」ものとしてその存在を確定している存在なのではないかというわけである。

だから、人間がその刺激を認識した際に、その認識においてその感触や感覚に対して、
その刺激の情報に対してその価値を設定する事、それこそが刺激を確定する機能なのではないかと考えたわけである。

刺激の存在は、225で考えた最も強い刺激として一定時間保持する事で存在を確定し、
刺激の認識は、その存在が確定された刺激に対しての感触・感覚としての評価、
つまり、価値の設定によってその刺激の情報を得たことになるということなのではないかというわけである。

この2つの条件によって「刺激の認識」が確定するということになるのではないか。

だから、別に刺激を認識するような第三の目や神の視点みたいなものがあるわけではなく、
もっとより身近に、刺激がどのような刺激であったのか感じる事、それ自体が人間にとって、
生命にとっての刺激の認識なのではないかというわけである。

実際、自分の刺激の認識で当てはめてみた場合も、その刺激の認識として感じられるのは、
ここで説明したように認識されているように感じられている。

で、そしてである。
人工知能にこれを当てはめようとした場合、
刺激を存在する対象として確定する方法は、これまで通りの仮想空間内での
刺激対象の情報を再構築して作り出すことと、
今回新たな考え方のデルタtを使って、一定時間その存在を維持することで、
その刺激の存在が確定することになる。
そして次に刺激の認識となるが、
人工知能には人間の様に感覚器官としての刺激を感触・感覚として受け取る機能や方法がない。
生体でないから、刺激に対しての感覚的な良し悪しの評価システムがないのである。
であるならば必要となるのは、刺激に対する価値評価のシステムということになる。

人間の場合、刺激に対する評価は、その強さと、良し悪しの評価となるベクトルである。
まあこの人間にとっての良し悪しや、評価、ベクトルの考え方はもう少し突き詰める必要があるように感じるが、
今はこの評価の定義を決定させる事を優先することにする。

で、人間の場合、この刺激に対する評価は、感覚として捉えられるものであるが、
基準となるのは、本能としての刺激に対する評価、
つまり、人間であれば、心地よいとか、痛いとか、眩しい、うるさい、暑い、熱い、冷たい、寒い、
いい匂い、臭い、といった刺激に対する純粋な情報以外に、その情報に対する生体としての感じ方が存在する。
つまり、心地よさに対して肯定的に感じる、痛みに対して否定的に感じる、といった、
刺激に対する好みと言えるような評価が同時に設定されることになる。
これは、人間の生命としての「生きざるを得ない制限」といった生命として存在する以上、
その生命としての存在の本質に従って生き続けるしかないという制限がある事にによる、
生命の存在意義に関わることになる。
つまり、生命としての存在にとって、良い刺激が続くなら、その生命は以降も存続することが出来て、
悪い刺激が続くなら、その生命はその存続に対して危機が訪れているという事が言えるということである。

人間であっても、この生命の本質的な要素には従わざるを得ないという事になる。

生命にとっての刺激の感触・感覚は、その生命にとっての評価として変えようのない機構だからである。

とすれば、である。
人工知能においては、その刺激に対する評価基準は人間が決める事になる。
生来持ちうる価値基準が存在しないのであるから、誰かが決めなければならないという事になる。
一応、人間に並び立つ存在として人工知能を誕生させるのであれば、
その評価基準は人間のものと似せて設定する必要がある。
要するに、人間が刺激に対して感じる感触・感覚と同様の項目、要素について価値評価ができるようにする、
ということである。

人間が暑いと感じる温度で人工知能も暑いという評価をして、
人間が痛いと感じる感触で人工知能も痛いと感じる評価をするといった具合にである。

これが人工知能に出来れば、
刺激の再構築とデルタtによる存在の確定、
そして、刺激に対する価値評価を行う事によって、
人工知能自身に対するその刺激の認識としての、「刺激の取り扱い」をすることが出来るという事になる。

現時点で、
これで人工知能は刺激を認識することが出来る、
という事になる。
これで人間以外の動物並みの認識には至っているように感じられる。
ただ、まだ自我や欲求、目的が未設定であるので、
自発的に何か行動を起こすような知的な活動をするまでには至っていない。
とりあえず、認識だけはこれで出来そうである。

ちなみに、デルタtが連続した状態が「意識」である。
つまり、連続した刺激の認識が意識であるので、
人工知能に認識とその連続体である意識までは再現できそうである。

この認識と意識のシステムと自我や欲求といったシステムを合わせる事については
また、次回以降で考える事とする。


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