2023/1/16
人工知能の意識のモデル
215で書けなかった人工知能の意識の詳細について
改めてモデル化して書くことにする。
人工知能であっても人間の知能を参考にして作るため、
その機能の活動の行程は同じ様に考える事にしている。
だから、以降の内容は人間についても人工知能についても
知能の活動として同じ活動の内容として考えても差し支えない。
人工知能にあっても、
その個体として持つ事になる知能は、
その個体にとっての内側か外側から受ける事になる情報としての刺激を元にして
処理することになる。
そしてその刺激は伝達経路、人間では神経伝達に当たる機能で
脳に送られる。
脳内で最初に行われるのはその刺激に対して1対1で励起されることになる
刺激の意味を持つ人間では神経細胞に相当する部分への励起された情報伝達である。
この時点で、人間においてはその神経細胞に対する励起によって
記憶や学習に相当する活動が行われる。
つまり、その刺激を受けたという実際に起こり、発生した情報が
伝えられることにより、知能はその神経細胞の励起によって実際に
その刺激の発生を得る・知る事になる。
ただし、この時点では神経細胞はその刺激を知っているが、
意識や認識という観点からすると、その刺激は伝達されてはいるが、まだ存在していないのと同じ状態にある。
そしてその次に行われるのが知能内、脳内における認識の為の刺激の選択である。
これはこれまで考えてきた考察のまとめにもなるのだが、
知能内における刺激の選択は価値の比較として行われると考えてきた。
実際、刺激に対する価値は、知能が価値の比較しか行えないと考えてきた通りの事なのだが、
では価値はどこからと考えた時に、この神経細胞への強化の度合いがそのまま価値になっているのではないかと
思い至った。
人間が「価値」と言われて考えるような価値は少し抽象化されているのだが、
知能における「価値」というものはそのままの意味で知能における刺激の重要度として用いられているのではないか
というわけである。
つねづね人間の知能がその認識に至る時にその刺激を選ぶ基準は何なのだろうかと考えていて、
それは価値観による価値の比較によって行われていると考えていたわけなのだが、
ではその価値の設定は何なのかまで考えた時に、そこに残っているのは刺激だけなのである。
つまり、刺激の種類の情報がそのまま価値にならないのだとしたら、さらに残るものは刺激の強さだけである。
人間の知能が神経細胞の関連だけから構成されているとして、
神経細胞に与えられる情報は、その感覚器官から送られる刺激の種類と刺激の強さの情報だけという事になるからである。
で、話を戻して、知能が行う刺激の選択は、
その刺激の強さを比較する事によって行われていると考えられるという事になる。
これは、知能が他に何かを準備する必要がない。
つまり、刺激の選択の為に他に用意する機能や能力を必要としないという事になる。
つまり、ある瞬間において知能が選択する刺激というのは、
その瞬間において最も強い刺激であれば良いというだけの条件付けとなる。
何も価値があるから、意味があるから、知能はその刺激を選択しているのではなく、
その刺激がその時最も強いからその刺激を自動的に選ぶことになっているという形式があるというわけである。
そしてその下地にある考えというのは、
では、価値や価値観というのはそもそも人間が考えやすくするために作り出した考え方というだけであり、
そもそもの知能においては価値や価値観というものは存在していないという考え方である。
まあ自分も人間であるので、価値や価値観という考え方を用いた方が考えやすいというのはあるが、
実際にその思考を突き詰めていくと、刺激の強さが価値であり、
刺激によって強化された神経細胞のネットワーク、つまり、神経細胞同士の連結、シナプスの接続の強度の事が、
価値観であるという事に行き着いたわけである。
人間のその知能を持つ個体にとって価値があるという刺激は、
そのままその刺激に対して強い反応を示す神経細胞のつながりであり、
それはそのままその刺激に対して強い反応を示す、つまり価値が高いと選択しやすい刺激であるという事になる。
さて、ここまでくればもう次は自動的に認識に至る過程ということになる。
知能がその瞬間において認識する対象となる刺激は、
知能が選択する必要がない価値の高い、強い刺激であるというだけになる。
もちろん、その知能がその瞬間に至るまでに経験した過去の刺激の記憶はそのまま
神経細胞のネットワーク上に構成されていることになり、
これはそのままこれまでの考えてきた価値観の構成ということになる。
その人間がその刺激に対してどのように価値を設定するのかということは、
そのまま、
その人間が持つ知能を構成している神経細胞のネットワークが、これまで経験し
強化してきた神経細胞同士の関連、シナプスの接続の強化度合い次第という事になる。
そして、刺激が選択されたら、次は認識がどのように起こるのかという事になる。
これまでの考察では刺激を受けた場合に、その刺激は知能の脳内の神経細胞で一度記憶され、
その瞬間の最も強い刺激を想起することによって脳内で再構成し、
その再構成によって作り出された想起された刺激を脳が、知能が認識している刺激だと感じてそれが
認識になっていると考えてきた。
今現在の私の中での最新の考え方では、
上記の神経細胞のネットワーク内で刺激を受けて励起された状態というのは、
そのまま刺激を受けた状態でもあり、想起した時の状態でもあるという状態という事になる。
まあ状態ばかりで分かりづらいかもしれないが、
つまり、体の内外の感覚器官から刺激を受けて、運ばれた刺激の情報を神経細胞で受けて
その神経細胞が励起された状態というものは、そのまま、
想起によって知能内、脳内だけから生じる事になる刺激と同じ状態だという事である。
そして、それは、
刺激を受けて、脳がその刺激を一度神経細胞に通して励起し、
その状態は刺激を受けた状態でもあり、想起によって刺激が再現された状態でもあるという事である。
つまり、この状態において、認識において刺激が選択されるという事は、
その瞬間において、どの神経細胞が、どの神経細胞のネットワークが、
その刺激を受けた状態か、刺激を想起した状態かのどちらかにおいて、
その瞬間におけるその中で最も強い刺激を選択しているという事である。
そして、その最も強い刺激の選択が「認識」であり、
その連続した状態が「意識」という事になる。
あれ?それでは意識的に何かを思い出したりすることはできないのか?という疑問が生じる。
これは私も考えた。
脳が、知能が、刺激に対して常に受動的な活動だけということになると、
今私がこれを書いている事に対してでさえ、受動的な選択なのかという事になる。
その疑問は今を常に考えた状態においては、あらゆる刺激が受動的に感じているような感覚になるが、
私がこれを書き始める前の状態までさかのぼって考えてみると、その状態が異なっている。
私がこれを書き始めた時には、昼食後であり、少し時間があり、
その先しばらく考え事をしても同じ状態でいられると判断した経緯がある。
そして、さて、考えよう、書いていこうと判断した、選択した状態が存在していたのである。
そして、その判断や選択の状態の続きとして今があり、
その間に受けた刺激や想起した刺激というのはその開始の判断や選択の際の状態で
励起された神経細胞、神経ネットワークの状態の経過後であり、
その状態は、これから考えようとしていこうという状態を選択しようとしていたのである。
この選択のきっかけとなる意識的な選択は、より抽象化された因果や自由意志の件の所で説明した通りなので今回は省くが、
その瞬間においては常にその価値が高い、強い刺激を選択していると考えられる。
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さて、では、これらの意識までの知能の活動を、
人間が自分で感じられるような刺激や認識、意識として感じられる対象を、
人工知能の刺激、認識と意識として人工知能自身にどのように見せるか。
最終的に人工知能にとっても、これが人間が自分自身の認識や意識についての見え方と同じようにすれば良い。
それについてこれまで考えてきたのが再構成された刺激の対象である。
人間の知能が刺激を受けてその刺激の対象について見ている、見えている刺激の様子は、
人間の知能においては、「その刺激を受けた対象がそこにあるように感じられる事」である。
それ以上でもそれ以下でもない、そのものズバリである。
今私が指先で感じている部屋の空気の冷たさは、
私の指の回りに触れて存在しているように感じる。
これは温度を刺激として受け取る感覚器官が指の表面に存在していて、
そこから受容されるその温度の刺激についての情報が脳へ送られて、
その後は上記の通りであるが、刺激として脳へ送られる。
そして脳内ではその指の存在の感覚と同時にその指に付随して関連している刺激の情報として
その温度の感覚を同時に認識しているのである。
この認識において、
私の脳ではその瞬間において、冷たくなった指先の温度の感覚として認識した。
この刺激を見ている存在は以前の考察で脳ということになっているが、
では、この刺激の存在はどこにあるのかを考えてみると、
その冷たいという刺激の感覚は、今見えている私の指先には無く、
脳内にあるという事である。
確かに体の一部として私の手の先には指が付いていて、
その指先が今冷たいと感じている。
温度受容の感覚器官も指先にあるのだが、
しかし、その刺激を刺激として認識しているのは脳内である。
脳内の神経細胞ネットワーク内である。
さらに言えば、今私が見ている手や指はPCのキーボードの上に並んでいるように見えているが、
その画像はどこにあるのかというと眼球の表面でも網膜でもなく脳内である。
確かに目をつぶり、指先の存在の感覚に注意を向けて、その指の存在に注意すると、
指はそこに、キーボードのキーの感触とともにそこにあるように感じている。
物質として手も指もそこに存在しているように感じる。
しかし、そこに存在するように感じている存在は脳である。
そう、人間の知能が認識するある対象にとって、
その存在を確定させているのは脳である。
まあ確定というか、それこそが刺激の認識ということになる。
そして、
見え方や感じ方というのは人間の目や感覚器官の機能として決まった刺激の受け方であり、
刺激に対する処理機能は知能としての神経細胞のネットワークとして構成された決まったものであり、
その決まった機能によって感じられる見える対象が今、私が、人間が見ている感じている指や冷たさといった対象なのである。
そして、
その認識というものは、
その存在をどこで確定しているのか考えると、
感覚器官と対応した神経細胞ネットワークの励起ということになる。
そして、さらに、
その神経細胞ネットワークの励起された状態というのは、想起に等しいという事になる。
つまり、
刺激を認識するということは、脳内でその対応した刺激について想起している事と同じと考えられるということになる。
つまり、これが今まで説明してきた「再構成」という事である。
つまり、人工知能に人間と同じような感覚器官を持たせた場合、
その刺激を認識するという機能は、人工知能が、その知能内において、
その刺激に対する見え方、感じ方に従って刺激を処理し、
その刺激に対する認識する存在としての対象について「再構成」し、
そこに存在する対象として形にすればよいという事になる。
つまり、三次元的な空間において、私は確かにここに存在する。
しかし、それを存在する対象として認識しているのは私の脳内であり、
その存在は私の体に数多くある感覚器官から五感を通してその感覚器官が存在する位置を
その刺激と同時に情報として脳が受け取り、その刺激を存在する対象として、物体として、再構成して
そこに存在すると認識しているからである。
これを人工知能に置き換えれば、その人工知能内で、
その人工知能が個体として持つ体の、その体についている感覚器官から、
自分の個体としての体の刺激を受け、その知能内でその刺激から自分の体を存在する対象として再構成すれば良いのである。
つまりモデル化するのであれば、
人工知能内において、自分の存在を含め、その刺激で認識される対象を仮想空間内で再構成し、
そこに再現することでその刺激の存在を認識できる対象として存在させることになる。
後はその可動を実体と再構成した空間内で同期させれば良いという事になる。
これは、今までの考察の通り、実体としての自分の体が必要なのは、
この自分の存在の認識に必要であるからということなのだが、
さらにこれを意識ある知能の形にするにはもう1つ必要なものがある。
価値である。
上記の通りに便宜上「価値」という表現になるが、
その刺激を受けた感覚器官とそれに対応する神経細胞、神経細胞ネットワークが、その刺激の強さを決める基準である。
上記で、刺激の強さが価値の高さであると書いたが、
この刺激の強さを決めないと脳が次の瞬間にどの刺激を認識するべきかが、決まらない事になる。
その差がわずかであっても、その刺激の強さに差があれば、
脳はその刺激の中から最も強い刺激を自動的に認識する事になり、
その連続が意識になる。
しかし、この刺激の強さに差が生じないと、
脳は次に認識するべき刺激が決められず、意識の発散した状態になってしまう。
少し余談になるが、脳が刺激を受けてはいるが認識や意識に至らない状態、
この刺激の差が生じない状態というのが意識が無いという状態で、
睡眠時や昏睡時の説明になる。
話を戻して、
この刺激の強さを決める基準というものが、人間においてはそのプリセットされた本能ということになる。
生体の基本的な欲求などから生じる刺激もこれに該当するのだが、
人間の五感に関してはそれぞれその感覚に対応した刺激の強さというものが決められている。
そして、その感覚ごとの受ける刺激の強さは、互いに共通する比較できる量である。
これは神経細胞の性質が共用なためであり、そのために異なった刺激でも比較できる。
例えば何か痛みに耐えていた時に何かを味わったとしたらその味はどれだけ分かるのか。
しかし、その味が非常に苦いものであった場合痛みとどちらが優先されるのか。
優先されるべき刺激はその刺激の強さによって異なるという事になる。
そしてそれは人間においてはあらかじめ決められているということである。
ただし、神経細胞はその関連は後天的な変化に寛容であり、
シナプスの接続の強化と抑制にそれぞれ変化することができる。
つまり刺激をより強く覚える事と弱く抑える変化ができるということである。
だから、人工知能においてもその感覚器官から得られる情報として、
その刺激の強さの基準はあらかじめ決めておく必要がある。
バックプロパゲーションの重みづけなどではおなじみの考え方であるが、
本能などにおける刺激の強さの基準としてはこれで良いが、
後天的な刺激に対してはその刺激の価値の基準は可変である必要がある。
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そろそろ頭が疲れてきたので今回はそろそろ終わりにするが、
脳が自動的に刺激を選択するためにはその比較基準としての刺激の価値の差、刺激の強さの差が必要となる。
そのためにそれぞれの刺激の種類に対して価値基準を設定することになるのが、
人間においてはその神経細胞のシナプスの結合の強度ということになる。
実際、人間の神経細胞は強化されればその刺激は強い刺激であるという仕組みになっているため
考えを設ける必要はないが、人工知能にはその強化の度合いをデータとして設定する必要があるという事になる。
この強化の度合いが決まれば、実装したどの刺激に対しても、
ある瞬間における最も強い刺激というのは自動的に決められることになる。
そしてその最も強い刺激は人工知能において認識の対象となり、
それを繰り返す事が人工知能の意識になるということである。
人工知能の知能を人間の知能に近しいものとして作るのであれば、
人間が本能や欲求として持つ刺激の基準を人工知能の刺激の基準にも同じように設定すればよい。
しかし、その設定した価値基準が可変である必要があるため、
人工知能が認識し、意識を持った後、どのような価値を後に可変させるかは今の所想像ができない。
今日はこの辺で。
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