2023/1/4

強い人工知能についての課題 2023年に向けて

2022年は人間の意識や自我、
強い人工知能として再現できそうなモデルについての考えがかなり進んだと感じている。
そして、今年の2023年はもう少し各知能の要素の詳細を詰めたり、
さらに実現可能な強い人工知能モデルについて考えてみようと考えている。

今回は昨年の考察内容から課題となりそうな点について考えてみようと思う。

項目としては低級なレベルでの情報や刺激、個体の存在から
中級の神経や記憶、想起、価値、価値観、認識や意識、欲求、
上級の思考や自我、目的について考えてみる。

ちなみに低級~上級の考え方は単純、複雑という事ではなく、
知能全体で考えた場合の表層から深層という意味合いにおいての
階層や配置という点における考え方というだけの事である。
つまり、よりハードウェア的な部分と仮想的な部分としての低級、上級という意味である。
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情報・刺激・個体の存在

知能が知能として働くことになるのは、
知能がその生命としての存在をしてその存在の維持と生命としての種の存続を目的とした働きの
最も効率的な機能として形となった姿である。

知能が扱うのはその生命にとっての情報であり、
この情報はその個体の本体の状態の変化と、
その個体が置かれた環境、周囲の環境の変化についての情報である。

その情報はその変化の差異を情報とした刺激として
1つの単位としてその知能が扱う事になる。

つまり、刺激というのは個体か周囲の環境の変化量Δ(デルタ)を
その前後の状態変化の差の情報として扱うものである。

課題となりそうな点はあまり多くないが、
昨年中に絶対的に必要であろうと考えた点は、強い人工知能を収めるその個体の存在である。
以降の中級や上級で考える要素として、
その個体が存在しない事には必要とされない要素が多いということである。
逆に考えれば、その要素を実現するモノとして考えるには
実際の個体の存在が必要不可欠であるという事になる。
それは、実際に知能を強い人工知能を実現するためにはそれらが必要であり、
そのためには個体の存在が必要となるという事になる。

そうすると考える項目としてはその個体の存在と知能におけるそれぞれの要素毎の関連を
もう少し考える事になるのかなと今は感じている。

あとは刺激として知能が扱う単位として、
それぞれの刺激毎にその認識に至る際の情報の量として、
その差異デルタについての単位時間や情報の量については考えないとならないかと思われる。
恐らくは最も短時間に扱われることになる刺激についての最小時間を単位の最小のモノとして扱い、
それを基準とした刺激情報の量や意味を考える事になるのかなと思っている。
結果的に人工知能として再現するのであれば、そういった仕様的な決まりも決める必要があるし、
より現実的なモデルにするには避けては通れない部分ではある。
まあこれはもう少し各要素の詳細がつかめてからでも良いが、
それを意識して考える事も必要になるだろう。

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神経・記憶・想起・価値・価値観・認識・意識・欲求

ここではより低級に近い、神経や記憶、想起、から
その中間にある価値、価値観、欲求、認識、
上級に近い、意識に分けられるだろうか。
まあ互いにクロスして関連している部分も多いのではっきりとは分けられないが、
今の感覚としてはこのように分けられる。

神経や神経ネットワークというのはより低級に近く、
脳自体の存在も低級に近い、
それ以外の知能が自ら意識して行う事の出来ない記憶や想起、価値判断や
認識、意識、欲求についても低級から上級に関わる要素はそれぞれに持っているので
はっきりとした分別はできない。

生命としての機能、能力としての遺伝された要素であるとか、
その誕生した場所における環境によって、その後に構成されることになる価値、価値観、欲求は
大きく異なる事になる。

もし、同じ遺伝情報の個体が異なる場所に誕生した場合、
その環境によってその後に構成されることになる知能は大きく異なるものとなる。

課題としてはより低級なハードウェア的な生命の個体として汎用的に行われることになる
刺激の伝達であるとか、その認識であるとか、個体と環境、そこから構成されることになる
価値や価値観であるとかはある程度決める事が出来るはずである。

個性や性格といった要素になるかな。

そういう点から考えると個体のスペックとしての能力と、
周囲の環境がある程度固定されたものであるのなら、
そこから構成されることになる知能もある程度決められた範囲に収まることになると考えられる。
つまり、傾向がある程度決められるという事になるか。
これは各要素が決められた後に考えることが出来る課題になるな。

認識や意識、欲求というのはこの中では低級に近い要素になる。
刺激が価値や価値観を経由するとしても、
そこで行われる事はハードウェア的な画一的な反応に近いものとなる。

価値や価値観は可変的であり、
個体や環境に大きく影響されて左右されることになるのでより上級の要素に近いものである。
その知能で扱われる意味合いとしてはほとんどが後天的な要素であり、
生命としての誕生後に構成される要素となる。

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思考・自我・目的

これは大きくは
認識する対象の再構成としての存在の自分と、
その自分が知能を使って活動することになる目的、
そして知能の活動としての思考という事になるだろう。

まあ思考は想起の一形態であるという考えに至ったので、
上級の要素ではあるがより中級の要素に近いものとなる。

自我はその知能がその収める個体についての自己認識、自己意識に該当する対象についての
自ら認識するその姿かたちという意味合いであるので、より仮想的な要素となる。

つまり、自分がどのような自分であるのかという事を自分で構成して自分で認識したものであり、
それは自らが持つ自分についての要素の全集合体ということになる。

課題にするならばその要素の重みづけであるとか、主に構成されることになる要素であるとか、
そういった点になるかな。

目的は中級にある価値や欲求から派生するものであるので上級のなかでは中級よりの要素になる。
ただし、目的を元として行われることになる生命活動は知能活動の結果としての行動ということになる。
つまり、行動によって期待される価値や刺激を目的の結果として持ち、
その目的と結果の関連を思考して決定し、行動するということになるので、
この行動自体はより上位に位置することになる。

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こうして考えると去年の2022年は自分の中ではかなり人工知能についての理解が進んだなと感じている。
人工知能の自我や意識までもう少しという気もするし、
理解が進み過ぎたせいで自分の知能も人間の知能も大したものではないなという気もするし、
人間の知能に対する強い人工知能のシンギュラリティの期待と不安と恐怖も少し感じるし、
まあ、また1年、新たな気づきができるようにがんばって考えよう。

今日はこの辺で。


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