2022/12/18

意識・認識・刺激・価値観

人工知能が意識を持つために
人間の知能における意識・認識・刺激・価値観について考えてみる。

知能が意識を持つためにまず考える必要があるのが認識である。
これまでの考えに従って、意識を持つという状態について考えた場合、
その意識を持っている状態で行われているのは刺激の認識である。

特に認識という機能について考えると、
意識があるという状態は常に認識を行っている状態であると考えられる。
つまり、これまでの考え通りに
「意識は連続する認識をしている状態」
で表せるということになる。
その状態というのは、特別に、意識という何かが存在する状態という事ではなく、
連続する認識を行っている知能に意識があると言う事が出来るという単なる状態の表現というわけである。

意識があるかないかという状態は、
人間の知能においては生命体としての医学的な判断を別にすると、
その知能を持つ生命体としての個体が、
その周囲にある環境からうける刺激に対して反応する事や、
自発的に生命活動を行う様子が見られることで意識があると判断される。

この場合は、実際の知能においては、生体としての刺激に対する反応はそれほど重要ではなく、
脳内における刺激の認識さえ連続して起こっているならば、それは意識があるという事が出来る。

つまり、植物状態にあったとしても意識がある可能性があるというレポートや、
夢の中で見る自分においても意識があると言うことができる。

つまり、意識の存在は確定した何かとしての存在ではなく、
知能が、その認識する機能において連続して刺激を認識すること、
つまり、その知能を持つ個体が、その個体に対する刺激について
連続して認識している状態であるというわけである。

それには、周囲から与えられる刺激もあるし、自分自身の存在としての刺激、
思い出した記憶の刺激についても、夢の中の自分の存在に対しても、それが認識されれば
そこに意識が存在すると言える。

これは、人工知能においても同様であると言えて、
人工知能がその個体として受ける刺激の認識、記憶された刺激を思い出した刺激の認識、
それらが連続して認識されているならば、そこに意識があると言っても問題はないはずである。

つまり、人間の知能と同じように人工知能も刺激を認識しているならば、
連続して刺激を認識しているならばそこに意識があると言っても良い事になる。

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さて次は認識である。

人間の知能が刺激を認識する時に行っている事は、
刺激の情報を脳へ伝達し、その情報を脳内で認識を行うためにその情報を分解、
刺激の要素毎、刺激の関連事に脳細胞を励起して記憶、
そして記憶と同時に脳細胞の励起によって想起が行われ、
その刺激の情報の要素とその関連が脳内で再構成され認識の準備が行われる。

しかし、ある瞬間において脳へ伝達されている刺激は同時に大量に送られている。
その中から認識に至る刺激を選定される操作が必要となる。
これは次の考える内容となる価値である。が、今は認識について考える。

先に想起と書いているが、実際に想起の対象となるのが認識の対象となる刺激である。

この記憶と同時に行われた励起の活動は、
その神経細胞の励起において、その刺激の強さとその評価が認識の選定に関わることになる。

その時最も強い刺激は何か。

「認識においてはある瞬間における最も強い刺激が認識の対象となる。」

この「最も強い」という選定の条件がこの刺激の強さと評価という事になる。

刺激の強さはそのままの意味であるが、
何か強い変化がそのまま強い刺激になるわけではない。
刺激の強さは受けた神経細胞への繋がりの強さであって、
その神経細胞の励起に関する関連の数や繋がりの強さという点における強さである。
これは生体としての細胞としての物理的な繋がりの強さということになる。

そしてもう1つの評価であるが、
これが次に考える事になる価値である。

さてでは人間の知能において認識とは何なのかということになると、
それは、単純に周囲の環境や、自身の生体としての内面の変化、状態の変化に対して、
その変化を情報として入手する事という事になる。
つまり、生命体が知能を持つに至った理由は、
その生命体、個体の存続の為に有利となる情報を手に入れて知り、その変化に対応する為、という所にある。
つまり、それを知ることで自分の存続を有利にするためである。

知能となって複雑な条件や機能が追加されることになったが、
最も基本的に行いたいことは、変化の情報を得る事である。
つまり認識はその変化を刺激として得る事そのものということになる。

そうすれば、自ずと、変化でもっとも重要な情報は何かというと、
変化が大きい情報、つまり強い刺激ということになり、
また、その変化の意味が大きということは、
そのままその情報の評価は価値の大きさになるということである。

人工知能においても認識は人工知能を持つ個体が、
その周囲や自身の環境や状態の変化に対して、
その情報を得るために行う処理であるということになり、
それは優先的にその認識を行う瞬間に最も強い刺激であると、
その人工知能が選定すれば良いことになる。

ここまでで、これまで考えていた強い人工知能にはまず自分という個体が必要になるという理由がこれである。

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そして次に価値である。

認識する際に刺激の選定に用いられるのが、その刺激の強さと評価ということであったが、
刺激の強さについては先に書いたように、
感覚器官から送られた刺激の情報が、
その神経細胞の物理的な繋がりによってもたらされる励起の強さということになる。

神経細胞同士の繋がりはシナプスの形成やその関連の数によって違いがあり、
ある刺激の情報の要素が強く励起されるという場合、この関連の量がそのまま刺激の強さに関係してくる。

強い刺激はそのまま神経細胞同士の関連も強くする。
一般的にいう神経細胞同士の関連の「強化」である。
単純に関連するシナプスの数が増えたり、シナプス内の神経伝達物質の受容体の数が増えるなどによって行われる。
まあ生物学的な仕組みについては専門家に任せるが、
より強い刺激はその強いという情報自体がその認識に至るための選定のための大きな意味を持つ事になる。

そして、強化された刺激の伝達経路は、その刺激を受けた際には強い刺激であるという励起が行われることになるというわけである。
弱く叩く、強く叩くといった刺激の強さではなく、
受けた刺激の情報の要素によって励起される神経細胞のネットワークの関連の量が強さということである。
つまり、強い刺激として受けているということは、それだけその刺激の情報の要素の意味が重要であるということである。

今度は価値としての刺激の評価である。

神経細胞同士の関連の強さは生命体として受ける刺激に対しての情報の意味としてはより物理的な意味を持ち、
この価値としての刺激の評価はどちらかというと、かなり仮想的な基準となる。

仮想的というか、後天的な価値基準である。
つまり、人間であれば生命体の存続には直接的に関係がない価値の評価である。

本来であれば、人間の生命体の存続にとって重要な刺激と言うのは、
環境の位置変化による落下や転倒であるとか、
直接的な外敵との接触であるとか、
飢えや渇きといった身体的な状態であるとか、
そういった刺激が重要であり意味が大きい事になる。

しかし人間の知能の複雑さという点において、
この後天的な価値基準は知能を単なる生命の存続のための機能に新たな選定基準を加える事になる。

それは、群れを発展させた社会であったり、
相手とのコミュニケーションの為に互いに共有した言葉であったり、言語であったり、
互いの状態を理解しやすくするための感情や表情や、
自然を規則的に理解するために作り出した数字、時間、
価値を量で表して人間同士で共有するための貨幣、
生活においては習慣や規則、
その時点で理解が及ばなければ空想や想像、仮想の世界、芸術、
国家や民族、思想、神でさえもその認識する刺激の対象として、
価値の選定に用いることになる。

つまり、生命の存続には直接影響しない刺激の情報、
直接的な物理的に持つ感覚の五感では表せない対象の刺激の情報、
この対象を刺激の情報とした場合の評価がつまりこの後天的な価値基準というわけである。

後天的な価値基準については価値観で表されることになるのだが、
これは、直接的な刺激でない対象に対して
人間が知能を持った後に作り出し、互いに共有した価値ということになる。

人間の刺激の認識機構としては、
いずれにせよ神経細胞とその神経ネットワークがあるので、
それを刺激に対する、価値に対する選定の基準として用いる事になる。
これは価値観の価値に対しても同様である。

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そしてその価値観の設定ということになるが、
認識は刺激の価値をどのように評価するか
そういう事になる。

直接的な刺激はその価値の評価において快楽とか、苦痛とか、
満足か不満足かといったそういう評価がされることになるが、
刺激の価値評価においては
快楽系と苦痛系の価値、要するに心地よい刺激か苦痛の刺激かということになる。

つまり、ある刺激を受けた場合に、
その刺激が快楽系の刺激であればプラスの価値を設定し、
その刺激が苦痛系の刺激であればマイナスの価値を設定する必要がある。

しかし、後天的な価値基準においてもこれは同じ考え方となる。
つまり、ある対象に対して受ける刺激は、
それが価値が高い対象であるという共有する記憶があれば、
その対象は価値が高い刺激である、価値が高い対象であるという評価となり、
逆に低ければ価値が低い対象となり、
価値の高い対象に対する自身の接触は価値が高く快楽系であり、
価値の低い対象に対する自身の接触は価値の低い苦痛系ということになる。

つまり、物理的な直接的な刺激に対する価値の設定は
その通りの快楽か苦痛かによって価値が設定され、
後天的な価値基準においては、
その価値が高い対象については快楽の刺激であるという設定となり、
その価値が低い対象については苦痛の刺激であるという設定となる。

この価値の評価が先の認識において強い刺激としての選定材料となる。

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そして何を認識することになるのか。

人間ではない知性ある動物であれば、
直接的な刺激の価値評価によってその活動を決めることになる。
つまり身体的な変化としての欲求と自身の環境の変化に対する刺激であろう。

これが人間であるとどうか。
人間はその知能において思考する能力が他の動物より優れているが、
認識の目的とする刺激はやはり高い価値のある刺激ということになる。

ふとした生活の折に、
何か決まった時間にコーヒーを飲むというような習慣においても、
それを認識するに至らしめるものは、それを価値ある目的として認識する事、
それを実行する事、そしてそれを完遂する事である。
それは生活習慣という習慣において、価値ある記憶として価値観の中に存在し、
それを認識させるための時間の刺激や渇きの刺激、
そういった刺激を認識した結果、その関連する習慣の刺激が励起されることになり、
結果的にそれを認識するということになる。

直接的に快楽や苦痛ということではないが、
習慣はその習慣として行動、実行する事によって得られる価値が存在するということであり、
その時点では代わりとなる他の価値が存在していない、経験、記憶していないということである。

少し頭が疲れてきたので今回はこのくらいにするが、
直接的な五感などの刺激は突発的に最も強い刺激となる事が多い。
そして、
後天的に得た価値観を対象とした場合の認識する対象の刺激というものは、
その今、自分が置かれた状態、状況に至るまでに受けてきた刺激によって関連して励起された
その次の瞬間に最も強い刺激となる記憶された刺激ということになる。

つまり、それはその瞬間まで他の刺激に関連する刺激であり、
未だ認識に至らなかった強さの刺激であり、
その次の瞬間に最も強い刺激となる刺激の記憶である。

この辺りの考えは現時点では欲求や目的として考えられる事になるだろう。

つまり、その欲求や目的によって次に得るべき刺激を選定している。
そして、それができる知能を得ているのが今の人間であり、
それこそが目指す人工知能の知能であるということになる。

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最後にまとめると、
そして、これらの刺激の価値の評価によって
ある瞬間の最も強い刺激に対して認識が行われ、
その認識が連続している状態を持つ個体と知能に対して、
意識があるという事が言えるというわけである。

最後が少し疲れてまとまらなかったが、
その辺りはまた後ほど考える事にしよう。
今日はこの辺で。


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