2022/12/4

意識する対象の刺激

諦めに対しての好奇心について考えていた。
好奇心も結局は刺激を求める事になるのだが、

結果的に
どのような刺激を想起しようとしているのか、
どのような刺激を認識しようとしているのか、

期待、つまり、予想の範疇である、知能活動としての刺激の価値の予想が
そのまま好奇心になっているのではないかというわけである。

で、好奇心も予想の一部ということになり、
これは諦めも好奇心も同じような知能活動、
つまり、知能が刺激を想起して再構成した働きとして認識している
あるまとまった知能活動なのではないかというわけである。
つまり、それらはすべて呼び方こそ違うが、
脳が行っている働きは皆、同じ仕組みであり、
その目的とする刺激の対象の要素が異なるから、
人間はそれをそれぞれ異なった知能活動の名称をつけて簡便に認識できるようにしているのではないかというわけである。

つまり、諦めも好奇心も想像や思考も皆同じ仕組みですでは分からないので、
その処理以降に認識することを目的とした知能の働きに、
その認識対象の刺激の要素、つまり、諦めななら目的の結果に対する行動の刺激・価値の評価の比較なのか、
好奇心ならこの先に期待される刺激を認識しようとする目的に対する刺激・価値の想起なのか、
想像や思考なら手持ちの価値の関連、目的と結果の関連をより明確にする刺激の想起なのか、
その目的とする刺激によって知能活動を分けて認識しやすくしているという事である。

「つまり」を想起して再構成した場合、
今まで考えてきた内容について
もう一度頭の中で整理して考え直すということがその次に予定される。
つまり、これも今まで認識の為に想起して再構成してきた内容の次に
想起して再構成して認識しようとしていることを予想して
その刺激を想起しようとしている事になる。

この場合、脳内で励起状態にある刺激群があって、
その中から最も強い刺激が認識に至るが、
この場合でも、次に認識の対象となる刺激は、
この励起状態にある刺激の中から、
その前に認識された刺激と関連している刺激であると考えられる。

「つまり」を次に想起しようとした場合、
頭の中では「つまり」は既に励起状態にあり、
「つ」を認識した時点で次に認識されるのは「ま」であり、
次は「り」である事を期待、予想しているという事になる。
これは、あらかじめ思考中に「つまり」という状態、
つまり、その「つまり」の前に再構成して考えていた思考の内容と
その「つまり」の後で再構成して認識しようとしている内容をつなげて、
その思考の内容を組み立てようとしている脳が存在するという事になる。

これは、自我が意識する対象ではなく、結果的な認識になっているというだけであり、
この時点では刺激を意識して、指定して認識できている事には当たらない。

知能活動のかなりの要素は、この刺激の価値に対する欲求というか、
脳が刺激を処理するという、そういう器官であるという事に対しての自然な働きという事になるのだが、
何か刺激を指定して認識しようとしているという事ではなく、
先ほどの脳内で認識の予備対象であるある程度励起された状態の刺激があって、
その認識の直前の状態によって
その次に認識されるであろう刺激が決まるということになるのではないかというわけである。


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