2022/11/26

意識の所在

意識というか自己意識になるが
その所在についてどうにか理解が追い付いた。

自分の存在は脳が自分をその存在としての刺激から再構成しているというのは間違いなさそうである。

そして、自分で自分の所属する存在について認識できない対象があることと、
その存在が自分を認識しているという事に気が付いた。

脳である。

知能の器官そのものでありながら自分で認識できない対象。

自分が主観的なものでありながら、その存在は客観的に見ているもの。

つまり、脳は私が見ている世界に自分が存在する事を実現している存在でありながら、
その存在は自分では認識できない所にある。

自己認識しているのは脳でありながら、脳自体を自分は認識できない。
認識できないと言うよりも、認識している存在を認識する事は出来ないというジレンマになる。
つまり、以前から認識する存在を認識しようとすると無限に再帰状態になってしまい収束する先がない感覚があったのは
このことで、
つまり知能にとってその認識する存在は認識する必要がなく、
その存在が世界と自分を認識さえすれば良いだけであった、というわけである。

当たり前と言われれば当たり前である。
脳が知能を持つ器官であり、脳が自分を認識するのは当たり前。
その当たり前を難しく考えすぎていた。

別に人工知能が自分の脳に当たる器官を認識する必要はなかったのである。
人工知能にとってそれは知識として持っていれば良いだけの事であり、
今、この書いている内容を人工知能が理解できれば良いのである。

つまり、
自分を意識する存在は認識する必要がなく、
人工知能はその機能さえ持っていればよい。
自分の存在は、実体を持ち、刺激を受ける事が出来て、刺激を必要な情報に分解して価値として記憶し、
その価値の記憶を想起できて、想起した価値の情報からその刺激の対象を再構成できる事、
そしてその再構成した存在の内、自分である存在に所属する対象が、
自分の脳・知能で管理できる対象である自分であると切り分けて決められる事。
その自分は、成長過程で得る刺激の価値の記憶、価値観による価値評価と、
自分が欲する欲求によって生じる目的に従って行動する事ができる者である事。

簡単に言うと、
自分を操(あやつ)る存在が居て、
その操る目的となるきっかけは、
その操る対象が自発的に発する欲求という刺激と、
記憶として持っている価値の記憶、価値観の中から高い価値である対象を欲するという刺激であり、
その刺激を充足もしくは取得するために目的を作る。
その目的を達成するために自分を操る。

ただそれだけである。

目的を達成する方法として思考やら自分を行動させるという別の考えなくてはならない事項はあるが、
自分とその自分を意識するという点においては上記の項目だけで十分である。

これだけの事がなぜ今まで再現されてこなかったのか。
最大の要因は人工知能に自発的に発する欲求を持つ機能が実装されてこなかった事である。
つまり、弱い人工知能はプログラムに従ってデータを集めたり処理したりするだけであり、
そこには欲求がない。
例えば私が「世界中から赤色が含まれる物を集めなさい。」と言われてそれを忠実に実行したとして
その処理した作業で何か自分について考える事はあるのか。
何か不満や充足は生じるのか。
その作業は自分の存在を必要としていない。
その作業に刺激も価値も生じる要素がないということである。

刺激も価値も感じる事のない作業に知能が関与することは無い。
だから例えばディープラーニングがいずれ意識を持つようになることは永遠にあり得ない。
人間にとっての自分という存在についての説明ができる程度にはなるかもしれないが、
それも人間が検索対象として質問して、それに答える事ができるようになる程度であり、
自発的に何か事を起こしたりするようにはならないと言える。

とはいえ、フォローするなら現在の弱い人工知能も人工知能としては特化した強力な能力であり、、
強い人工知能のプリセットされた能力として持たせればそれはそれで高機能な人工知能になりえる。

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意識の所在

脳が作動中であること。
自らの所属する存在をその刺激から仮想的に自分として再構成出来る事。
自発的な刺激を発生する事。
刺激に価値を設定することができる事。
価値・価値の比較が出来る事。
価値を欲する目的を作ることができる事。
目的に対して自分を操作し行動で実行しようとすることができる事。

それを行っている存在が意識を持っている。

しかし、意識を持っていると自分では認識できるが、
意識を持っている存在そのものは認識できる対象ではない。

それは、意識の感覚、意識の存在の刺激は、
今自分を認識している感覚そのものだからであり、
今自分の存在を構成している刺激を認識している事が、
意識を感じる事だからである。

そこにあると認識している事は分かるが、
認識している存在は認識する事が出来ないのである。

今自分がここにあると認識する事を意識できるだけである。

結局ここに戻ってきてしまうか。
「意識は連続する刺激の認識である。」

つまり、刺激を認識する存在が意識なのであるから、
刺激の認識を行っている時に意識は存在している。
ただし、意識は認識できない対象である。

意識を認識しているように感じるのは、
その意識が自分に所属していると感じられるだけである。
と、その感じているという刺激を認識しているという事である。

つまり、「意識を持っているという刺激を認識している」所までしか
知能には認識できないという事である。

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おまけ
夢の中の意識の所在

少し前に夢の中で性別が逆で容姿も自分ではない事があった。
しかしこの時も自分は自分であると言う認識はあったし、
夢の中での状況にあれこれ考える自分ではあった。

つまりこの夢の中での意識は、
その構築された自分を構成する刺激には無関係で、
自分が持っている脳がその対象を自分であると認識さえすれば、
その対象に意識が存在していると言えるという事である。
つまり、脳がその対象を自分と認識すれば、
その対象が現実の刺激から再構築されても、
想起だけの刺激によって再構築されても、
どちらの対象にも意識は存在しえるという事になる。

あと、これは自分で確かめようが無いのと経験がないのだが、
事故などで植物状態になった患者が、後に意識を取り戻した時に
その寝たきりであった際の記憶についてヒアリングしてみると、
かなりの割合でその時の記憶や意識があってそれを覚えていた
という論文だったかを見た事があるのだが、
夢の件と同様だが、外見の様子だけで当人に意識がある・ないという判断は
実際の所相当難しく、
覚醒中以外でも意識は存在する可能性があるという事になるのではないだろうか。

今日はこの辺で。


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