2022/11/15

想起の多様さ

思考するということを考えていた時に
思考はこれまで最初に得ようと欲した刺激や価値があり、
その刺激や価値を目的とした認識が行われ、
それと同時に仮の結果が設定されるというものであった。
そして、その目的と結果を関連付けるための要素として、
想起による自身が刺激や価値の記憶として持つ価値観から
関連する刺激や価値が想起されて、
もっともらしい関連が作り上げられた時点で思考が終わったと認識して
思考が完結するというものであった。

そこで、この想起が思考にも用いられているという点について、
思考が感覚器官からの刺激を入力する事で進むかというとそういったことはなかった。
接触したり、暑かったり、寒かったり、においや、音、光、画像、
それらを刺激として受けた時点で思考が進むということはない。
そこで、考えたのが、
思考による脳の働きは想起によるもので、
これは刺激や価値を扱う脳の働きとしては他に考えようがないものだった。

ということは、
単純に何かを思い出したりすることと、
思考や想像、創造、予測、等は基本的には想起するという働きで、
それぞれが同じもので、
その今何をしているかという認識において、
それが単に思い出す事であるとか、今は考えているとか、
認識しているのではないかと考えた。

そして、それは最初に書いた刺激の認識についてもいえる事で、
刺激の認識が、感覚器官から受けた刺激を脳内で受け、
それを想起する事で刺激として知覚するということは、
その知覚における想起も含めて、想起は脳の働きにおいてその認識される働きの種類、多様性が
非常に多岐にわたっているのではないかと考えたわけである。

逆に、脳の働き、つまり、刺激と価値とその認識に関係する全ての働きは
想起による認識によって全てがまかなわれているのではないかと考えた。

つまり、一見、
脳が刺激や価値を扱う場合に、それが思い出す事や、思考や、判断、
想像、予測、は全てが異なる脳の働きのように感じられるが、
その実、脳内で行っていることは、単に想起だけであり、
その想起によって行われる目的の完遂のための働きとして便宜的に様々な名称を付けた
脳の働きにしているのではないかという事である。

つまり、
目的として昨日の出来事を思い出す事と、
目的として明日の天気を予想する事で行っている脳の働きは
どちらも想起であるということである。

昨日の出来事を思い出す事は、
目的として想起される対象は昨日起こった出来事であり、
その刺激や価値はすでに記憶されたものであり、
その結果として得る事を欲している刺激や価値そのものでもある。
一方で、
明日の天気を予想する事は、
目的として明日の天気としての刺激や価値を
もっともらしい刺激や価値として認識する事であるが、
思考が目的と結果の関連をその想起によって
もっともらしい刺激や価値の関連を想起し、
認識する事で思考が行われるという事は、
つまりその時点で自身の脳が持っている明日についての情報としての刺激や価値を想起し、
その明日の天気としてもっともらしい結果としての刺激や価値を認識しようとしている事になる。

単純に思い出そうとしている事も、
思考する事によって答えを出そうとしている事も、
その目的と結果の関連する要素としての刺激や価値を想起しているという点では同じという事になる。

ということは脳の働きはどのような異なる働きのように見えても
扱う対象は刺激や価値であり、
行っている処理は想起と記憶だけということになる。

つまり、見かけ上、その働きが異なって見えるのは、
その目的と結果の見え方、認識が異なるからという事である。

思い出そうとしている働きは、
刺激や価値がはっきりと記憶した経験を持つ対象であり、
その想起でもっともらしい目的と結果を関連付けて得る事である。
また、
思考して何かを考えるという働きは、
結果の刺激や価値がはっきりしていないが、手持ちの刺激や価値の記憶である価値観から
刺激を想起して、もっともらしい目的と結果を関連付ける事である。

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ということはである。
考えようとして想起しているからそれは思考であり、
予想しようとして想起しているからそれは予想であり、
思い出そうとして想起しているから思い出すということになる。

今この瞬間の世界を認識するということも、刺激を知覚して想起する事で世界を構築し認識することになる。
今この瞬間に自分を自覚しようとすることも、自分の存在を想起して構築して認識する事ということになる。

ということは、知能が想起する事がその存在を生じさせて、その知能がその存在を認識するということになるか。
その存在と言うのは、世界であり、自分であり、自我、精神、自分の思考、自分の想像、
そういったあらゆる対象であり、脳が、知能が「ある」と認識できる対象になるものである。

ということは、人工知能においても、
その記憶としての刺激や価値の記憶を想起して、
それが認識に至れば、そこに知能のあらゆる機能が再現できると言うことになる。

そう、そういう事は、認識が刺激や価値の想起による再構築であれば、
人工知能が認識しうる刺激や価値に対して、人工知能自身が管理する仮想空間において、
その刺激や価値を再現できるシステムを用意すれば
そこに人工知能に対しても強い人工知能に耐えうる知能の様々な機能が再現できることになる。

脳の想起という働きは、そのものがある刺激としての対象に対して、その存在を存在するものとして再現、構築するということか。

つまり、
今私が知能について、想起について考えている思考は、
今私がその脳内、知能内において、想起している全ての対象について
その存在を、事実を再現して存在するものとして構築している脳の、知能の働きであり、
今私が思考していると感じる存在になっているというわけである。



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