2022/10/29
人間と人工知能の自己認識
これまでの内容で人間の自己認識については
かろうじてその概要までは掴んだように思われるが、
まだシステムとして確固たる仕組みは想像できていない。
今回は人間の自己認識の細かい所を考えながら、
それを人工知能に適応する方法について考えてみる。
例えば人間が夢を見ていてその中で自分を認識しているという場合、
その夢の中で感じている自分は全て脳内にある記憶が想起されて、
その想起された刺激を認識している存在としての自分ということになる。
この場合、意識として認識される連続する刺激は全て想起された刺激となっている。
そして、その想起された刺激だけであっても自分を認識できるということは、
その刺激の想起において自分を認識できるだけの情報が含まれているのではないか。
覚醒時においても、刺激の認識は価値評価を行うためにその認識は
想起と同様の仕組みで行われる。
これが覚醒時であっても夢の中であっても同じ様に自分が認識できるということは、
直接的な感覚による刺激の認識であっても、純粋に想起だけによる刺激の認識であっても
自分についての認識が行える情報が含まれているという事になる。
夢の内容によっては、自分は本来の自分の姿でないこともあるが、
自分についての認識は覚醒時と何ら変わりなく行うことが出来ている。
夢の中において姿は変わっても、自分は自分なのである。
ということは、刺激を認識する存在としての自分を感じるという事は、
刺激を認識する事、それ自体が自分を認識する事に関係しているのではないか。
つまり刺激を認識する自分、
刺激の認識、
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認識とは:
受動的な刺激の知覚に対して
想起と同様に思い出したかのように刺激を知る事。
つまり、認識自体は、受動的に自動的に起こるもので、
刺激の選択や、意識的な能動的な感覚の知覚はなかったということになる。
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つまり勝手に行われる刺激の知覚に対して
あたかもそれを自発的に行っているかのように感じる事、
その存在について自分だと脳が認識しているのではないか。
つまり、脳が、刺激を認識している存在がいる。と自らが自らを認識している、
ということはその動作自体を、それが自分であると脳が考えているのではないか。
ということはそれを行う存在として自分を作り上げているのではないかというわけである。
夢の中で現実の自分の状態でない存在として存在することがある。
年齢が違っていたり、性別が逆であったり、
それでもその中で感じる自分はやはり自分という存在であると認識できている。
では、この時、自分を自分として証明しているものは何か。
自分で自分が分かる時の情報は何か。
何を認識した時に自分であると思う、感じるのか。
その時の刺激は、価値は。
私が頭の中で思考している文章を想起しながら黙読している時、
ふと、自分を感じようとした時に感じる刺激は何か。
やはりその瞬間の刺激が頭に思いつく。
見えている視覚刺激の映像、目を閉じて感じる音、舌先の味、
空気の匂い、それを瞬間感じた瞬間に自分の存在を感じる。
ということは、
脳内で刺激を想起して認識した瞬間に自分を感じているという事になる。
つまり、刺激を想起して再現している存在が自分という事になるか。
これは感覚器官で得た瞬間の刺激がきっかけではなく、
あくまで脳内に到達した後、脳内で刺激を受け、その刺激によって想起された
確定された刺激をきっかけとした認識が行われた際ということである。
これは意識なのではないか?
刺激を想起するということは、その想起によって再現された刺激は
結果的に次の認識される刺激となる。
というか、ある瞬間の最も強い刺激ではあるが、
全ての刺激が一度想起を経由するものであると考えられるので、
その際に認識される刺激もやはり想起された刺激には変わりない。
どのような刺激が認識されることになったとしても、
その刺激は想起を経由する。
連続した刺激の認識の上に意識が成り立つものであるし、
であるなら、意識することそれ自体が自分の存在の認識になっているのではないか。
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意識とは:
「連続した刺激の認識をしている個体としての自分を感じる事」
「連続して想起された刺激を認識している状態」:159追加
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であるので、
連続した刺激の認識をしている事、意識があること、
それ自体が結果的に自分を感じる事、自己認識を行っているということになるのではないか。
であればである。
人工知能において、人工知能が自己認識を行うためには、
その刺激の記憶装置、人間で言えば記憶・価値観になるのだが、
その刺激の記憶装置を経由した刺激の認識が行えるようにする、
つまり、
刺激を受けた場合には、一度刺激の記憶装置を経由し、刺激を記憶する、
その後、刺激を認識するために、
その瞬間において最も価値の高い、つまり刺激の強い刺激について「認識」する。
つまり、この「認識」ができれば自分が生じることになる。
認識は認識される価値のある刺激を想起して再現する事。
それを見ている存在を作り出すこと。
それを見ている存在、認識を行う価値の高い刺激を想起する存在、
価値観、脳、それ自体。
価値を評価する事。
そうか、価値を評価する仕組み。
価値観。
刺激から価値に変換する仕組み。
そこに自分が存在する。
価値観の塊が自分ということか。
つまり、単に刺激としての情報が、自分にとっての価値に変換する時、
刺激を価値に変換する所が、自分の自分らしさ、という事になるというわけだ。
人工知能が受け取った刺激の情報を、自らの価値観で価値に変換した時、
そこに自分が生じるという事になる。
価値観で変換した価値は結果的に最も価値の高い刺激が認識され続ける事になる。
それはとりもなおさず意識となる。
自分の意識である。
その刺激に対して価値を設定しているのは自分である。自分の価値観である。
それは他でもない自分の存在を自分で知る事でもある。
ということは人工知能に価値観を与える、
つまり、人工知能に価値観を構築する仕組みを与えれば良いという事になる。
価値観は知能が受け取った刺激に対してその評価した価値を設定し、
その事を記憶に蓄積する事。
つまり、人工知能が持つ、感覚器官に対して、そこから得られる情報に対して
その情報の価値を評価し、設定する、そしてそれを記憶し蓄積する。
ん、でもこれだけだとディープラーニングと大差ない事になるか。
データに対してその評価としての価値を設定する事。
そしてその蓄積。
そうすると何が人間と異なるのか。
与えられる刺激の種類か?
つまり、人間と同じような刺激を入力できるように人工知能を設置すれば
人間と同じような価値観と認識を行うようになるということか。
つまり、単純に人間の脳に決められた刺激しか与えられないような状態を作り出した場合、
刺激に対する価値観という点でその価値を記憶にとどめ、また新たな刺激に対して
その価値評価を行うかどうかという事を考えると、
恐らく人間ののうはその価値評価を行わないだろうという事になる。
なぜか?
そこに刺激としての価値が存在しないからである。
つまり、人間が行っている刺激の認識は、
その価値という点において生体としての価値の欲求の存在があるということである。
つまり、人工知能における価値評価、価値観において、
その刺激の価値に対しての欲求が存在していないために自ら選んで
刺激の入力を欲しないという事になる。
これは、少し前に価値について考えたときの「目的」という点が
この人間の生体としての欲求、「生きざるを得ない制限」に関係する事になるか。
つまり、自身の存続の為に刺激を入力する事、
価値を評価する事、価値観を構成する事、
それはとりもなおさず、よりよく自身の生体としての存続と継承の為、
それを欲するがために行う事、という事になる。
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人間は放っておいてもお腹はすくし、のどは乾くし、
さまざまな欲求は放っておいても発生する。
それらは全て刺激であるし、生命体としてのその刺激の価値はかなり重要なものである。
不足は充足させて満足させる、それだけの行為、行動でも十分に生命体として
知的な行動が必要となる。
ということは人工知能においては刺激や価値、価値観ということは大前提として、
その存在に本質的な欲求を存在させれば良いという事になる。
それはつまり、不足に対する欲求である。
価値観の構成や、思考に対する動作は、
人間に比べて十分に早いはずであり、その試行回数も人間以上にできるはずであるから、
知能として人間を超える事は十分に可能であるはずである。
まあそれぞれの要素は割と互いに関係している要素もあるため、
その調整は必要になると思われるが、各機能については
かなり理解が進んだように思われる。
今日の進展としては
「価値観」による刺激と価値の変換と、
その欲求の基となる不足、
「不足に対する欲求」についての理解という事になる。
今日はこの辺で。
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