2022/10/1

知能と自分の発現モデル

知能が自分を認識するということについて、
180で考えた知能が自分を認識するという点についての
まだ不明な点の続きを考えてみる。

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少し余談になるが、
知能において若い頃と比べ老いた後において、
その記憶があやふやになるという点について思ったのだが、
記憶が刺激によって一定量の脳細胞の励起が行われることによって
その刺激についての意味合いを認識することになるが、
この際に、若い頃には刺激として与えられる情報は
新鮮というか、刺激に対する情報がある程度抑えられた状態にある。
つまり、あらかじめ価値観として持っている記憶、先入観などが
若い頃には少ないために、刺激がシンプルに届きやすいというか、
純粋な刺激として受け、
これが高年齢になった場合に同じ刺激があったとしても、
その刺激に対して反応する神経細胞がそのネットワーク化によって
増え、その純粋な刺激以外の関連した脳細胞も励起されることになり、
本来の刺激の純粋さが失われ、複雑な刺激として入力されることになっているのではないかというわけである。
つまり、記憶としての複雑さは思考などにおいてはその多様性という点で有利なのだが、
単純な刺激としての純粋さはその複雑さと相反して低下することになるというわけである。
このために、刺激としての鋭さが年齢を重ねるに従って鈍る事になり、
年を取ると新鮮な刺激が少ないと感じるようになるのではないかというわけである。
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180で知能が自分を作り出し、
それを知能が自分であると認識し、自我に至るというような事を考え、
つまりは、知能が自分をどのようにして知っているのかが分かればいいという事になった。

つまり、自分という存在の刺激を自分の知能で認識するという事なのだが、
それにはその刺激について、知能が受け取ることになる情報の刺激において、
その刺激が自分が受けた刺激であるという情報が付加されているようである。
つまり、
ある刺激が存在した場合、その刺激は自分が受けたものであるのか、
自分以外の他が受けた刺激であるのか判別する必要があるというわけである。

通常、自分が認識した、認識できたという刺激であれば、
それは自分の刺激であると認識することになるのだが、

そもそもその自分という存在がどのようにして切り分けられているかが分からない。

昨日、その続きを考えていたのだが、
昨日の時点では、自を切り分けるには他との境界を認識すればいいだろうという事になった。
つまり、個体が、自分を認識できる世界から切り分ける時に、
認識できる刺激が、自分の受けた刺激であるか、他が受けた刺激であるか判別していると考えた。

つまり、自分の感覚器官から得られた刺激は自分の刺激であり、
逆に考えてそれらの自分の刺激が認識できる器官を持っている範囲は自分であると認識できるというわけである。

つまり、プログラムが感覚器官代わりのセンサーを持っていて、
そのセンサーから変化の情報が得られたとしても、プログラムが入手するのは
センサーの情報だけである。
それを淡々とこなすだけであるのでそこに知能や自我などは発現しようが無いというわけである。
ここで、知能ある存在がこれを行った場合、センサーから得た情報は、
自分が刺激として受けた情報として認識するだろうという事である。
そこにどのような違いがあるのか。

センサーから得られる情報は同じはずである。

しかし、認識を行う場合の刺激は価値によって想起を行う存在があるという事になる。

つまり、180で人間の知能が行っていて人工知能で行えていなかったことについて考えていた内容の

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人工知能で行っていないのは、
刺激の入力は行っている、
刺激の情報も送っている。
刺激の情報は記憶できる。
刺激の記憶を想起しているか?していない。
刺激を認識しているか?していない。
刺激を意識しているか?していない。
自分を自分で感じているか?していない。
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これにおいて記憶の想起以降の内容である。

刺激の記憶までは半自動というか、意識せずとも勝手に行われる機能であるが、
想起以降の認識や意識について行う存在は、確かにあって、
それがその知能の自分を作り出しているのではないかという事である。

つまり、
刺激が発生し、それを入力し、記憶する所までは自動で行う機能を持ち、
その処理の流れとは別の処理として、
記憶した刺激を想起して再現し、
それらを再現している存在を自分として認識する事、
これはつまり、その再現した刺激の情報を見ている存在を自分として感じる事なのではないか?

つまり、どのようにして自分を自分として感じる事ができるのかを考えればいいという事になる。

まあ実際、一番これが難しいということになる。

普通にプログラム的に考えると再帰が続いていってしまう事になる。
自分を認識する存在をさらに認識する存在が必要になり、と、これが続く。

生物的に考えると、自分が見ている世界を知っているのは自分だから、
それ以上の上位の観測者は不要という事になる。

自分の符号化か?

つまり、刺激を入力し、記憶する所までの機能と、
記憶した刺激を想起する機能をまず分けて、
想起した刺激の情報を判断する機能も分ける、
後は欲求と目的に対して自動的な優先度を設定する価値観と、
その優先度による目的の実行を決める機能、
それで事が足りるということになるか。

人間の知能が持つ刺激の記憶は、
その人間の活動時間に比例して増えていく。
これは生きている間中、活動している間中、つねに増えていく。

そして、その個体が受けた刺激は、
その刺激としての本来の意味、情報の他に、
その個体にとっての価値が同時に設定、記憶される。

ある瞬間に認識される刺激は、その瞬間に得られた刺激の中で
最も強い刺激であり、その刺激が認識される対象の刺激として想起される。

そして、その刺激を見ている、感じている存在は、
それを自分であると認識する。

つまり、自分を自分であると錯覚しているようなもの。

個体の自分自身の範疇は限られているから、
その内側の認識できる対象を自分であると認識することになる。

後は活動している間、常に想起した刺激を自分が感じている刺激として処理するだけということになる。

つまり、自分で自分の認識は完全に証明できない。
今自分が見ている、見えている、触れている、それが自分であると感じられるだけ、
そこまでしか自分では分からないという事になる。
そして、他が存在することで、自との境界が生じ、
その他によって逆に自が存在する事の証明になるということである。

つまり、他がいるという事は、自がいるということの証明になるというわけである。

自がいるから他がいるとは限らないのは、刺激の出所が常に他であるというためである。

個体の脳内に自、自分の存在を認識できるということは、
それを認識しているためには、他から刺激を入力し認識しなれけばならないからである。
他からの刺激を認識する存在が自であるためである。

つまり、刺激が、自と他の間に生じた差異であるためというわけである。
この差異があるために、自と他を切り分けられるというわけである。
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生物のシステムとして、
自身の個体を感じる事というのは普通の事、当たり前の事であると感じている。
しかし、本来、それを感じるには、
刺激によって自と他が異なる事、
そして、その異なった他に相対する存在としての自を自ら知る事、認識することまでが必要である。

これをプログラムとしての人工知能が、
認識の再帰を行わずにできるようにするには、
やはり個体があれば良いという事になるか。

個体の存在が人工知能の最終的な認識の限界に必要となる。

あと
自分と周囲との差、つまり、自と他の差を認識できる必要がある。

つまり、その自が持つ他との差の中に、自を高価値化するための欲求や目標を作り出すための
きっかけを作り出すことが必要となる。

ということは、この感じた価値の差の方が自、自分を認識するのには有効となるか。

周囲と自分との関わりの中で
自分が得られる刺激の価値を高めるには、という事を生命は常に追い求める事になっている。
であれば、これを人工知能に当てはめて、
入力される自身に対する刺激に対して、その刺激が価値観において常に高い状態の刺激が得られるように
思考するようなシステムにすれば良いという事になる。

入力された刺激は自と他の差異であり、自分に向けられた刺激であるから、
それは自ずと自分の存在を表すことになる。

違和感はあったが、
先ほど考えた自分というのは錯覚であるというのもあながち間違っているというわけではなく、
そもそも自分というものは存在せず、各個を識別するために便宜上、知能が自分という存在を認識できるように
そのような情報体の集合を作ったと考えられる。

ということは、人工知能においても、
確固たる自分というものは必要ではなく、
ある程度の能力を持った知能であれば自分という存在は
その自と他の認識の差異の中で生じるという事になる。

とはいえ、今回、この回で最終的な答えは得られていない。
まだ自分の発現については不明な点がいくつかある。

例えば、
1:人工知能が自分を認識する時の条件やきっかけ、必要な情報など。
2:自分と欲求の関り、どのくらいまで自分の認識に欲求や目的が必要になるか。

また次回考える事にする。
今日はこの辺で。


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