2022/9/24

感情

喜怒哀楽、さらにそれらを組み合わせた感情がある。
人間の感情は豊かである。
ではそれらを人工知能に組み合わせる際にどのようにしたらよいか。
そして何を理解しておくことが必要か、
そして、そもそも感情とは何かについて考えてみる。

人間が感情を表す時、
喜怒哀楽があったとして、
それらは全て人間の知能におけるある状態を表現するということである。
喜怒哀楽それぞれに、
うれしい、怒っている、悲しい、楽しい、
その他にも不満や、不安、恐れ、いら立ち、など
基本的に感情は対外的に表現する場合がほとんどであるが、
人間は内心という考え方により、対外的に表現しないまでも、
その喜怒哀楽の状態になっているという事がある。

まず、そこで分かるのは、
喜怒哀楽というような感情は、
対外的に表現することが必ずしも必要でない事と、
知能としてのある状態を感情という状態として表しているという事である。

つまり、基本的に知能においては内面的なある状態、それぞれを
感情として表しているということである。

理解を深めるために、
今の私が思っている喜・怒・哀・楽を表してみる。

喜:
嬉しい、喜ばしい、
基本的にある事象や物体、状態や対象など、
ある状態としての価値あるものが自分の所属、所有するものとなった場合に感じる感情である。
自分自身であっても、他人であっても、
自分が知覚する刺激として価値ある物や状態を所有・共感すること、
つまり、自身がその刺激による価値を想起して認識、意識した時に感じる感情である。

怒:
怒っている、
基本的にある事象や物体、状態や対象など、
ある状態としての価値あるものが自分の所属、所有するものとならない時に感じる感情である。
さらに、自分ではどうにかしようとしているという認識、意識はあるがままならない時、
つまり能動的にその対象について働きかけをしているのであるが、
その価値が手に入らない時に感じる感情である。

哀:
悲しい、哀れみ、
これはその原因は怒りに似ていて、ある対象について自分が所有するものとならないという点については同様だが、
異なるのは、その対象について自分が何か働きかけをしていない、単にその状態や対象について認識しているだけである
という点において怒とは異なる。
つまり、ある状態や対象が置かれた様が、哀の状態にあって、
今自分はその対象について働きかけをせず、受動的に認識、意識しているだけの事を表した感情である。

楽:
楽しい、嬉しい、
喜よりもより仮想的な状態、対象についてその認識、意識が起こった時に感じる感情である。

この他にも不安や不満などの感情もあるが、
どの感情の状態においても、その感情を抱くのは何らかの感情を向ける対象を必要としている事である。

短絡的には、
対象が存在し、それを認識、意識するということはそれ自体が刺激であり、
価値ある対象であるということになるが、
実際知能が認識できるのは刺激だけであるのでその辺は仕方がない。

ただ、感情のいずれの状態にしても、
その感情の状態というのは、知能において何らかの状態を表現しているという事には違いない。

つまり、知能におけるある表現に向いた状態にある様を感情として表現しているということである。

ただ、人間が表現できる状態であるという事、
言語で表し、他人、他我に対して表現できる様子であるという事は、
感情の状態というのは、ある程度集約された価値の表現方法であり、
言語で表現する事で、逆に言語の意味合いとしての表現に近づけさせられているとも考えられる。

つまり、ある知能の状態の状態を表現するのに言語を用いる事で、
その状態を言語の意味に近づけていると考えられるということである。

つまり、言語の、感情のそれぞれの意味に近づく表現をしている、
することになっている、という前提になっているというわけである。

まあ、人間の表現する状態として互いに理解ができない状態であると、
社会的に互いの意思疎通に問題が生じるため、言語で互いに理解できる状態を
互いに共通して表現に用いる事で、より容易に互いの理解ができるように、
そしてその都合がいいように逆に言語として共有しているという事になっているのではないかというわけである。

まあ感情自体は、基本的な部分は、最初に表したように
対象に対する価値の自身の所有の有無や、共感、その期待、成功、失敗、
不満、不安など、その状態を表現することであると書いたが、
本質は人間の知能がある状態に置かれた時に、
その状態がどのような状態であるのかを他に表現する時の言葉、言語であるという事である。

とすれば、人間の知能における感情は、
様々な状態があり、様々な表現があるが、
その本質的な意味は、人間の知能におけるある状態を表しているだけ、
その表現の意味する状態を表している言葉に過ぎないということである。

で、そこに、感情に何が含まれているのかというと、
まずは感情を表す対象が存在するという事、
これは物体でも事象でも、いいのだが、とにかく知能が認識できる対象が必要となる。
そして、次にその対象についての価値の評価がある。
対象について認識、意識している自我の価値観から、その対象に対して
どのような価値を設定しているのか、
そして、次にその対象と自身、自我の関係である。
関係としては自分とその対象の間柄のこと、所有であるとか、共有、非所有、
期待する対象、まだ見ぬ対象、等、自分とその対象の置かれた関係の状態。
今思いつくのは、この3つの状態がどのような状態にあるのかで、
感情の状態が設定されることになる。
そして、その感情の状態が設定されるのは、自我における価値観において、
それら感情の状態がどのような状態で設定されているのかということが基になる。

つまり、自分が思う所の感情、それぞれの感情が、どのような状態であるかというのは
先に感情の状態が価値観として自身で持っていて、
改めて、ある状態に自分が置かれた時に、その3つの要素の状態によって
今自分が感じている感情としてどの状態がふさわしいのかが設定され、
その感情にあるということを認識する事で、
その意味に近しい言葉の感情の状態として表現することになるという事である。

つまりは、怒ることを知らない人に、怒ってみても
その状態が分からないということになるか。

逆に考えると、自分が認識した、自分で作り出した感情のイメージに
自分が置かれた状態を自らの感情で表すことは、
感情の自作自演になるということになるか。

まあそれを言えば、各個がそれぞれ喜怒哀楽を表現する対象の状態は異なる。
実際に当事者でなかったとしても、
ある人には喜ばしい状態に見えたとしても、ある人には怒りの状態に見える事もある。
とすると、人間全体において共通するような感情の状態は存在しないという事になる。
あくまで近しい状態として感情の集合に含めた状態としての表現になるということになる。

そうであるなら、人工知能において感情を実装するには、
自身と、それらの対象や価値の状態、その関係を定量的に設定すれば
感情を設定できるということになる。

自身の状態、対象の設定、価値の状態は現時点でも考えやすいが、
この自身と対象の関係性についてはもう少し細かく考える必要がありそうである。

今日はこの辺で。


TOPに戻る