2022/9/5

思考における刺激と価値と目的と結果

171で考えていた内容として
思考というのは目的と結果を繋ぐための脳内の知能活動の試行錯誤のようなものと考えた。
今回はその辺りのまとめきれなかった内容について再考してみる。

改めて思考に至るまでの出来事を順を追って考えてみる。
まず体内か体外から刺激を受ける。
刺激は体内か体外の情報であり、時間経過による状態の変化である。
刺激は神経を通じて脳に送られる。
ここでは脊髄や小脳や海馬やそれらの細かい経由地は省く。
刺激の情報が送られた脳では、その刺激がどのような意味を持つものであるか再現される。
この再現というのは過去に同じ刺激を受けていて経験、記憶があるならそのままその刺激が
想起の基となり、過去に経験した事のない刺激であれば、新たな刺激として記憶され、
その刺激がどのような意味・情報を持つものかが再現・想起される。

この際、この瞬間において、最も強い刺激であった場合に、この刺激が認識に至ることになる。

認識においては、自分が、自らの体で受けた刺激であると知っている必要があり、
この辺りの内容は、
「連続した刺激の認識をしている個体としての自分を感じる事」
が意識であるということ。
から必要な事である。
つまり、意識があるという事が、自らが自分自身で連続して刺激を認識していると感じる事が
必要であるという事でもある。

認識に至った刺激は脳内で想起されるのと同じ仕組みで意識されることになる。
つまり、この時点でその刺激を感じたと知ったことになる。

刺激を認識した際には、同時に、
その刺激に対する価値が設定されることになる。
これは過去の刺激の認識に対する記憶されたその刺激を認識した結果、記憶している価値観から
刺激と同時に想起される意味となる情報の1つであり、
過去に経験した同様の刺激に対してその後の対応によってどのような結果としての記憶をしていたか、
その刺激に対する結果の評価の記憶により、今回の刺激が過去にどのような対応や結果となったかを
価値として評価するための指標となる。

つまり、
刺激を認識した際には、その刺激が過去に経験したことのあるものであるなら、
その刺激の過去の経験から参考となる意味・価値を思い出すということである。
経験した事の無い刺激であっても、現状、持ち合わせた刺激に対する過去の経験から
似たような刺激が関連する刺激の記憶として想起されることになる。
想起は選んで行うものではなく、現状で持ち合わせた神経ネットワーク、シナプスの結合から、
今回受けた刺激に対して自動的に最も強い繋がりを持つ神経細胞が励起されるため、
その中で最も強く想起された刺激が認識の対象となるだけである。
まあこれは普段の生活における脳内活動でも同じことが言える。

選んで想起しているのではなく、刺激と記憶、目的と結果から想起されているのである。
これが自分の体の中、頭の中で行われているので、あたかも自分が選んで自分で思い出したとして
認識しているように感じるが、自分の手持ちの記憶は自分の中にしかないので、
自分が思い出した記憶は、自分が選んだ様に感じるのは当然ということになる。

刺激を認識し、その刺激に対する価値が想起され、その刺激が意識されることになると、
その刺激に対する反応が設定されることになる。
この反応は、価値を評価基準、比較という事によって比べられることになる。
比べる対象はその個体の活動そのものである。
つまり、
この時点でようやく受けた刺激が理解され、意味あるものとなり、
その意味であるところの価値によって、その後の行動の基礎となる情報を得たことになる。

つまり、
この時点で、刺激は刺激として、
例えば、五感においての感覚で、視覚の画像を得たり、
音が聞こえたり、匂いや、味、感触、他にも、お腹がすいたとか、暑い寒い、
痛いや、気持ちいい、そういう刺激を意識した状態となる。

で、この刺激を認識・意識した後でほぼ同時に作られるのが、目的と結果である。
目的と結果はこれまで考えてきた通りに、セットで作られることになる。

これは、刺激に対する価値の設定とともに、
それまで実行されていたいくつかの目的と結果、そしてその価値と比較されることになる。
目的と結果はある瞬間において実行されているのは1つだけであるが、
待機された目的と結果があり、
その選択はその瞬間においての価値の大きさによって実行される目的と結果が選択されることになる。

実行される目的と結果が決まれば、
今実行している個体の活動はその目的を結果と結び付けてその目的と結果の意味である価値を
得ようとしているということになる。

思考する事は、目的と結果の間の関係を手持ちの記憶を試行錯誤しながら繋ぎ直す脳内活動であるし、
実際に個体が体を動かしながらその関係となる刺激を得ようと、認識しようとする活動となる事もある。

そして、目的と結果が、その脳内でもっともらしい結果を得られた場合に
その目的と結果は達成されたことになる。

その後、というか、
この時点では既にその目的と結果を得るために行った途中の活動は既に実行時に記憶・想起が行われており、
改めて結果を記憶するような事はない。
そして、この時には目的と結果が達成された事により価値が得られているので、
それを行った個体はその目的と結果に対する活動が済んだことになり、
その目的と結果自体の価値が低いものとなり、相対的に他の目的と結果が次に選択されることになる。

人間においては普段の生活・活動の知能活動は、この繰り返しをしていることになる。

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例えば「習慣」というものは、前にも書いた記憶があるが、
この考え方の中での目的と結果が確定的な関係、関連が作られていて、
その価値もそれまでの刺激によって想起された目的と結果が、
その記憶された価値観から想起される価値を超えるものではなく、その刺激によって常に同じ目的と結果が
選択され続けた事により、次回以降もその目的と結果、そして、
その関連する行為や行動が選択されるという事である。

そこから考えられるのは、性格なども、
その個体が特定の刺激に対して同じような価値を設定し、
同じような目的と結果を作り出すという性質の事を性格と言っているという事になる。

個体が持つ身体的な特徴や能力、その成長した環境やそこで受ける刺激など、
それらが決まっている以上はそこから記憶される刺激というのも
その個体特有の刺激として受け取ることになる。
その結果としてその刺激の記憶から生じる知能は、
特定の性質、性格を持っているのは当然ということになる。

166の「知らない価値は目指せない」でも書いたが、
知りえない、経験した事のない刺激・価値は、その知能においては
想起の対象にならないのである。
それは思考することによっても作り出すことのできない関連であり、
そこに存在しなかった刺激や価値が突然作り出されて経験されることはないということである。

これは性格だけでなく刺激から構成されるあらゆる物事が対象となり、
思考そのものについても言える。
考え方が凝り固まっているのは経験する刺激が足りないということでもある。
ある対象を多方向から見る事ができないと感じるなら、
自分の既存の考え方でない、自分が持つ経験の中において価値が高いと評価される刺激だけでなく
自分の中では相対して価値が低いと感じる刺激についても経験しておくと良いということになる。

脳内の神経ネットワークは、そのシナプスの構成において
1対1の接続ではないために、その接続対象となる刺激が増えると
累乗や指数的な接続の増加が見込める事になる。

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今日はこの辺で。

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