2022/8/28

思考の手順

168で考えた思考の本質から発展して、
その思考の際に行っている手順や方法について考えてみる。

私が何かについて考えるとき、
まずその一番最初に頭に思い浮かぶのは
その考えようとする目的である。
「(何か)について考えよう」という具合に
まず考える目的が思い浮かぶ。
168での考えでは、
この目的が発生した時にはセットで結果、目指すべき結果、
求める答えが設定されているはずである。
実際に目的として「(何か)について考えよう」としている時には
その答えとしてその(何か)についての詳しい情報を得ようとしてるはずである。
この時点では目的ははっきりしているが、結果や答えとなる詳しい情報は得られていない。

そしていよいよ思考することになるのだが、
私の頭の中ではその目的である(何か)について
繰り返し頭の中で言葉として(何か)(何か)と再生してみたり、
その(何か)という言葉について関連する意味やさらにその関連の意味などを想起しようとする。
頭の中では言葉として文章として暗唱しているような事を繰り返しており、
今文章にしているこのような内容がそのまま頭の中で再生されている。
そして、そこから目的の結果、答えにそれらの関連を広げながら
求める姿になるように近づけていく感じだろうか。

だから、
私の頭の中で思考すると言ったら、
このように文章を作りながら再生し、
その作り上げた文章の関連を最初に考えた目的と結果の関連として扱い、
その目的と結果がもっともらしい形で関連された時に「思考」が出来た、完了したと感じる。

昨日の168での思考した関連については、100%完成した関連ではなかった感じがしたので、
今日またその続きとして、関連の補完として169を考え始めた。

今回の思考する内容は、その目的や結果は姿かたちのあるものではなく、
概念や考え方というものであるために文章を作りながら思考が進む形になっていた。

例えばこれが確固たる答えの出る数学や、実際に何かの物体を作成するような行動であった場合、
その知能の活動の結果としての目的の完遂においては、100%完成したような感じ方になるだろう。

汎用的に思考の手順として考えるならば、
(何か)の目的と結果が頭の中に出来た時、
まずはその目的についてより詳しくというか、より多くの回数を想起に費やすことになるだろう。
つまり、想起を繰り返すことで脳内でより強い刺激として扱わせ、
その瞬間毎に最も強い刺激として扱わせることで認識に至り、意識することになるからである。
そもそも目的があっても、認識、意識させないことには知能が気に掛けることもできない。
まずは、目的を意識することである。
そのためにはその意識させるための一定時間、その目的となる対象を想起して
強い刺激として脳に扱わせなければならない。
この場合は、他の刺激を弱めるか、目的となる刺激を強めるかということが必要になる。
つまり、他の刺激が多く入ってこないようにして他の刺激を弱める、
または、集中して目的となる刺激を多く想起して強めるかという事になる。

目的を認識し、意識することが出来れば第一段階は終了である。
目的を意識した時にはその目的の結果、答えも不明確でも登場することになる。
そして、その目的に対しての価値が設定されることになる。
これは、思考はある瞬間においては1つだけしか扱う事ができないのだが、
目的自体は他の内容の目的も複数を並行して保持している。
つまり、知能は複数の目的を保持し、ある瞬間においては単独の1つを思考として扱う事になる。
目的の価値は時間変化によってその価値は変化するので、
時間経過によって扱う目的は変化する。

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今、これを書いている最中に話しかけられて
それに応対するために一時的に思考をそちらに振り分けていた。
できるだけこの文章の構築を優先したかったので、
話しかけられた応対に対してはそっけない対応で済ませた。
つまりは、ある目的について考えながら、同時に別の事を考える事はできないというわけである。
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そして、目的が意識された次にはいよいよ思考する段階となる。
目的と結果は最初にあり、その関連をよりもっともらしいもので関連させることが思考であると
168で考えた。
そして、その関連を作り出すことになるのだが、
この際にその関連を作り出す素材となるのが、その思考する知能が持つ、
その目的や結果に関係する刺激の記憶である。
ある目的についてその言葉なり、映像なり、音声なり、まあ目的であっても五感で構成される何らかの刺激なのだが、
それを想起すると、それに関連した別の要素としての刺激が想起されることになる。
これは神経ネットワークの中でのシナプスの働きとして、神経細胞の発火と軸索を経由した先の
再びの神経細胞の励起につながるのだが、これによって最初の目的である神経細胞の記憶時に関連した
一群の神経細胞が励起されることによってそれに関連した別の記憶されたさらに別の意味を持つ記憶の
神経細胞の一群が励起されることになり、それは連続して経由して想起されていく。
ここで、最初の目的と、目的の最終的な回答としての恐らく初期では不明瞭は結果については、
かなり疎遠というか、その関連は非常に弱いか、遠い関連であるはずである。
つまり、目的として想起される内容はかなりはっきりしているのだが、それに関連はしているが、
その答えとなる結果については想起しようとしてもかなり漠然としていて、
つまりは確定的に「これだ」という想起はできない状態の記憶の神経細胞の一群になっている。
つまり、刺激として弱い、つまりは想起する対象が多すぎて、確定的に想起できる関連の一群が決まっていない状態である。

ここで行われるのが「思考」であり、
ここで行われるのは、最初の確定的な目的を想起し、そこに関連した多くの要素の中から、
次々に想起を試し、新しい関連を作りながら想起してはその刺激を試し、価値を確認し、最初に想起した目的とその結果として
よりもっともらしい、つまり強い刺激として関連付けられる新しい刺激の一群を意識しようという事を
行おうとしているのである。

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もちろん、思考したからといって、必ずしも満足いく刺激となる目的の結果が得られるとは限らない。
168でも考えた通り、その知能が持つもともとの手持ちの記憶、目的に関連した記憶が少なければ、
そこから期待される答えの関連する数が少ないわけだから、結果が得られる可能性は低くなる。

自分自身にも言える事だが、何か新しい物事を考えようとする者は、
一見、役に立たなそうな知識や経験であっても、一度、経験し知識として記憶・持っておくことには
意味があるので、とりあえず知っておこうとするのは良いことである。
まあ何も全く関連しない内容なのであれば、さすがに必要ないとは思うが、
多くの事象に興味を持つのは何事にも役に立つはずである。
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実際に今、私が書いている文章も結果的に、最初に目的と不明瞭な結果があり、
その不明瞭な結果を明瞭な結果として意識しようとして、
最初の目的に関連した要素を文章に起こしながら想起し、新しい関連を作りながら文章にし、
その価値を比較しながら、より高い価値になるような関連を試しながら、
結果的に現時点で出せる結果となる回答に近づけていった事になる。

そして今回の私が思考して出せた結果は、
思考の手順としては最初に目的と結果を意識し、
その関連を「思考」によって目的に関連する要素の刺激を想起しながら
新しい関連を試し、結果として満足できそうな関連する刺激が記憶・想起できたなら、
それが目的について思考した結果という答えとなるということである。

改めて思考について考えてみると、
これまでの168回、今回の1回も含めて人工知能についての考え、思考は、
どれも、
最初に目的として考えた表題についてその関連した記憶の内容を想起しながら
話として発展させていき、答えとなる結果に近づけていっているように書いている。
途中で話の内容が変わっていくものもあるが、
それは新たな関連したより高い価値のある刺激としての関連が認識・意識できたということでもある。
今後新たな「思考」の考え方もできるかもしれないが、
今回はこの辺で。


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