2022/8/26

改めて強い人工知能に必要なもの

人間の基礎的な知能の活動はこれまでに色々考えてきたが、
ここで改めて「強い人工知能」について考えを整理しつつ、
現時点で何が不足していて何が必要なのか考えてみる。

強い人工知能には
人間が自分たちの知能における推論や、
問題解決の為に新たな方策を模索したり想像したりして、
自身の思考にもっともらしい結論を出せるような能力が必要となると考えている。

人間の知能が、この自身にとっての問題として認識される対象と、
その問題を解決する方法としての推測や予測、予定、方法などを考え出して、
1つにまとめたものが「思考する」ということになる。

この「思考する」ということが人工知能に持たせることが出来れば良いということになるので、
であれば、
人工知能には、問題を問題として認識できる能力と、
その問題にもっともらしい答えが出せるようになる能力を持たせれば良いという事になる。

人間が問題を問題として認識するには、
その問題となる対象の事項について、その人間の知能がその問題を解かない事で、
自身に何か不利益が生じ、解決する事で自身に何か利益があると認識する必要がある。

これまでに認識する対象は刺激であり、価値であるという考え方によれば、
知能が、その対象となる問題について、認識するために、
その問題に含まれる様々な要素、それぞれに刺激と価値を認識する必要があるという事になる。

人間の知能が、問題に対して理解、認識するということは、
その問題を知能が認識できるように刺激に解体し、それぞれの刺激に対しての価値を設定し、
それを組みなおしてトータルの姿としての問題を脳内で再構築する事になる。
それで初めて脳はその対象の問題をはっきりと認識することになる。

ただし、この問題に対する理解や認識は、
その問題を刺激に解体した時にこれまでに経験していない刺激であることもある。
例えば知らない言葉であったり、概念、考え方、映像、音、におい、つまりは、
それぞれの感覚、刺激において過去に経験していない刺激に対してである。
この場合、この状態で問題について認識しようとして問題を刺激に解体した場合、
一部は不明瞭な刺激、つまり、経験した事のない刺激が一部含まれたままとなる。
しかし、人間の知能はその問題である対象が、一部不明瞭なままであっても、
その問題となる対象を一部不明瞭なままでも認識することが出来る。
認識には刺激があれば良いだけであるので、知らない言葉でも音でも、
そのままの刺激として認識されれば、対象の認識には完全な解釈は必要ない。

で、
ある問題を問題として認識する際に、知能が認識、理解できる刺激に一度分解し、
刺激を価値に変換して知能が認識できる形に再構築することになる。
再構築された、認識された問題は、刺激に分解すると言ったが、
この場合、ある刺激の集合体に対してその問題となる新たな要素がシナプスでくっついた事になる。
この時、この問題に集合された各刺激は、これまでの経験で記憶されていた
先んじた繋がりがすでにあり、その上に新たな刺激の繋がりとしての関連と、
さらに新たな要素としての問題として認識された繋がりが出来たことになる。

つまり、
人間の知能が、新たな問題について認識したということは、
その問題が含む先ほど分解した要素としての刺激の集合に加え、
それぞれ分解したときの刺激がおのおの持っていた刺激の集合がさらに関連している事になる。

そして、人間の知能が、この問題について考えた際には、
この問題として分解した刺激、さらにそれぞれの刺激が認識されたときに分解した要素としての刺激の関連、
そしてさらに以下続く、というように刺激の入れ子のような関連ごと考える事になる。

ただし、問題が関連するすべての刺激が想起されるようなことはなく、
想起に際しては、意識の制限であるある瞬間において認識される刺激は最も強い1つであるという事があるので、
問題について考えるときには思い出しやすい、想起しやすい強い刺激が思い出されやすいという事になる。

この事から導き出されるのは、
問題を問題として認識するためには、単純に事象を要素として記憶するだけでは意味が足りないということになる。
つまり、ディープラーニング等で要素を多く記録できれば、やがて自我や精神が生じるということにはならない。
だから、人工知能において問題に限らず、事象を記録・記憶する際には、
その事象を本来もっと細かく分解できる認識されるはずの要素に分解し、
それに価値観になぞらえた意味を付加させて再構築して、改めて事象として記録・記憶する必要があるという事である。
そして、その問題となる前の分解できる要素として、あらかじめ多くの要素を記録・記憶し、
過去に未経験の事象が現れた場合にも自身の知能が持つ、過去に経験している刺激としての要素、事象で
その新たな未経験の事象について分解し、新たな事象としての情報を付加して記録・記憶できるようにする必要がある。

強い人工知能が、恐らく人間の知能より優れる点があるとすれば、
まず、この問題の理解という点において、この問題となった要素を刺激という記憶・記録された要素に
分解する際に、人間の不確定な刺激の記憶よりもはっきりとした正確な要素に分解出来て、
さらにその刺激の要素の関連が、人間よりも多くまとめることが出来て、
その問題に含まれる要素を多く含められるという点である。
これは、
恐らく、この後考える思考するという時点において、
その問題となる事象に含まれる関連する要素が多い事が役に立つはずである。

それで、
ここで必要になっていた問題を分解する際の要素、つまり過去に経験した要素・刺激のことであるが、
これは今まで考えていた通り、その知能を収めるための器、つまり、個体が必要になるということである。
他我と自我の境界を認識することが出来た時にこそ、自分で自分というものを知る事ができると考えているが、
そのためにはまず自分の体が必要になる。
プログラム上でカメラや感覚器官となるセンサーを取り付けたとしても、
そこで得られるものは、画像のデータやセンサーによる数値の結果だけである。
情報としては十分だが、それ以上の刺激としての認識には至らない。
その情報が自分の感じたものであるのか、他のものであるのかもその情報には含まれないのだから、
そもそも自分が認識したものかどうか分からない事になる。

他人の他人が認識した刺激と、自分が自分の認識した刺激には違いがある。
客観的に認識すれば、特定の定量の刺激であっても、
それを刺激として入力した個体、それぞれの刺激の需要器官の差によって、
またその刺激に対して認識される際に・理解の為に分解される・参照される過去の刺激の量、差によって
その個体それぞれが刺激を認識する際の差が生じる事になる。
これは人工知能を対象にしたとしても同様の差が生じることになる。
仮に強い人工知能が再現できたとして、その人工知能が同じプログラムで構築されたとしても、
個体に搭載された人工知能は、それ以降の経験の差によって、以降の刺激の認識や思考には差が生じる。
例え常に横に2体並べて以降学習したとしてもである。

少し話がそれたが、
強い人工知能に個体が必要というのは、
他我と自我の境界、その境界を引くことで、まず自分を自分として知る事ができて、
そのために自分の欲求、刺激、価値、をここで初めて知ることが出来るということである。
基本的に知能が発生する必要性というのは、まず第一にその知能を持つ自分自身の保護のためである。
自分自身が、自身と周囲の環境の変化に対して、もっとも有効な行動をとるために知能が発生したはずであるから、
そもそも自分の存在なくして知能の発生は不要なのである。

人間でなく、他の動物であっても、ある程度の知能を持つ動物はいる。
それらの動物にとって、知能はやはり自分自身の保護の為に使われている。
人間ほどの社会構造を作る生物がいないため、高度な知性を感じられる動物はいないが、
その生物種の必要に応じた知能はそれぞれが持っている。

だから、高度な知能の為には最初、最低限、自分の個体は持つべきであると考えられる。
それによって自分の認識が出来た時に初めて、自我や精神の発現に至ると考えられる。
周囲から与えられる刺激や、欲求による自身の内から現れる刺激によって、
それらの刺激が、自分が得られた刺激として知る事ができて初めて刺激が「認識」されることになると思われる。

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さて問題について事象の認識が出来た後、
次はもう1つの要素、思考について考えてみる事にする。

まず大前提として、人間の知能がその思考によって得られるのは、
目的や欲求に対する価値ある結果である。
つまり、目的や欲求が生じることによって、
その結果を得ようとして、思考するということになる。

思考についてはもちろんだが、想像や推論、推測といった、
一見その答えは最初に無く、思考の結果として答えが得られていると考えられている
ものについても、実際には目的と結果は思考を始めた時点で既に知能は持っている。

つまり、目的として得られるであろう、期待される完成された答えを持っているわけではないが、
目的を持っているのは、その答えとしてもっともらしい期待されるべき答えというものが、
既に存在しているから目的が成り立つということでもある。

「何をしたらいいのだろう?」という目的をもって思考した際には、
その「何をしたら」という目的には、もう「何かをする」という事は決まっていて、
その内容について自分が持つ、自分が行う事の出来る、自分が行ったことのある事を
当てはめながら思考するということになる。

例えこれが、数学上の未解決問題であったり、宇宙のダークマターの正体であったとしても、
目的と結果というのは、思考した時点で既に持っている事になる。
まあ「結果」は、思考を始めた時点ではまだ不明瞭である事がほとんどであるが、
結果もなく思考することはできない。

私が、問題の認識について書いてから、この思考についての事を書き始める前に、
あ、ちょっとトイレに行ってこようと思った。
私の簡単な思考を働かせた結果でもあるのだが、
この思考について書こうと思っているが、
尿意も感じる、では先にトイレに行ってから続きを書こうと考えた。
最初からこれを書こうと思っていたのだが、
割と優先順位の高い欲求である尿意が割り込みに入った。
目的として発生したのは、
1:文章を書き終える。
2:トイレに行く。

結果として存在するのが、
既存にあった、
1:文章を書き終える。事に加え、新たに
2:トイレに行って用を済ませる。が生じた。

そして、ここで思考されるのが、このまま書き続けるという目的を達成するためには、
1:尿意を我慢して書き終える。その後、トイレに行く。
2:尿意を優先しトイレに行ってから続きを書く。
ということになるのだが、
過去の経験から2:の方が結果として目的を達成した時の価値が高いものが得られるという
記憶がよみがえり、思考の結果としてトイレに行ってから続きを書こうという事になった。

今回は簡単な内容だったので、
目的も結果もはっきりしていて、
思考する際に、目的と結果を繋ぐ経過として最も良いという方法を選択するのは簡単であったが、
これが難しい問題であり、目的がはっきりしていても、結果が不明瞭な場合もある。
それでも、その経過を思考して考え出すには、目的はどれだけ不明瞭でも必要になる。

目的を持つという事は、
価値ある結果を持つということであり、
また、ということは、
価値を感じる自分が必要であると言事でもある。
つまり、目的は、価値ある結果を得る事であり、
価値ある結果というのは、自分が考える価値である。
価値は刺激でもあり、自分が価値ある刺激を得ようとして目的を持つことでもある。
つまり、目的を持つには価値を感じることのできる自分はやはり必要となる。
強い人工知能についても同様である。
人工知能が目的を持つにはその結果としての価値を得ようと思わなくてはならない。
つまり人工知能が何かを欲しなければならない、
つまり、人工知能が自分にとっての価値を欲しなければならないということになる。

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目的と結果という考え方をしているが、
目的は確かに価値ある何かを欲した時に生じるものであるが、
もう少しマクロに考えてみると、
先の思考の考え方の中で、目的を持った時には結果も不明瞭でも既に存在していると考えた。
ということは、思考するという際には、目的も結果も既に関連付けられていて、
別々のものというよりは最初からセットで存在するものであるような気がしてきた。

つまり、
初期の状態において、きっかけは欲求でも刺激でも価値でも良いが、
それらの何らかの価値を得ようとした時に、目的としてだけではなく、
その欲したその対象としての目的と結果は最初からセットで認識されるもので、
その認識されたものを思考するという形をとって
自身が理解できる目的や行動、結果というような形に分解し、
改めて認識しやすいように解釈するという知能の働きを「思考」という言葉で
表しているのではないかと考えた。

つまり、
思考するということは、自身の頭の中に浮かんだ目的に対して、
その目的をより詳しく理解、認識しようと、
目的に関連した要素をその目的にあらかじめ関連させてある結果に対して
できるだけ正確に認識しようとする働きなのではないかということである。

思考の結果としては、思考においての最も価値ある結果が得られるように働いてはいるのだが、
実際は思考によって目的と結果、それを正確に認識できるよう
その間の行動などを繋いで、簡単に言うと目的と結果を正確に関連付けしようとしているのではないか
というわけである。

今回の「改めて人工知能に必要なもの」として書いている内容も、
目的としてはその必要なものとして
人工知能の体と、思考するという本当の意味について書こうとしていたのだが、
その間の関連や内容については書きながら考えようとしていた。
トイレに行こうとした話にしても、
正確に意識してトイレに行ったということではないが、
改めて考え直してみると、目的と結果が追加されて、
その実行までの間に思考された内容を考えてみると、
行動を確定するまでに、あれこれ理由を付けながら思考していたようにも思える。

少し疲れてきたので
今回はこの辺で。


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