2022/8/15

知らない価値は目指せない

人間が価値に基づいて、もちろん刺激の事でもあるが、
反応するのはこれまでの通りである。
人間はその反応・行動に価値があるから、刺激があるから、
反応・行動するのであり、その反応や行動は、
価値ありき、刺激ありきの予測や期待や思考の結果である。
では、それらの価値・刺激を知らない場合、
経験した事が無い場合にはどのような反応になるのか考えてみる。

結論から言えば、表題の通りであるが、
それだけであると知能や価値は新たな発見などが行われないことになってしまう。
では、知らない価値を目指すにはどのように知能が活動しているのか、
それについて考えてみる。

実際、今この「知らない価値を目指すには」という問題についても
私自身がその答えを導きだそうとする事自体がその活動の過程でもある。
このような場合に私はどのように考えているのか。
脳内の思考の内容を言語で文章にしながら、これを入力しつつ考えている。

これまでの考えからすれば、
知らない、経験した事のない刺激を思考によって生み出すには、
それまで経験している、記憶している記憶から、
それらしい、もっともらしい、求めている答えに近いと感じられる刺激を
新しい組み合わせで、とっかえひっかえ想起しながら、
その答えに合いそうな刺激を作り出すことになる。

もし、手持ちの刺激の種類が多く、目的とする刺激、価値に非常に近い刺激が
作り出せるなら、おそらくその知能はその刺激をその目的とした刺激の正解として
認識することになるだろう。
また、手持ちの刺激の種類が少なく、目的の刺激に近い刺激が作り出せない場合は、
答えの出ないまま、その知能はその課題となる目的の刺激を認識できなかった、
思考は失敗したと感じることになるだろう。

だから、つまり、知らない価値、刺激であっても、
まったくその知らない価値を目指せないということはないという事になる。
完璧な回答でなかったとしても、その時点での知能がその時点での目的に対する
最良の刺激が認識できたなら、それはその知能においてはそれまで知らなかった価値、
知らなかった刺激に到達したと感じる事ができるということになる。

客観的に見てその刺激が、本来の目的に完全に合致するものであるかは問題にはならない。
客観的に評価するのであれば、その評価した価値、刺激は間違ったものであることもあるが、
認識する知能が主観的に正しい答えであると認識できることが重要になる。

価値観は変化することができるという事でもあるため、
後に今経験した刺激を修正や変更して正しい刺激、価値に近づけるということもできる。

となると、
「知らない価値は目指せない」という問題は、
完全な意味、刺激、価値の合致という点では目指せないが、
近似や想定、想像、予測などを思考によって行い、
その正確性には差があったとしても、
「知らない価値もある程度は目指せる」という答えになるという事になる。

もちろん、今回の私の思考の課題である「知らない価値は目指せない」という内容についても、
これまでの入力の過程で思考してきた内容は正確には分からなかった問題と答えの過程を
近似や想定、想像、予測などを思考しながら入力しながら行い、
それらしい答えに近づいていった様子である。

結果として正確な完全に納得できる答えには行き着いていないが、
今の私が思考できる手持ちの知識としての刺激や価値の記憶から、
その組み合わせとして導き出した答えが今回の内容である。

今回はこの辺で。


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