2022/7/23

刺激と価値と意識と無意識

156で刺激が意識的に認識されても無意識的に認識されなかったとしても
同じように脳には到達しており、
認識されない刺激であったとしても刺激として処理されているという事は分かった。
また、価値という考え方は刺激の持つ情報の1つの要素であると考えていたが、
実際はその刺激を認識した後で便宜的に理解しやすいように付加している
意味合いであるということも分かった。
そして、
無意識という概念をできるだけ使わないという考えに基づいて
意識とそれ以外の状態と考えた場合、
意識したり、意図的に認識する刺激以外の、
意識されなかったり、認識されなかった刺激というのは
その刺激が弱いために意識されなかったり認識されなかったりというだけであって
実際に刺激として存在し、刺激として脳は処理していると考えられる。

さて今回は
表題の4つについて再び考え直してみる事にする。

刺激は生命として自身と周囲の環境の変化に関する情報を得るために用いる信号であり、
感覚器官でその情報を受け取り神経を通してその情報を信号として送るものである。
そしてその情報は刺激として脳細胞が受け取り、
励起された脳細胞のネットワーク上で一度解釈された刺激として脳で解釈され、
経験された刺激として記憶として納められる。
そして、その刺激を想起することによって自身が受け取った刺激として知覚、認識、理解することになる。

価値は刺激を脳で解釈した時にその刺激の意味の1つとして付加されると考えていた。
刺激を受けとった個体としてその刺激が好ましいものであるか、疎ましいものであるかと、
その意味の量、大きさについて解釈される。
刺激としての量、大きさについては、そのまま刺激の強さとして理解ができる。
ただし、その刺激が好ましいか、疎ましいかについては、
その刺激を受けた個体が、その刺激に対する評価をする場合により変化することになる。
個体Aにとって好ましい刺激であったとしても、個体Bにとっては疎ましい刺激である場合もあり、
同じ感覚の同じ刺激を受けた場合においても、その個体によってその刺激の価値、意味が異なることになる。
価値の評価は価値観で考えていた。
価値観は基本的には過去に経験したことのある刺激の記憶であり、
その過去に受けた刺激と、その刺激を受けた結果として評価された刺激の意味が、
次に受けた同様の刺激に対して行われる評価に、今回刺激を受けたことに対する想起として、
前の刺激に対する評価が想起され、2回目以降に受けた同様の刺激に対する刺激の評価、参照として
用いられる。これが価値観である。
であれば、価値観は過去に受けた同様の刺激の記憶とその刺激を受けた結果としての評価と記憶であり、
ことさら価値観という特別な要素として考えなくても良いことになる。
過去に受けた刺激と同様の刺激を受けた場合に、過去の刺激を受けた時の結果を
想起する事によって今回の刺激の評価に用いる。

意識はこれまで通り、
連続した刺激の認識を行う際にその認識を行う存在としての自己を認識することであり、
自分が刺激を受けている、自分が刺激を認識している、自分が刺激を判断しているという

ちょっと時間になったのでまた今度。

2022/7/24つづき

158を書いた後なので
意識については158で書いた通りで良いと思われる。

無意識については、
現時点で分かっているのは、
何かブラックボックス的なものとして無意識が存在するのではなく、
意識されないまでも脳には到達していた刺激と、
脳内に記憶として存在する刺激であり、想起されないまでも記憶されている刺激として
存在するものが、無意識と呼ばれているのではないかと考えている。

要するに今意識されなかった全ての部分が無意識なのである。

長い短いに関わらず、刺激として認識されない刺激があったなら、
それはその間、無意識に存在する刺激の記憶として存在するものであり、
それら全てが無意識に存在する刺激の記憶なのである。

ただ1点、
一度も経験・記憶した事のない刺激は無意識には存在しない。
遺伝された機能としての記憶は除くが、
前世の記憶が残っているというような事は起こりえない。

時折異常な記憶力で一度見た対象をかなり正確に覚えられるという能力を持つ人もいるので
一度きりでも経験・記憶したならその刺激を後に持っていてても不思議はない。
しかし、脳細胞の成長や、神経ネットワークの構築において、
受けたことのない刺激を無から作り出すことはない。
刺激の経験となるシナプスの構成は刺激によってのみ行われるからである。

今日はこの辺で。


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