2021/8/31
達観と今の感覚
これまで脳や認識、意識について考えてきたが、
答えのようなものが出るたびに
人間の存在が複雑ではあるが、意外に単純なもので、
少しつまらなく感じるようになってきた。
謎は謎のままの方が楽しいのかもしれない。
とはいえ、自分の出した答えが必ずしも正解であるとは限らないので、
まだ謎が解けているのかはわからない。
しかし、人間の人生とその認識能力において、
その一生で認識できる対象と刺激にはどうしても限界がある。
評価は後世にまかせればよいということになる。
達観という考え方がある。
世の中の物事に対して多くの知識を持ち、
その変化に対して心を動かすことがなくなった様子である。
ああ、まあそういう点に関してはまだまだ変化を見たり
期待したい気持ちがあるので心配はないか。
社会の変化についてはつまらないという感覚はある。
自身の知識についてはまだまだ未来の期待の余地はある。
技術の変化についても期待はある。
人工知能については
まあこのまま考え続けたとして実現されるのは
10年以上はかかりそうな気がする。
あ、そうそう、本を読んでいて社会の構成の変化について書かれていたものは
少し面白いなと思った。
ネットの登場によって大きく変化した人間同士の関連、繋がりは、
ネットの上で構成される新しい繋がりによって変化している最中であるというものである。
攻殻機動隊のネット社会のように
並列化の果てに個を取り戻す好奇心というような思いが
果たしてこの現実のネット上にもあらわれるのかどうか。
その辺は少し期待とともに楽しみでもある。
人間同士の繋がりは、安心にもなり、しがらみにもなり、カセにもなる。
長く生きていくと本来の人間の寿命は確かに長くても50位なのだろうと思う。
体の維持や、脳の維持が実際、その辺りから衰えてくる速度が増しているように感じる。
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