2021/8/22
認識能力と自我の認識
精神は人間以外にも見て取れるが、
その精神は精神年齢という言葉で表されるように
段階や成長の度合いがある。
今回はこれについて考えてみる。
090でも書いているが、
自分という刺激について認識できるようになるのは
ある程度の成長を経た後となる。
自と他について知ることでようやくその差について気づき、
自分を知るという所に繋がっていくのだが、
それにもやはり、多くの他を知ることで、
自と違う他の中に自分という物が際立って刺激となり、
それを認識するに至るというわけである。
私が自分についての認識を改めたのが
10歳前後であったので、おおよそその位の年数が必要になると思われる。
それまでは、前のめりというか、
認識は次から次へと刺激がやってくるので、
それを認識するのをこなすだけで精一杯であった。
が、ようやくふと考える余裕が生まれ、
自分の存在について考えるようになるのがこの頃というわけである。
自分が認識できると、それに呼応するように他人が認識できるようになる。
まあ認識といっても人物の違いとかそういったものではなく、
他人の存在とか、気持ちとか、考えなど、
自分と異なる存在としての他人が認識できるようになるということである。
自と他が認識できると、多くの対象において
自分の価値観の影響が出てくる。
自分なりのものの見方や、賛否、嗜好などの価値観である。
まあそういった対象は、精神の成長とともに価値観としての
記憶の総量が増えるためとも言えるが、まあとにかく経験を積んで刺激・記憶を
増やすことで成長はしていくわけだ。
TOPに戻る