2021/8/3

言語で考える

何かについて考えるときに
頭の中でどうやって考えるかについて
考えた時に、どうも文字、言語を使って考えているようであった。
そこで、頭の中で文章を想起しないで考えようとしたら
何も考える事ができなかった。
これはどうも頭の中で文章を作りながら考えているようであった。

もし、生まれてから目が見えず、耳も聞こえずの状態であったら、
思考するに至るまでに何が必要か、ということも考えた時に
三重苦でしられるヘレンケラーについて思い当たった。

ヘレンケラーは何をきっかけにして思考する力を手に入れたのか、
まあもう存命の方ではないので確かめようはないが、
このあたりの事について考えれば、思考に何を使っているかが
わかりそうである。
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ネットにヘレンケラーの言葉としてこういうものがあった。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

まあ今まで考えていたこととよく似ている。
思考の前までは考えていないようなので、
それを知ることはできないが、
思考以降の内容についてはかなり納得できることが多い。

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知能の機能として持っているものは
感覚による刺激の知覚と、記憶と想起だけである。
要するにその知覚と記憶と想起だけで知能の活動の全てが行われているということになる。
だから、思考とか想像とか、創造、判断、無意識、意識、
そういう知能の活動としてそれぞれが各個に存在するように考えられているが、
根本にあるものは、知覚と記憶と想起だけであり、
この機能の各活動の組み合わせで全て成り立っているということに気づいた。

例えば、無意識と呼んでいるものも、
要は意識して何かを行う部分以外のものであるので、
意識が刺激の認識であるなら、要は無意識は記憶と想起の一部だけで
成り立っているというだけである。

できるだけシンプルに考えればそういう考えに至る。
逆にあまり複雑に考えない方が答えに近づくような気もする。

どうしても思考は複雑な物であるという先入観があるので、
難しく考える傾向がある。


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