2021/7/13
次に認識する刺激
刺激は受けてから認識するまでの間に少しのタイムラグが生じる。
では、その次に認識する刺激はどのようにして決まるのか。
意識的に次の刺激を決めているのか、外的要因によって決まるのか、
これが分かると、思考の仕組みも分かることになる。
これについて考えてみる。
刺激は、その認識までの間に、
感覚器官から神経を通り、脳に到達し、脳の各野で刺激の信号として受け取り、
脳でその信号に関係する部分が励起され、刺激としての情報がまとまり、
それは想起するのと同じ仕組みで次の瞬間の認識される刺激として
その時に最も強かった刺激が認識される。
これを繰り返して意識という感覚になるのだが、
では、ある瞬間に認識した刺激の次の瞬間に認識される刺激に
選択性が存在するのか考えてみた。
刺激の認識までの考える基となる材料としては、
生体の内部または外部からの感覚器官への刺激、
脳とその活動、脳の中にあるのは記憶としての刺激。
手持ちの材料としてはこれだけである。
ここから次の瞬間に認識される刺激を選ぶか選ばれるかしていることになる。
例えば、そう、この「例えば、」と書いて認識することは、
その前の文章を書き終わった時点で次に認識することとして頭に思い浮かんだ。
「~選ばれるかしていることになる。」を入力し、改行し、
次は何か例になる物事を書いて考える参考にしようと思い浮かんだ。
この文章を書き始める前に昨日くらいからこの次に認識する刺激については考えていたので、
何か事を起こした次の瞬間にその直前の行動について考える事は2回くらい行っていた。
それで、今回「例えば、」と入力した瞬間に何を考えていたかとか、
その時の状況について考えてみたわけだ。
で、実際はどうだったかというと、「例えば、」を入力する寸前には、
もう「例えば、」を書いてその後の例について考えている様子だった。
私の文章の書き方としても例えばの例は結構な数になり、
多用される書き方である。
次の瞬間に認識される刺激として、何か考える際に、
これまでに行ってきた次に考える事の誘導として、
過去の同じような経験からまた繰り返しているような気もした。
つまり、傾向として、こういう書き方をしているのは、
過去にも同じような書き方や表現をしていて、記憶に残っており、
同じような状況では同じように書く、つまり、次に考える事には傾向があり、
同一人物であれば、似たような考え方、書き方をするということである。
この考え方は1つの案として考えている。
つまり、手持ちの過去の記憶や経験から、今の状況、今の認識した刺激によって
次の認識されるべき刺激に傾向が決まるということである。
だから、今までの積み重ねの上に次の認識されようとする刺激が決まるということである。
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考える材料は同じだが、
もう1つ考えたのは脳にそういう次に考える、次に認識しようとする刺激を決める仕組みのような
そういうモードがあるのではないかということも考えた。
覚醒状態になるが、その状態においては、常に次に認識しようとする刺激をあらかじめ
決めようとする状態があり、それによって次に認識されようとする刺激が決まるというものである。
人間の知能においては、何か考えようとすることも認識されている。
今、これを書いているのも、頭の中で文章を組み立てて、それを刺激として認識し、
最終的にはキーボードで文字を入力しているのである。
この思考してその結果を文章として認識し、改めて入力するというのも、
その一定の目的に成り立つ手順のようなものを実行するわけだが、
この手順の実行時にある決まった状態・モードのようなものに入っているのではないかと考えたわけだ。
その状態にある間は、他の刺激の認識は抑えられて、
脳が、「今は思考している状態である」というような状態になる。
この時に記憶の中から様々な記憶の要素を励起して次に認識されるべき刺激が現れてくるという
仕組みである。
この状態になると、今手持ちの記憶の要素の中から、次に認識される刺激が現れることになる。
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もう1つは先に言っていた傾向である。
これまでの記憶の状態から次に認識されようとするべき刺激は
傾向で決まるという事である。
知能的には考えてからそれを認識しているように感じるのだが、
この傾向の場合は、手持ちのカードが内外からの刺激か手持ちの記憶しかないので、
そこから次の予測を行おうとした場合、内外からの刺激を待っていたのでは次の刺激の認識に
間に合わないのである。
であれば、手持ちの記憶として持っている刺激から次の刺激を用意しなくてはならなくなる。
内外からの刺激は用意することに関係なく受けることになるのだが、
脳内にある記憶としてもっている刺激は用意してから、つまり予備的に励起してからでないと
認識できない。つまり、この予備的な励起が思考や予測として
次に認識される刺激として感じられるものでないかということだ。
そして本題のそのきっかけは何であろうかという話になる。
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内外からの刺激は実際に受ける刺激としては先に準備するというわけにはいかないが、
記憶として持っている刺激を次に期待される刺激として予測して用意することはできる。
例えば、たき火を見て近づいて行った時に、ああ暖かいだろうなと思って暖かさを予測することはできる。
これは記憶にたき火の暖かさを記憶として持っているからであり、
その状態、状況において、次に感じられる刺激の感覚としての温かみを予測したことになる。
何かを脳内で考えるときや、思い出すとき、会話についても会話の内容については
一度脳内でその状態や刺激を準備してから認識することになる。
とすれば、やはり手持ちの中で使われるのは、脳内の記憶で間違いはないだろう。
そして、最重要になるその選択のきっかけだが、これが難しい。
次に認識しようとしている刺激は脳内にある記憶の刺激である。
これは確かなようである。
では、その脳内の刺激の特定の刺激を励起するきっかけは何になるのか。
記憶自体は刺激の関連のまとまりであるので、ある刺激が認識された場合には
その刺激と関連する刺激も励起されることになる。
一連の励起された刺激は時間経過の減衰の中でもある程度励起された状態は残ることになる。
そして、その中で組み合わせた刺激がある一定の強さであった場合にその刺激の関連を含めた
記憶が次に認識されるのであろうか。
ただ、思い出そうとした時に、外部からの刺激の知覚が弱められるという感覚がある。
例えば、何か考えていた時に視覚だったり聴覚だったり、五感に関する刺激が弱く
認識に至らないように感じるのである。つまり、脳内で思考や想起を優先するために、
現在の内外から与えられる刺激を認識に至らないように制限しているように感じるのである。
それとも、思考や想起をしているという感覚が内外からの刺激よりも強い刺激となっているだけ
とも考えられるが、とにかく頭で考えているときは、内外の刺激は弱い扱いとなっているらしい。
考えようとしているから内外の知覚の刺激は相対的に小さい励起扱いになっているだけか。
ならば考えようとしている状態は、記憶にある刺激を盛んに励起している状態であるというわけだ。
まあ確かに次から次へと認識に至らないまでも色々な考え方や記憶が呼び覚まされているような
感覚はある。認識に至った刺激の記憶はその考えているという状態ではその記憶の中では
最もふさわしい記憶なのだろう。思考の課題の正しい答えであるかはわからないが、
考えようとしているときはその答えに向かって色々と記憶を想起しているようである。
最近深く考えていると前頭葉のあたりが暖かくなっているようである。
おでこと髪の毛の境目あたりから少し上の方の中心である。
この辺に思考する要因の脳があるのだろうな。
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次に認識される刺激は脳の外的要因である体内体外の刺激については
突発的にと言える仕組みで認識されているようである。
実際には五感で感じる刺激は、ある程度の行動の結果に得られるものであるが、
脳の活動としては、脳の外から受け入れた刺激であり、
実際に脳へ与えられてからその刺激の情報は解析されて認識されることになる。
机に肘をついてその肘が机についた感覚を感じるのは予想もできるが、
実際に机に肘をついた感覚はその肘を机についた瞬間のものである。
ちょっと想像した感覚とは異なる。
では、体内体外の刺激でない、それ以外の刺激についてはどうか。
この脳内の記憶の刺激を想起してそれを認識する場合、
体内体外の刺激は認識するわけにはいかない。
もし体内体外の刺激を認識した場合、逆に脳内の刺激は認識できなくなる。
だから、思考したり想起したりして認識される刺激は、
必ずその体内体外から受けた刺激より強い刺激となる。
これは、思考するという仕組みを単純に考えたとして
その認識の仕組みから考えられる事である。
体内体外の刺激をまあ考える必要のないものとして考え、
脳内の記憶にある刺激のみで考える事にする。
ああ体内体外から感覚器官を使って刺激が脳へ与えられるという仕組みを考えると、
脳内で脳内の独自の機能で記憶を励起するという刺激を与えるか、
脳内でない感覚器官でないどこからか脳へ刺激を送る必要があることになる。
つまり、脳が独立した機関として、刺激の記憶と想起を司るだけと考えると、
刺激を発するという機能が別に必要となるということである。
体内体外から脳へ与えられる信号は感覚器官と神経で送れる。
他の経路を使って脳へ信号を送ろうとした場合は、
感覚器官以外から脳へ信号を送るか、脳内で独自に信号を送る必要がでてくる。
これか、これが次に認識する刺激を決める要因ということだろう。
体内体外から送られる刺激についてはシンプルにそれに対応する形の刺激が
励起されて認識される。
それによって励起された場合、次に認識する刺激についてもその元の刺激に関連した
刺激となる。
これは、前にも目的や行動として記憶し、その目的を達成して
周囲からの変化に対応・適応するということに合致する。
で、今回の想像したり、思考したりして認識される記憶の刺激のきっかけは
その感覚器官でないところから受ける刺激ということになる。
で、これはなんだ。
どこから来ている刺激なんだろう。
記憶の刺激を励起しているきっかけはなんだ。
今日はこの辺で。
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