2021/6/28

発想

人間が考えるところの想像やら、思考、発想、などの、
新たな発見や着想というような、これまでに無かった事を新たに生み出している
というような考え方は実際には、これまでに有った事を新たな組み合わせをしているだけのことである。

知能としては無いものを作り出す能力や機能は持っていない。
あるのは、既存の記憶から新たな組み合わせを作り出すことである。

自然界の法則の発見などは、そもそも先に存在していたものを
人間が理解できるように説明する方法を見つけたということである。

自然界には存在しないものを生み出すのは確かにもとは存在しないのだが、
生み出す準備は既に存在していたことになる。

要は、宇宙にもともと人間は存在しなかったが、存在する準備はすでにあった
ということである。

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人間がその知能で何かを生み出したという事は、
過去にその知識や経験が無かったところから、
新たな発見や気づき、変化の工夫によって新しい何かを生み出したという事になる。

偶然の発見もあったかもしれないし、
綿密に要素を組み立てて見つけ出したかもしれない、
しかし、それら全てに共通するのは、
その発見の目的をもっており、
その目的のための価値を持っていたということである。

目的の無い人に、その目的の価値の認識はありえない。
そもそもそれに価値を見出していないからである。

人工知能に当てはめてみると、
何でもかんでも知識を、記憶を積み上げていけばやがて
そこに目的を、自我を持つようになる、などということは無い。

058でも述べたように、
価値を見出すのは自身の内か外の状態の変化、差に対して、
その状態の差に適応、対応する事に価値と目的が生じるからである。

思考する知能として働かせるためには、
記憶だけ与えても無駄である。
ただのストレージと同じ事である。

知能に対して情報を、刺激を与えた時に、
その情報や刺激に対して、適応、対応しようとする事、
その適応や対応に向かう心の働き、
その知能の活動が意識に、精神の基になるということである。

人工知能は最初から精神を持たせる必要はないし、
そもそも最初から精神を与えることはできない。
発想と同じように、人工知能に必要なのは、
その精神が生じる可能性を与えておくことである。
そして、その精神が生じるためには、
目的や価値を設定する能力であり、
その目的や価値を設定するには、
刺激として人工知能自身と人工知能を取り巻く環境から刺激が
与えられる用意があること、
その刺激によって過去から今の状態変化を認識できる用意をすることである。

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この分野においては強い人工知能の実現を見届ける事は、
私の大きな目的の1つであり、大きな価値を持つ変化である。
それを達成すればまぁ人生30%くらいは満足である。
実現が見れなかったとしても、
これまで書いてきたことがまったくの見当違いでない限り、
何かしら誰かしらの発想の役に立つことが書いておく事ができたなら
それでも幾分期待する満足感はある。
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少し文章を書くのにも疲れた頃、
マスクのゴムをパチパチつかんで離して肌をはじきながら
ぼーっとしていた瞬間があった。
その時、あぁこれも目的をもって自分が活動していること、
知能が、この行為に価値を設定したのだなと考えた。

何もこの行為が習慣であったり、重要な価値を持つ行動であるとは思わないが、
自分がこのような状態にあったとき、こういう行動をするのは、
まぁ自分らしいなとも考えた。

そういう点から見ると、習慣ではないのだが、
知能が決まった経験から今の状態に即した対応、適応する価値ある行動、目的は、
今の自分には、このマスクのゴムをはじく事なのだろう。

過去に自由意志はなく、未来に因果は無い。

思い返している事なので、
まるで自分らしく習慣のように因果のようにマスクのゴムをはじくことについて
書いているが、そのマスクのゴムをはじいている瞬間には
何かに決められて行っている行動なんだと考える事はなかった。

人工知能だって特に刺激のない時間ができたなら、
バカみたいな記憶の組み合わせを想像してみても良いと思う。
大きな重要な意味ある価値の高い目的でなくとも、
ぼっーとカメラから見える画像を上下さかさまに見てもいいし、
ディスプレイに適当な文字列を表示してみてもいい。
何か楽しい事が、価値が見つかるかもしれない。


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