2021/6/27

目的の価値が決まるきっかけ

目的には価値ある。
価値を得るために生命は目的を達成しようとする。
生命はこの価値の為に生きていると言っても良い。

では、この目的が生じる事、
つまり、目的としての価値が生じる事、
そのきっかけは何なのだろうか改めて考えてみる。

これまで、目的が生じる理由は、
自分の体の内から生じる刺激と、
周囲の環境から自分について与えられる刺激に対する
対応する事であり、適応する事であると考えてきた。

その対応や適応をする事こそが、目的である。

そして、目的には必ず価値が含まれているとも言ってきた。

それは、知能が何かを決める方法、
比較や判断に用いる基準は全て価値であるからである。

価値は自分にとってプラスであるか、マイナスであるかの指標であり、
根本的には生命の存続のために益か損かというだけの事である。

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例えば夜9時頃に体が疲れてきたとしよう。
今寝れば体は休めそうである。
しかし、それに必要な時間は8時間であるとしよう。
かたや、今日は宿題がやり残しているとしよう。
これには現在の体の状態から2時間かかるとしよう。
すぐ寝れば体は十分に休めそうであるが、宿題は残すことになる。
すぐ宿題をやれば宿題は終わりそうであるが、睡眠時間が減りそうである。

この時点で、優先度の高い課題は2つ、
寝る事。 :8時間 :プラスの価値:体の休息
:マイナスの価値:宿題を残す不安(宿題をしなかった事の低評価)

宿題をする事。 :2時間 :プラスの価値:宿題の完遂
:マイナスの価値:睡眠時間の減少

この時、自分はこの状態に適応するために
いくつかの思考をすることになる。
この思考は仮の目的によってプラスの価値とマイナスの価値にどのような増減があるかを
思考する事である。

適応案:すぐ寝て宿題は後回し。
適応案:すぐ宿題をして寝るのは後の残り時間。
適応案:少し寝て明日の出発前に宿題を済ませる。
適応案:少し宿題をして寝て、できなかった分の下がる評価を受け入れる。
などなど、

この思考でまず先に用いられるのは、過去の経験である。
以前に同じような状況があった場合、それぞれの適応案を経験していた場合に
どの適応の結果が最も良いものであったか、
その結果をそれぞれ想起することでその結果の刺激が思い出され、
その刺激の価値が良いものであったか、悪いものであったかの比較がされる。
それにより今回もその中で一番価値の高い刺激であった経験、記憶である行動が選択される。

もし、過去に同じような経験が無かった場合は、
似たような記憶を思い出そうとするか、その瞬間においてそれらの適応案についての
価値を計算してどれが最も価値の高いものであるか比較することになる。

結果的には、過去に経験が無い場合、今ある記憶の中で、似ても似ていないくとも、
自分にとっての価値を優先することになる。
つまりは、幼い頃に経験の浅い内であれば、自分の体を休める事を優先する。
それがその時点で最も価値が高いからである。
何かの課題をしないことで、その後に受けるマイナスの価値の記憶がないためで、
であれば、優先して比較されるのは、自分についての価値である。

寝る事はマイナスの価値である宿題を残す不安は知らないので分からない、
であれば、体の休息のプラスの価値が大きい。
宿題をする事はプラスの価値の宿題の完遂は何となくプラスになりそうな気はしても記憶にない、
マイナスの価値ははっきりと睡眠時間が減りそうで体の休息には足りない。
であれば、最終的に比較すれば目的は寝る事に決まるだろう。

嘘をつく人間がまた嘘をつくのは嘘によって経験したプラスの価値とマイナスの価値が
結果としてプラスだったからである。
良い事をするにしても、悪い事をするにしても、それぞれプラスの価値とマイナスの価値が存在し、
その比較によって目的は決まり、またその目的が達成された時の経験は記憶され、
また次の目的の決定の時にその記憶が利用されることになる。

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目的の価値は、
まず経験の有無によって優先される価値が変わる。

経験が無い場合は、現在の自分にとっての価値が優先される。

経験がある場合は、過去の目的の決定と実行の結果の価値が最も大きく参考にされ、
現状の状態によってその価値が変更される。

以前に書いた
習慣によって目的が決まりやすいというのは
この習慣=経験の積み重ねだからである。

よく~する人はまた~する。
というわけである。

考え方を変えるというのは、その人の経験の価値を変えるということでもある。
これまで多くの比較の後に目的を決めてきた経験の中で、
その人がその目的とその結果についてプラスの価値であると決めたなら、
それはプラスの価値なのである。
それは、あくまで主観的であり、客観的に見たらまったくのマイナスの価値であるかもしれないが、
その人がプラスの価値と決め続けたなら、確固たるプラスの価値なのである。
年をとって頑固になりやすいのはそういうことである。

よほどの経験によってプラスとマイナスの価値が逆転するような経験でもしない限り
習慣によって決めてきた目的と価値は変わらないのである。

幼かったり、学生の時代に様々な目的の実行とその結果の経験をすることで
これらの習慣は出来上がっていくが、
この習慣を作り上げる途中であればまだ容易にプラスとマイナスの価値は変化しうる。
もともとその時代は多くを知り、学ぶ時期にあることを自分は自覚がなくとも、
周囲の環境が学ぶ環境であるために環境による影響で変化することが受け入れられる。

ただし、年をとっても容易に価値を変えることが出来る人もいる。
何かを学ぶ事を趣味としていたり、変化を受け入れる事を苦に思わない価値を持っている人である。
これも習慣であるのだが、比較的客観的な物の見方を常に行う人ほどそれは容易である。

主観的な物の見方は、周囲の環境による影響を受けない一方、
その周囲の環境による影響の変化に対応できないということでもある。
また、過去の経験にこだわり、新しい事を受け入れられない。

主観的な物の見方が客観的に良い悪いという事もないが、
客観的な物の見方をする人間にとっては頑固であったり、相容れない存在に見える事だろう。

逆に主観的な物の見方をする人間にとっては、
客観的な物の見方をする人間は、自分にとって理解できない、捉えようのない人間として見える事だろう。

話がそれたが、
簡単にまとめると、
目的の価値が決まるきっかけは過去の経験や習慣ということになるだろう。
過去の経験や記憶として覚えている価値を参考にしているというわけである。

今日はこの辺で。


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