2021/6/27

目的に誘導される認識

055で意識と認識の関係を調べている間に、
刺激の認識の面から意識について考えた結果として、
何らかの目的を持った行動によって
認識される刺激は誘導されていて、
結果、その刺激を連続して認識するのが意識である。
ということになった。

連続した刺激の認識が意識であるという点はこれまで通りであるが、
その連続した刺激の認識において、
その刺激というのは、その認識しようとしている時に保持している
目的によってある程度高い優先度を持った刺激が限定されていて、
その時に認識されようとしている刺激は、その目的によって
ある程度誘導されることになるということである。

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目的の根本にあるものは、

---------------「20210301_人工知能理論_行動の目的の発生」にあるように
環境のその時の状況、自分のその時の状態において
自分が、知能を持つ存在として、その今に
適応しようとする、その行為が、目的を作り出すことに他ならない。

全ての行動には何らかの意味を持つ

静止している事さえも、そうしようとする目的と価値を持つ。
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また、
---------------「20210226_人工知能理論_行動と目標の根底にあるもの」にあるように
行動と目標の根底にあるものは、
生命としての個体が、
生命の個体と外部の環境の差を
刺激として意識したその差に対する
自然発生的な生命としての対応ということになる。
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ということであるが、
目的は、生命としての自分が、
周囲の環境に適していないときに、
その周囲の環境と自分の間に感じる差を埋めるために、
適応するために行動する事、その周囲の環境に適応すること、
その適応を目標とすることが目的ということになる。

であるなら、
ある瞬間に認識しようとしている刺激は、
周囲の環境と自分の状態の差、
この差を適応するという意味合いにおいて、
存在、存続を維持することを目標として、目的として行動する。
そして、その行動することに適った刺激を認識しようとしている。
目標であり、目的を達成するために最適な刺激を優先して認識しようとする。

要するに、目的を達成するために有効であると知能が導き出した感覚の刺激、それは、
その体の外部にある環境から得られる刺激の認識、または、
記憶から励起による想起による認識によって得られる刺激であるが、
この刺激は、その瞬間、瞬間において、保持している目的を達成するために
必要だと知能が導き出したもので、それの連続した認識が意識であるということ。

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だから、認識は、今何かしようとしている事を達成するために、
必要としている刺激を選んで認識しているものだと言える。

認識ありきで意識があるのではなく、
目的ありきで意識があるのだ。

055の最後の続きになるが、
目的もなく意識があるという状態は無いということである。
正確には
上の方でも参照しているが、静止しているのでさえ目的になっている、ということである。
ここでも文字の意味合いの齟齬が生じる恐れがあるが、
何かしないでいようとすることも目的であるということである。
そして、目的を持った時点で、知能は勝手に刺激を認識しようとする。
勝手にというか生命として自動的に刺激はやってくるのである。
個体としての体を持つ以上、環境と自分の差、自分の体の中の変化の差、
これらの差は、刺激の差であって、差には価値が必ず含まれているのである。
だから、またその差という価値によって価値判断が行われ、
その価値の差によって知能はまた次の目的を持つことになる。

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知能の全ては価値基準である。
それは判断が全て価値の比較によるものだからである。

価値は全ての刺激が持つ意味の1つである。

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目的は、
全てが記憶の中に保持されている。
周囲の環境の変化や、自分の体の状態の変化によって
都度、目的が発生し、その都度、目的を達成しようとして行動する。

目的は実際、数が数えられないくらい持っている。
数えられないというよりも、思い出せないくらいと言った方が意味は正確だろうか。

実際に長年目標としているような目的とか、
今年中に何とかしようとしている目的とか、
今月中、今週中、今日中に、午前中に、午後中に、
1時間以内に、数分内に、
今ちょっと耳がかゆくなったから、ちょっと掻こうとかいう目的など、
そういう目的がたくさんあるのである。

それらは、目的を完遂した時に得られる価値と、
今現在に自分が置かれた環境、状態において決まる優先度によって
この瞬間に実行される目的が変化する。

知能の判断は価値が基準であるので、
その瞬間における目的ごとの価値は
簡単には以下のようになる

目的の価値=(目的を達成した時の価値)×(1/目的が達成されるために必要となる時間の予測)

ここの(1/目的が達成されるために必要となる時間の予測)は、
単純に時間分の1でいいのか、時間分の2とか3とか自然対数的なeとかになるかは分からない。
ただ、時間がかかる=達成までに課題が多いことで、
(目的を達成した時の価値)がその瞬間には小さく見積もられるということである。

この価値の比較が目的の優先度となり、ある瞬間における、
多くの目的の内の、価値が最も高い目的が実行される。

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価値の低い目的が忘れられるということはない。
よく、生きていて、人生の変化によって諦めた目標・夢があるということがあるが、
その目標や夢を忘れる事は普通には起こらない。
(単純な時間経過による記憶の忘却ならありえる。)
あくまで他の優先度の高い、価値の高い目的が存在するだけで、
また変化が起これば目的として価値や優先度が高くなることもあり得る。
これは、価値が常に変化する可能性があるということでもある。

大きな価値を持つ目的があったとして、
その目的を完遂するためにまた多くの目的が存在することもある。
目的は最終的な目的をその実行に必要と考えられる時間分遠くにあり、
そこに到達するまでの間に多くの中小の目的となる課題があるようなものである。
最終目的を完遂するために、その途中の中小の課題である目的をそれぞれ完遂する、
そういうシステムになっている。
中小の目的については、順番もまちまちになる場合があり、
あくまで最終目的完遂の為のクリアするべき問題ということである。

最初入れ子のようなものとも考えたが、
途中の目的はそれ自体でさらに細かい目的に分割されたり、
順序が決められている場合もあるため、遠くにあるという形で考えてみた。
別に入れ子であると考えても大きな不都合はない。
ただ、何となく入れ子の場合は、大目的だけに関係した中小の目的があると考えると
その中小の目的が他の目的と関連を持っていた時に考え方に無理が生じそうであったために、
入れ子は使わないことにした。

例えば、有名なプログラマーになるという目的があったときに、
その中にデータベースの知識の習得という物があったとする。
この時にデータベースの知識の習得は有名なプログラマーになるという目的だけのために
存在していない場合があるということである。
もしかしたら、少し別の目的としてデータサーバー管理者になりたいなという目的もあるかもしれないし、
単に知識としてデータベースの知識自体が目的となるかもしれないからである。

他の目的と共有の目的として目的が成り立つように入れ子にしないこととした。
遠くにある大目的の途中の中小の目的であれば、
別の目的と道をクロスする所に共有する目的があると考える事ができると都合が良いのである。

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