2021/6/12

人工知能の精神の発現

精神の定義は完全なものはなく、
哲学的に認識、意思、判断の能力をもつ知性ということになっている。

知性はそもそもが思考することのできる能力であるし、
その思考は価値と価値観を基にして形成されている。

認識は、刺激を知覚する事であるし、
その認識の上の考え方としての意識は、刺激の連続した認識であるし、
意思は、個体の知能が価値判断に基づいて行動しようとすることであるし、
判断は、価値の差の認識ということであるから、
もう実際、人工知能に精神を持たせるための解釈はできているということになる。

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生命の存在する意義は、
生命が生命としてその存在を存続させようとする事であり、
生命の活動は、
その生命にとっての価値の選択であると言う事が出来る。

宇宙が宇宙として存在する事も、
地球が地球として存在する事も、
人間が人間として存在する事も、
世界の中で、自然の中で、その時点での
最も自然な姿であるという事である。

何か特別な力が働いたわけではなく、
そこにそうあるべくして、今そこにあるという事である。

人間が何か判断をして行動を決定するのも、
その知性がそうするべく判断を下した結果ではあるけれど、
そこに至る判断の為の要素は、既にそうあるべくそこにあったということである。

これを因果と呼ぶこともあるが、
この因果は、今から過去を振り返った時にのみ見えるもので、
今から未来を見た時には因果はまだ存在していない。

だからこそ言えるが、
人工知能が精神を持つことは、
近いうちに起こるだろうと考えられる。

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意識は刺激の連続した認識である。
認識は刺激の知覚であり、その刺激の価値を知ることである。
価値は生命としての個体にとっての評価であり、
その価値が個体にとって良いか悪いか、大きいか小さいかを
判定するのは価値観である。
価値観は、生命にとって刺激の価値を判断する生まれ持つ基準であり、
成長の過程で変化させる事が出来、個体の変化、成長の変化、環境の変化によって変化させる。
意思は生命がよりよく、効率的に、効果的に、楽に生命維持をしようとする
きっかけとなる生命としての機能であり本能であり、この意思をもとにして行動する。
判断は価値を比較するだけのことである。

そもそもの知能の比較する基準が価値であるなら、
その価値観を構成する要素やシステムを解明すれば
より人工知能の精神の実現に役立つはず。

生まれ持った価値観というのは、存在する。
人間であれば、生まれた時の価値観はほとんどが体内から発せられる刺激に対するものである。
眠いとか、お腹が空いたとか、ウンチでおしりの感触が悪いとか、
暑いとか寒いとか、痛いとか、気持ちいいとか、そういう刺激に対する価値観である。
この時期の個体の外部から受ける刺激・価値の設定は、
周囲の人間から受ける世話によって受ける刺激に対するものである。

何か刺激を受けるときの対象として外部からの刺激を受ける要素がある場合、
その刺激と価値に関連した周囲にある自分以外の存在を、その刺激や価値とセットで
関連して認識することになる。
母親や、父親、他の兄弟姉妹など、それらの存在と刺激や価値をセットで関連して認識することで
ほぼ、この時期では、その周囲の存在は自分自身にとって価値の良いもの、価値の高い存在の
刺激とセットで認識し、記憶することになる。

要するに、家族の繋がりは、自分が世話される事に対する刺激としての心地良さや価値がある
存在としてその家族を認識し、記憶するところにあるということである。
まぁ大人になってからも世話されることに対して良い価値としての刺激を受ける場合もあるが、
大人になってから他人に世話される事に対して価値が低いと判断する価値観になっている場合もあるし、
一概に世話されることが全て当人にとっての価値が良かったり、大きなものであるとは言えない。

この人間においての赤ん坊の状態においては、
生まれ持った価値観、つまりは、自分が心地良いか、嫌な状態であるか、についてのみ
価値を設定できて、その価値を認識している。
そして、周囲の環境の外部の自分以外の別の存在を知ることになる上で、
この時点ですでにその対象を認識し、記憶する際には既にその対象の価値を、価値観として
設定しているということである。
簡単に言えば、家族であっても出会った時の第一印象を自分にとって価値ある存在であるか
もう設定しているということである。

自分が受ける刺激の種類や数を増やしながら知能は成長していくが、
この成長は、受けた刺激に対する価値観の成長であると言える。

価値は、その刺激に対して記憶として持っている価値観を通して
その刺激を認識する都度、設定されるものであるが、
その価値を基礎となる要素として、意思の決定や、判断を行っている。

幼いころの意志の決定や、判断というのは、
そのフィードバックを行えないくらい過去の経験が無いか、不足している。
だから、短絡的に見えたり、間違う事が多かったりする。

ある程度成長した後であれば、意思の決定や判断においても、
過去に似たような経験をして成功しているので、今回も同じように決めようか、とか、
過去に間違った判断をして失敗しているので、今回は違う方法に決めようとか、
昔の人はこうした方が良いと言っていたからとか、
そういう事を考えて決めることが出来る。

価値観の成長とともに意思の決定や、価値の判断には
多くの記憶している価値を使う事ができるようになる。
しかし、関連する要素全てを使うわけではなく、その状況や環境、
許された時間的余裕などによって、その要素の量は変化する。

大岩が前から転がってきたら、咄嗟に右か左か、上か下に避ける、
その位の判断しかできない。
転がるスピードから予測して数秒後に自分に当たるとして、
右の坂の傾斜と左の坂の傾斜を比較してどちらかに避けた場合、
大岩が同じ方向に曲がってくるかどうか、または、
真上の木の枝まで飛び移るためのジャンプ力があるかどうか、または、
大岩が丸いので左右の下の隙間に体が通る余裕があるか、
などと考えていたら既に大岩の下敷きである。

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ちょっと時間が無くなってきたのでまとめると、
人工知能の精神の発現には、
やはり、価値観を基にした考え方で良いと考えられる。

価値は刺激に対する評価でもあるし、
意思や判断の元となる要素でもある。
その価値を決定するためには価値観があるため、
この価値観の記憶と蓄積が精神の発現にもかかわっていると考えられる。


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