2021/6/8

関連する価値

シナプスによる記憶の要素としての刺激は、
記憶する際には記憶の集団としてその要素は関連して記憶される。

記憶する要素として刺激そのものには必ず重要度である価値が設定される。
価値という表現をしているが、実際はその生命がその刺激を記憶するにあたっての
重要度という意味における価値であり、そもそも価値の低い刺激であれば
記憶の対象にはならない。

記憶の際の刺激としての要素は単独で刺激が記憶されるわけではなく、
必ず何かしらの関連した複数の記憶の要素、もしくは記憶する際に想起された
既に記憶してある複数の刺激の関連として記憶される。

単独で刺激を記憶してもあまり意味をなさないからである。

刺激は基本的に五感に関する刺激である。

考え方などの記憶も、一見五感とは関係なさそうであるが、
その要素を分解していくと必ず五感に関する要素に分解できる。

例えば「まとめる」とか「分割する」とか「反転する」とか、
何かをまとめようとした場合、
そこで想起されるのは対象をまとめた仮定の姿である。
それは、視覚的にまとめた姿であったり、
目が見えない状態なら感触であったり、
味覚であれば味であったりというものであるが、
そもそも、それらの姿や形や味というのは、
その記憶の要素としてもう一段記憶の要素として分解すると、
その構成物の要素として五感で表した記憶となる。

例えば本をまとめる対象として考えた場合も、
一見、本はそれ以上分割できない要素としての記憶のようであるが、
実際は、その本という要素に本の内容を含めた関連した記憶としての本であり、
別の本と区別ができるのは、それぞれの本を記憶しているわけではなく、
本の記憶の情報とは別の関連した本の内容を含む要素を別にして記憶しているためである。

というわけで、記憶はそれぞれ要素の組み合わせや関連によって記憶されているのであり、
各要素は別の記憶と関連したり、組み合わされたりして記憶されるものとなっている。

で、記憶の要素の重要度としての価値は、この記憶の刺激の要素の意味合いとしてであり、
また、その記憶の強さに関係した意味合いとしての価値のことである。
そして、その記憶は要素の関連でもって記憶されているというわけであるから、
この記憶の要素に付随する価値の意味も記憶の強さとして、また
この生命にとっての重要度、プラスの強さやマイナスの強さとしての刺激の意味として
価値の記憶がなされる。


TOPに戻る