2021/6/1

共感

空気を読むという言葉があるが、
これは他人が感じているであろう感覚を
自分がその対象であると想像し、
その対象が感じているであろう感覚を構築し、
想起している様子の事を言う。

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私はそのような感覚を多く持つ事がある。
ああ、この人は今、こういうような気持ちなんだろうなとか、
こう言ったのはこう思っているからなんだろうなとか、
この会話の間にはこういう意味があるんだろうなとか、
常にそういう事を考えている。

実際は、考えているというよりも他人の感情を
自分で想像して想起しているということになる。

その想起した内容が完全に合っているというわけではないが、
そのような想起を続けて繰り返し、確認することで
正確にはなっていると感じることはある。

想像は過去の経験から作られる。

ということは何度も言っているが、
この共感についても想像した想起する刺激の認識であるなら
同じことがいえるはずである。

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小学校の頃に道徳の授業の時間などで
この人はどう思っているだろう、どう感じているだろう、
という感情の想像をする内容があった。
いじめであったり、差別であったり、
その頃はほかの子たちとそれほど違いはなかったように思う。

一般的な考え方をして、一般的な道徳的な答えをしていたはずである。
今思い返してみて、どの辺りで相手の考えに共感して想像して想起するようになったか、
何となくだが、学生~就職の間の頃の、
自分について考える事が多くなった頃だったように思う。
いや、その付近での人工知能について考えるようになってからだと今は思う。

このころは、心理学を勉強し、自分なりにも自分を使って
心理について勉強した。
そして、ゲームを作る際に使う人工知能についても考えるようになった。
人工知能は強い人工知能を目指していたので、
より人間の知能について分析するようになっていた。

客観的な知能の分析は人工知能の構築の役にたつはずである。
また、この場合、自分自身の知能が、客観的な対象の見方が多様化することにもなる。
すると、共感能力が高まるということになるだろう。


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