2021/5/31

喪失感と焦燥感

喪失感とは何かが失われた時の心にぽっかりと穴があいたような感覚。
焦燥感は現状の不安な状態をはやく何とかしないとと焦っている感覚。

喪失感はこの今後の将来に、これまで継続して新しい経験が出来ていたことが
なくなってしまう事について喪失感を感じるのだと思われる。
つまり、将来に期待される新しい経験、新しい刺激を受けることが出来なくなることを
理解した時に、わくわく感が今後になくなってしまうという感覚だろう。

ネットにも同様のケースとして感想などが上がっていたが、
解消方法としては時間経過や、新たな興味を探すなどが主な対処方法だった。
普通に考えれば、新たな興味を探すのがもっとも最適であると考えられる。

---------------
2021/6/1 つづき

喪失感といってもまったくの全てを失うわけでなく
その後の新しい経験がなくなってしまった、寂しいという感じがするということになる。

私の過去の例で言うと、体の感覚からすると、お腹、胃の少し上のみぞおちの周辺がもやもやするような、
不安な感覚を覚えるという感覚であり。
何かがぽっかり失われたというよりも
そのみぞおちに不安な気持ちが球のようにたまっている感じである。

現実的にはみぞおちのもやもや以外には体の不調があるわけでもなく、
普通の生活は送れていた。
ただ、ふとその事を考えると、そう、取り残されたような感覚が正しいらしい、
そういう感覚になる。
先導として一緒に歩いていた存在が急にいなくなり、
どこへ行ったらよいか迷っている感じが正確に表現できているようだ。

つまり、一緒に生活している人、友達にしても、
急にいなくなるという状況は、この場合、
これまで普通に近くにあった存在が失われて、
取り残された感覚や、未来への期待される経験の喪失や、
生きる糧としていた存在の消失による不安、このような感覚により
喪失感を感じているものであるらしい。

さて、永遠が無いように何事ももいつかは終わりが来る。
もしかしたら、寿命より長く存在するものもあるかもしれないが、
普通の対象はいつかは終わりが来る。

終わりをあらかじめ理解して見るということはできないが、
別のまた新しい何かを探すことが最も良い改善方法だとは分かる。
しかし、永遠が無いのならなおさら一つを突き詰めて飽きるまで追いかけるのも
一つの手であるとは思う。

続きがないなら作り出すとか、新たな姿を作り出すとか、
そういう期待感をもって未来に挑むというのもいいかもしれない。

無いものは生み出せばよい。
失われたなら、作り出せばよい。

まぁそういう事である。

---------------
取り残されたという感覚は、
それに対して何か不満があるとか、
すぐに寂しいというわけではなく、
孤独感かもしれない。

同じ状況を想像するなら、朝起きたら世界に誰もいなかった。
その状況を理解した時はおそらく同じ感覚となるだろう。

その場合はどうする?
人間がいないなら、仲良くなれる犬でも探すだろうか。

この点から考えても、喪失感に対抗するのは新しい何かということになる。

---------------
今回は喪失感について考え、過去には経験としてあったが、焦燥感は過去に例となる記憶がない。
ある程度、時間が経過すれば何とかなるだろうということは分かっているつもりであるし、
逆に、入れ込んでいた想いに対してどれだけ想いを残していられるだろうか
そういう逆の不安は感じられたこともある。
個人的な価値観であるが、一度こうと決めた事をすぐに変えてしまうのは価値が低い行為であると
私自身が考えているので、思い入れが強い対象である場合、
すぐに忘れて新しい対象へという考えの切り替えができないという面がある。

喪失感はその辺りの価値の差にも見え隠れする要素があるようだ。
私は思い入れのある対象がなくなるが、それをすぐに忘れて新しい対象に興味を持つのは
価値が低いと考えている。しかし、やはり思い入れのある対象の未来は失われている。
では、どう感じるかというと、未来が失われた寂しさが残っているということになる。

一生にもそう回数のあるわけではない感覚を自身で分析するのだが、
何分あまり気分の良い感覚ではない。
過去を振り返ってみてもそういう感覚は過去に数えるほどとなる。

状況も知識も分析力も増した今では、多少、気は楽ではある。
分析するだけの余裕もあるが、ではだからこそ、詳細まで認識できてしまうことは
少々心苦しくもある。
細かい所まで理解できてしまう場合は、はっきりとした喪失感を実感することになる。

---------------


TOPに戻る