2021/5/2

新たな発想

何か新しい事を考える時に得られる発想はどのようなものか
考えてみる。

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自分にとっては一見新たな発想の様に見えるが、
その内容を要素で分解してみると、
自分が知識として持っている記憶の中にあるもので成り立っているのがわかる。
少なくとも自分が理解できていない内容の要素を
新たな発想として用いることはできない。
というかそもそも記憶にない知識の要素で新たな発想の要素として
使うことができない。

まず記憶の要素としてその知能が理解している、認識している記憶の要素から
新たな発想は組み立てられる。

とすると、新たな発想というものは、
これまで自分の知能が持っている、記憶している記憶の要素の組み合わせの事を
新たな発想として認識しているに過ぎないということになる。

しかし、
人間の知能の成長においては
次々と新たな発想が生まれている。
しかし、それは周囲の環境における自然や地球、宇宙、素粒子、等の研究の中で
見つかった自然界の理(ことわり)、真理を見つけようとしている中で見つかった要素が
全ての元になっているということになる。

宇宙に存在する理の組み合わせから人間の知能による新たな発想は生じている。
今だ宇宙に存在する全ての理を見つけていない間は、
新たな発想が生じる余地はある。
しかし、無限に感じるこの新たな発想の余地は、
宇宙に存在する全ての理が明らかになった場合、
人間の理解力を超えて新たな発想そのものがどこか有限の1点に収束し、
閉塞してしまうことになる。

今心配する必要のない程度に真理は見つかっていないので
新たな発想は生まれ続けるが、
人間の理解を超えた真理が存在することが分かった時点で
人間の知能の発展もそこまでということになると言える。

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新たな発想は記憶の要素の組み合わせである。

であるならば、新たな発想を得ようとする人間は
様々な要素の記憶を得るべきである。
要素を増やすという観点からも狭い分野で探求することも大事ではある。
広い分野で多くの要素を得る事も重要である。
ただし、分野を増やす努力もした方がよい。

新たな発想というのは記憶の要素の組み合わせであると言ったように、
その発想自体を要素として組み合わせることも重要である。

ここに書いている内容はどちらかというと狭い分野の探求に近い要素が多いが、
この発想を記憶の要素として使ってもらい
人工知能に役立ててもらえれば幸いである。


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